私が作・編曲に取り組む理由 その2

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どこまでやれば良かったのか

 私のファースト・コンタクトは,大いなる失望をぶら下げてしまった。そんな私に先輩の先生が温かい声掛けをしてくださった。

森内くん,誰も初めはそんなものよ。頑張ってもなかなか上手に指導はできないものなの。
私たちだって,子どもたちが思い通りに動いてくれなくて困ることがあるのよ。
はあ,そうですか。ありがとうございます。
来年はがんばります。
どんな指示をしたら子どもが動くか,授業の指導案も書いてみると,いい勉強になるわよ。

 私はこの時,強烈な違和感を覚えた。先輩の話がわからないわけではない。とても親身になって話してくださって,ありがたかった。失敗直後の私には,指導が届きやすいと判断して,このタイミングでの声掛けになったことも理解できてはいた。

 いや,ちがうんだ。僕はそんなことでしょげてるんじゃないんだ!…私は叫び出したい衝動をぐっとこらえ,職員室を後にした。


 この年,私と同じく配属された女性教師がいた。彼女は母親も教師だったので,子どもの頃から学校という組織を肌感覚で理解していた。彼女は学芸会の取組で,そこそこの評価を得ていた。学校という場所の持つ意味を,彼女は予め理解していたのだ。

 それに比して私は,学芸会というものの“重み”を全く理解していなかった。そしてどこまで子どもに要求していいのかにとまどっているうちに,本番は過ぎ去ってしまったのだ。

 私の覚えた違和感,それは,〔できなかったわけじゃない指導を,どのタイミングでどの程度行えばよかったのかが分からなかったのに,指導内容自体が分からなくなっていると思われたこと〕だった。

 こう書くと,負け惜しみを言っているように思われるだろう。いや,実際に負け惜しみなのだ。でも私の中に残ったのは,完全燃焼できなかったというジメジメした思いだった。その陰湿な存在は,埋み火のように,私の中にいつまでも残り続けた。

 この火を消すためにはどうすればよいのだろう。私は分からぬまま,学芸会翌日の休日を過ごした。そしてその翌日,出勤した私の目に飛び込んできたのは,再び私を立ち上がらせてくれるものだった。私はプリントを握りしめ,担当者の眼の前に立っていた。


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