【1】人の「眼」に魅了される、そんな経験って、ある?~人の器を追い求めた大学3年生の夏休み
皆さま、いらっしゃいませ!
現在、獨協大学国際教養学部言語文化学科、
漢字で書くと画数多くて非常にめんどい学校の3年の大岩 永人です。
あ、下の名前、”ひさと”って読むんです。これ重要。読み方、常用の読み方にないだけで、当て字じゃないんですよ。笑
母親が、「永」って漢字は「永遠」とか「永久」とかすごく幅広い意味でつかわれるから、そういう「心」の広い人になってほしいという思いからつけられた名です。
あ、でも「ともや」と迷ったらしいんですけど、
母の夢に神が出てきて、お告げで「永人」にしろとのことで決まったらしいです。
・・・あんま僕信じてないんですけどね。笑
ところで、ここで皆様にご質問を一つ。
皆様は、人の「器」とはなんぞや?と考えたことがあるでしょうか?
僕はこんな名前になってしまったものだから、人の「心」とか「器」とか僕はそんな途方もないことをよく考えるんです。
僕は小学~高校まで、サッカーをしていましたが、中学の時に所属していたクラブを卒団するときにコーチからいただいた言葉で、今でも非常に大切にしている言葉があります。
器を広げろ!!!
とはいえしかし、当時15歳の僕にはよくわからない言葉…
器と言っても、何の?どゆこと?よくわからないけれども、何やら非常に大きな意味を込めた言葉だなぁ…
そして時は過ぎ、6年後、大学3年生の夏。
就活が12月に迫ってるからこそ遊べる最後の夏休み、目いっぱい遊んで遊んで遊びまくるぞ!!!
と思っていた、夏。は来ませんでした。
その代わりにやってきた夏は、「器」というこのコトバと真剣に向き合う夏でした。
さて、自己紹介も前置きも終わったから、そろそろ物語を綴るとします。
これから話す僕のstory、そして僕なりに見えたモノはもしかしたら皆様には
非常にゴクシンプルに当たり前に組み込まれていることかもしれません。
それでも、大学3年という社会への準備を待ったなしで始めなければならない今だからこそ、見えるようなこともあると信じて、このstoryを綴って行こうと思います。
以下、要旨(笑)
人の”眼”に動かされた僕が、自分と深く向き合い、他人と深く向き合い、そのギャップに打ちのめされながらも人としての「器」を追い求め、人生で一番苦しくも人生で一番「人」らしい「人」であろうともがき続けたたった2ヶ月間の物語。
そんな中で、見えたものとは何なのか。
今回は、前日譚。僕にとっての始まりの一日の物語をお話しようと思います。
僕は、この回顧録で、皆様と一緒に旅ができればいいな、と思っています。
よろしければぜひ、共に旅をするような気持ちで、お付きあい頂ければと思います。
では行きましょう。
変化の年だと確信をもって迎えた21歳
2013年6月10日。何の日?・・・僕の誕生日。
2本の秒針が仲良く12という数字に被り、21歳になったことをお知らせしたその瞬間、
僕はその日初めて会った社会人2人に囲まれながら、JR常磐線の車内で誕生日を祝われた。
その瞬間の感覚は鮮明に覚えていて、端的に言って非常に不思議な気持ち。
自分の熱い思いを語りながら、どこかでこの21歳の年は変化の年になると確信を持った表情をしていたことを、第三者的な視点でいつでも記憶のストックから引き出せる。
とはいいつつも記念すべき瞬間を人の少ないガランとした車内なんぞで迎えたか。
当然ながら一日前に時を遡ってお話しなければなりませんね。
少しの時間旅行です。
↓
はい、お疲れ様でした。2013年6月9日です。
もし、誰かと話をしていて、自分の人生でターニングポイントになったこととかありますか?と万が一ね、聞かれれば僕がコンマ一秒で思い出す日。
僕の始まりの日。
器の大きな人間は”眼に”現れる
その日、僕は天王洲アイル駅のトイレで鏡に向い、うまく結べないネクタイに苦戦しながら、気を引き締める。クリーニングもバッチシのスーツを着てるけど、髪は金髪になりかけた茶色で、スーツには似合うとはあんまり言い難いけど、これから行く場所に少しの緊張と、それ以上のやる気を充填。
そしてとあるビルのエレベーターにこれまた慣れない革靴をカツカツ言わせながら乗った。
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