何の取り柄もない自分が、グラフィックデザインで独立するまでのお話し。「第五話 〜会社時代・前編〜」
意欲的なマリオネット。
組む。とにかく組む。前方からやってくる、テキスト素材・画像素材を組む。キレイに。ラフ通りに。これぞ、ザ・代理店下請の仕事である。“デザイン” というものが企画ベースで、しっかりとした根を持ち、幹が立ち上がるのであれば、「言われた通りにキレイにやっといて。」→「はい、わかりました!」 というやりとりは、アルバイトのモップがけに近いものがある。つまり、オペレーター! ノット、デザイナー!
“グラフィックデザイナー” という肩書きが刷り込まれた名刺を持ち、デザイン会社に夢と希望を抱いて、この場に降り立った。はじめのうちは、イスに座り、Macをいじり、印刷物を形にすることでお金がもらえることに感動していた。しかし、上っ面、物理的な感動は廃れるのもはやい。入社後、1ヶ月も経たず、このままここにいたらダメになる、というマイナス実感が身体の中を巡っていた。
入社をするか、しないか。入社をさせるか、させないか。極度の緊張感が漂うものである。もちろん、お互いに。入社する側も、採用する側も。極限を経て、場に身をおき、しばらく過ごすことで実際に見えてくることもあるだろう。
もう一つ、心の引っかかりは上司の姿。フレッシュ20代の自分以外は、全員40を越えたおじさま。みな、いいひと。やさしい。これは、“ひと” という視点。しかし、“デザイナー” という視点でみた時、正直、この年齢でこうはなっていたくないな。という正直な印象があった。なんでか? 酒を飲み、談笑しながら、レイアウトをしてたのだ。
つまり、「この会社にずーっと居つづけた後の姿がアレ」なんだろう。それはいやだ。この船はあぶない。脱出せねば。しかしだ、転職するのであれば、“今よりいい会社” に行かなければ意味がない。後々気づくのだが、ビューンと成長するには、「あの年齢になった時、あの人みたいになっていたいな」と心から思える相手を早く探し、できる限り、同じ空気を吸い、時間を共有するのがいい。そのためには、「近くにいさせてくれる理由=力」をつけておく必要があるんだと思います。
一般的にデザイン会社の就職には、履歴書よりも、作品内容で判断される、と思う。現在勤めている会社の制作物を持って転職活動しても、同じようなレベルの会社しか響かないであろう。それでは意味がないんだ。んだんだ。それならば、パンチの効いた自主制作だ。
自主制作。誰からも頼まれなくても、つくる作品。自主制作。ここで疑問が生じる。そもそもデザインとは、「クライアントとデザイナー双方が成り立ち、依頼する・依頼される、そこでできた完成物を世の中に出す行為」(なっげー)。己の中でつくり、己の中だけで完結する内容はデザインとよべるだろうか。その前に、なまけぐせのついている自分は動くことがないだろう。
追い込みをかけるんだ。最高の転職につながる作品づくり。そんなこんなで企画したのが、「20代のやりたいことを後押しするデザイン展」である。友人・知人をクライアントに設定し、今やりたいことを聞き、その夢や目標に関するデザインツールを先につくる。クライアント本人に見せることで、本当にできそうかも! という気持ちを後押しする内容だ。
私とカメラマンとイラストレーターの3人体制。15人のクライアントの作品制作に1年半かけた。ギャラリーは中目黒。会場費と制作費で100万。貯金を切り崩す。時には、和歌山まで日帰り撮影、時には、中古のスーパーファミコンをヤフオクで購入、時には、メイド居酒屋で “小悪魔おにぎり” をにぎってもらった。※ “小悪魔おにぎり” とは、メイドさんが素手でおにぎりをにぎってくれるサービスである。コンビニおにぎりとさほど変わらない味・大きさで一個800円する、なんとも親切な食べ物。
そんな日々が楽しかった。今思うと、「会社の仕事と自主制作、どちらかだけをやっていてもダメ」だったと思う。幅広い視野を持つため、なんて言葉を使うと、視野がせまそうに聞こえるが、感覚としてはそれに近い。行ったり来たり、ゆらぎを自身の中の与えることが、バランスの取れた積み重ねにつながるんじゃなかろうか。
企画展作品完成。展示会前、社長に辞めることを告げる。次の会社、決まりそうなんで。実際には何ひとつ決まっていない。でも、心は決まっている。上から下へ。左から右へ。人から言われたことを形にする行為をもうたくさんだ。デザインじゃない。オレはマリオネット=オペレーターじゃない。飛び立つ! いいデザイン会社へ! 転職編の始まりである。果たして……うまくいくんでしょーか?? どうなんだ、おい!?
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