地球の裏側での3.11

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次話: この大きな「山」を動かす方法を
私の涙ボタンはどこにあるか分からず
日中はできるだけニュースから目を逸らした
夜 子供が寝た後で
新聞やニュースに初めて目をとおし
翌日目が開かなくなるくらい泣いたり
逆に自分の感情が麻痺して
読む文章や 聞こえるニュースが理解出来なくなった

多分 私は珍しい日本人ではなかったと思う
一種のPTSDみたいなものだと言われた
自分を守るために感情にフタをするのだそうだ

あのとき 多くの海外の日本人が
もっと言えば 日本の血を持っていると知っている人達が
その場にいないから
自分達は直接何かを出来る訳ではないからと
そんな理由で自分を責め
自分達を追い込んでいた

まだ自分を許せない人達もいる


帰らなきゃいけない

皆が自分に出来ることを探していた
何か出来る人を羨ましいとさえ思ったし
そうはっきり言っていたひともいる。

日本人としてのアイデンティティー
日本への愛国心を再確認した
もうこの時代にはないのでは、と疑っていた
日本の高い精神性をも見た

その年の夏の一時帰国を
いつも通りにすべきか迷った。
茨城はあまり報道されなかったけれど
地震の被害はかなりひどかった。
放射性物質が多いという噂もあった
茨城から関西圏へ引っ越した友人もいた

でも子供を茨城にいつものように2ヵ月返すことに
夫は反対せずにいてくれた。
飛行機で受ける放射線レベルを考えたら
何をこわがってるのか分からないという私に
同意してくれた

私は 子供にこれを伝えたい
私は もう会えなくなっていたかもしれない家族みんなに会いたい
何よりも 私のなかで凍り付いてしまった
大きな岩みたいな感情を
何とかしないとイケナイと思っていた

2011年6月
成田から水戸へ向かうバスの中から
痛々しい地震の爪痕を見ていた
鉾田では「水道再開通おめでとう」のニュースが
人々の顔を明るくしていた
そんな日だった。


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