フツーの主婦がサラリーマンの旦那を日本に置いて、マレーシアのジョホールバルに移住して起業してしまった話(高校留学時代編)

1 / 6 ページ

前話: フツーの主婦がサラリーマンの旦那を日本に置いて、マレーシアのジョホールバルに移住して起業してしまった話
次話: フツーの主婦がサラリーマンの旦那を日本に置いて、マレーシアのジョホールバルに移住して起業してしまった話 その3(帰国後)
 の続き・・・。

▼高1入学式で辞めたいと


高1の入学式で、
田舎の中学と文化が違いすぎて、
カルチャーショック!
1日で学校が嫌いになり
辞めたくなってしまった私。
花岡めうみ
辞めたい!
と母に泣きついたところ


母)交換留学制度が学校にあるのだからそれをつかって留学してみたら?
もともと英語は嫌いじゃなかったし、
それもありかなと
考えるようになったのである。
ちょうど通っていた高校の理事長が
理事長)これからは国際化社会の時代。グローバルな社会に対応出来る生徒を育てよう!
ということで、
積極的に海外留学を支援していた。

実はこの理事長かなりのやり手。

麻布中高→東大を経て、
大手銀行に就職。
数年後、退職され
某学校の理事に。
斬新な考えをお持ちで
上手に学校経営をされ
教育分野でかなり活躍されている。
私の母校も
私が卒業するくらいに
校舎を建て替えて、
今は中高一貫校になり
かなりの進学校で名が通っている。
私が通学中(20年以上前)から、
交換留学生を受け入れたり、
週休二日制を取り入れたり
その当時ではかなり進んだ教育方針を
とっていた。
さらに、交換留学を推奨していて、
1年の留学なら
単位を認めてくれていたのだ。
当時、私立は、留学すると
留年する形をとっているところがほとんどだった。
留年しないシステムを取り入れてくれていたので、
なおさらフットワーク軽く
留学ができるシステムになっていた。
でも、実際に留学するのは、
学年300名の学生に対して、
わずか10名ほど。
つまり3%ほど・・・。

この頃から留学生が増えたと言ってもやはりまだまだ少なかった。

実際、留学すると言ったら、
担任からは反対されたのだ。
と言うのは、
留学すると学校の勉強が遅れてしまう。
当時、私は自分の偏差値より
10も低いところの学校に通っていたので、
成績は常にトップクラス。
自分で言うのも何だが^^;
学校では、期待のホープだったのだ。
高校受験で失敗したので、
私も大学は、希望大学に行きたいと
思っていたので、結構勉強は頑張っていた。
塾も大手予備校に高1から通いだし、
「東大早慶クラス」
なんてのをいっちょまえに受けていたのだから。
だから、学校としては、
3年間しっかり勉強して、
いわゆる一流大学に合格して欲しいと
いう思いが強かったようだ。

著者の花岡 めうみさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。