何のとりえもなかった私が、10年以上かけて叶えた夢 大学時代編

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前話: フツーの主婦が一台奮起して、マレーシアのジョホールバルに移住 ー今の私を作ってくれたもの
次話: フツーの主婦から会社経営者になるまでの軌跡を振り返って感じたこと
さて、前回の続き・・・。


晴れて、
中学からずっと行きたかった大学に
入学した私。
今からもう15年以上も前の話^^;

余談だが、

上智に行きたいと思ったきっかけは、
なんと、恥ずかしながら、
【西田ひかる】
同じ世代くらいの方なら
ご存知かも知れないが、
彼女の出身大学は上智大学。
ドラマの影響で
中学の頃、大好きだったのだ。
めうみ
「彼女と同じ大学に行きたい!」


と思ったのが一番最初のきっかけなのだ(*^_^*)
どんだけ単純なんだか^^;


さて話を戻そう。

私が入学した
上智大学比較文化学部(現在 国際教養学部)。
この学部は、
アメリカの大学のシステムなので、
秋入学というのも受け入れていた。
10月が入学となる。
この時期は
海外からの帰国生
や留学生が多かった。
初対面での挨拶の第一声が、

学生)「ドコから来たの?」

これは、
高校がどこ(場所)かを聞いているのである。
例えば、
アメリカならアメリカのどこの州という意味だ^^;


私は、思いっきり日本の高校(東京)からなんだけど、
周りはほぼ海外の学校から。
まずこれにカルチャーショック^^;

彼ら、見た目は思いっきり日本人だが、
英語はもちろん堪能、
さらに、お金持ちで
感覚も国際感覚豊かな人たちばかり。
しかもそれを全然、自慢してこない。
嫌味がないのだ。
人間的にもできている子が多かった。

生徒の内訳は、

海外駐在などご両親のお仕事の関係で海外に住んでいた子
日本のインターナショナルスクール(だいたい東京か神戸が多かった)出身の子
私費留学で3年〜6年ほど海外に単身留学していた子
私のような1年の交換留学
そして、
純ジャパといって、
全く海外経験がない子
大きく分けるとこんな感じだった。
断然多いのが、
海外駐在で18歳までほぼ海外で暮らしていた子。
純ジャパは本当に数名、
私のような1年くらいの留学もわずか。
つまり、いわゆる帰国子女がほとんど。
この頃はさすがに
「母子留学」
という生徒は、いなかった。

入学当初の夢

入学前は、憧れの大学にも受かったからと
調子に乗り、
通訳にでもなろうかしらなんて

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