Rickenbackerに憧れて(3)

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高校当時のメインベースはGRECOのジャズベースタイプで、それにARIA PROIIのRB60と友人から借りたRB80を使っていた。好きなRUSHのゲディ・リーもジャコ・パストリアスもノエル・レディングもラリー・グラハムもみんなジャズベースだったので、とにかくこのベース1本で上手くなろうと思っていた。


ギターも基本はYAMAHAのSG-1000ならシングルコイルとハンバッキングの両方の音色が出せるので、これで何でもこなそうとしていた。思ったような音にならないのは自分が下手だからと思って、とにかく毎日何時間も楽器を引き続けていた。後にそれは、大きな考え違いである事が判って様々な楽器を弾き始める事になる。


以前、先輩から買ったGRECOのRickenbackerモデルは、アンプに繋いだ音は思っていた以上に野太くザクザクした粗い感じで、エフェクターのノリが正直悪かった。当時はYAMAHAとローランドのソリッドステートのアンプしか持っていなかったので、エフェクターの助けが無いと良い音に聴こえなかった。


そこで、音色を改善しようとコンプレッサーでアタック音を散らそうとしたが、結局思ったようなシャリシャリサウンドにならず欲しがる友人に譲ってしまった。もしかしたら、VOX AC30のようなチューブアンプのAクラスのものなどで音を出していたら、意外に本家に忠実な音だったのかも知れない。


しかし、当時はRickenbackerに関する本やビデオは皆無で、音楽雑誌や楽器雑誌を買ってもあまり詳細な説明はされていなかった。当時の本を読むと笑ってしまうくらいRickenbackerに対する解説にはいい加減な物が多い。Yesのスティーブ・ハウが弾いていた12弦は360WB/12MGだが330/12と書かれていたりした。


Rickenbackerとの接点が無くなったかと思われた高校3年生の3学期、突然部活の後輩からWestminster*というメーカーのRickenbacker4001モデルを卒業祝いとしてプレゼントされた。しかも専用ハードケースとストラップ付き。嬉しくて毎日弾いていて、受験勉強がおろそかになったためか第一志望大学には進学出来なかった。


*Westminster=GRECOの廉価版ブランド。この当時国産ブランドも作りと音の良さでどんどん評価と価値が上がったため、初心者向けの価格帯のモデルを出すために、FernandesはOrange、ARIA PROIIはBill's Brothersなど、各メーカーともにセカンドブランド製品を作っていた。


ボルトオンネックとリアピックアップ(非常に貧弱なコイルと四角いポールピースで出力も小さい)が本家と大きく違っていたが、出音はブリブリ、ボンボンと本家に近いものだった。ブリッジのミュート機構は後に購入する本家よりも精度が高く操作しやすいものだった。


Rickenbackerベースの代名詞であるmodel4001ベースは、後継機種の4003との見かけ上の違いがあまり無い上に、64年から83年までの生産期間内でマイナーチェンジや部品変更を多々繰り返しているため、コピーモデルの場合、どの年代を参考にしてデザインしたのか判るとなかなかに面白い。


Westminster4001のチェッカー・バインディング、トースタートップピックアップ、クラッシュ・パールインレイは73年前期まで。ウォルナットを挟んだ3ピースボディは73年から、小ヘッド、グローバーペグ、5点止めブリッジは73年後期以降の仕様である。つまりこのベースは74年頃にコピーされたものだと判る。

中でもこのベースの面白いところはカラーリング。ボディ表やネックはナチュラルカラーなのだが、ボディバックだけは鮮やかなチェリーサンバーストだった。推測だが、ポールが塗装を自ら剥いでナチュラルにしたというエピソードを聞いてイメージだけでそのようなカラーリングにしたのではないだろうか。


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