会社を辞め、30歳からバスケットボールを始めた理由 3
閉店ギリギリで、とりあえず目についたボールを購入して店を出ると、地下鉄に乗り込んだ。
運よく目の前の席があいたのでボールを抱きかかえてそこに座り、僕は呼吸を落ち着かせた。
急に盛り上がってボールまで買ってしまったが、よく考えると大学生の頃にもバスケをやろうとしたことがあったな、と思い出した。あの時は何でやらなかったんだっけ。
人生後悔したくない病
ものごころついたころから、目の前のことの目的を常に考える癖があった。
めんどくさいことはしたくない。やってから無駄だったと気づくことはしたくない。先に最適解を考える習慣は、小中学生のころは優等生として機能するが、トライ&エラーを繰り返して方法を収れんさせていく能力を奪い去っていく。
みんなが野球をしているときにただ座ってアリの観察をしていた僕には、元から試行錯誤するだけのエネルギーが備わっていなかったのかもしれない。
やりたいことは規制せずやらせてくれる親だったのに、僕は自ら進んでマニュアル人間になった。
小学校の時、大好きだった恐竜の図鑑を読む時間を、大人がほめる伝記を読む時間に自ら変えた時も、高校のスポーツ祭で、受験勉強はくだらないっていいながら英語の教科書を読んでいたときも、大学で憧れだった探検部に入ったのに、一晩中部室で酒を飲む時間の無意味さに耐えられなくて辞めた時も、僕は、いつも何かに焦っていた。貴重な時間が無意味だと思えることのために流れて行くことに耐えられなかったのだ。
それでいて、1人でいるときは白昼夢にふけって時間を浪費している。
無駄なことを省いてきたはずの僕の人生は、プラン通りには進まず、気づいたら仕事のスキルも、人生の経験値も、同い年の人よりはるかに遅れをとるようになった。
人間の成長は、狭い視野のもとで「意味がある」と判断したものの積み重ねの上に成り立つものではなく、大好きで心躍るような体験を繰り返す中で身に着けた、上達の技術や、人との関係の作り方、自分という人間の特性の見極めを通してなされるものだ。
そう気づいたのは、20代の中盤に差し掛かったころだった。
自分が馬鹿にしていたクラスメイトたちはいつの間にか立派な大人になり、悩んだり活路を見出したりしながら、与えられた責任を全うしていた。
「人生後悔しないように」と近道を探し続けてきた結果、僕は大きな遠回りをしてきてしまっていたのだ。そして、無為に消費してきてしまった時間が、本当はかけがえのない時間であったこと、そしてそれはもう取り戻せないのだということを知り、火のつくような後悔に襲われた。
高二の夏、文化祭で出すお化け屋敷の準備で盛り上がるクラスメイトを尻目に、「これ以上時間を無駄にすることには耐えられない」と思って一人そっと抜け出した。
人生を豊かにするものは、向かった先にあった塾の中ではなく、抜け出したお化け屋敷の方にあったのに。
それに気付いたときには、僕は、心は子どものまま、立場だけ大人になっていた。
部室へのあこがれ
(出典:http://kitakobo.exblog.jp/7813271/)
思春期において人が学ぶのは、教室ではなく部室なのだろう。
あの汚い部室の中では、どんな話をしていたのだろう。
今の僕の口から発せられる会話は、挨拶、その場をやり過ごす常套句、自己承認を満たすための知識や持論の展開、あと何があるだろう?
大人になってからも、仕事やシチュエーションによって規定される目的のない場で、誰かと一対一になると緊張する。何を会話していいかわからない。どうしたら会話そのものが楽しめるのかがわからない。
周りのことを考えずに自分の想いを口にするとはどういうことか。そうやって誰かが同じように発した言葉を受け止めたときにどう感じるのか。次は痛くないように少し言い方を変えるさじ加減をどう覚えるのか。
きっと、あの部室で、他愛もない会話を繰り返しながら、少しずつみんな大人になっていったのだろう。
僕が省略した道だ。
友人たちは、近況を報告したり、飲み会の予定を決めるために僕と会話する。でも、結婚相手や、人生の進路など、本当に大事なことは僕には相談しない。そういう会話ができないことは、見抜いているんだろう。
僕は10代の時間を、部室の中で誰かと話す代わりに、自分の頭の中でモノローグを繰り返して過ごした。
ごめんなさい。。僕が悪かったから、その場を、今から、少しでいいから分けてくれないだろうか。。
僕がようやく本気で人を好きになり、相手に好意を伝えたり、別れを切り出したりすることが、自分の立場になるととても勇気のいることで、あの痛みを知った上で皆笑っていたり泣いていたりしていたんだということがわかったころには、20代も終わりをつげようとしていた。
ええ、今からです
失われた時間は戻らない。
30歳は目前に迫っている。通常のスポーツ選手は引き際を視野に入れ始めるような年齢になり、僕はようやくスタートラインについた。
失われた時間は戻らない。人生にやり直しなんてきかない。
でも、でも、だからといってあきらめられないんだ。。
自分の人生だから。。
一度も本気で走ったことがないまま死にたくないし、
一緒に目標に向かう仲間がほしい。
10年ぶりにぶり返したバスケ熱を、今度は鎮めることなく、そのままうなされ続けようと思った。
退職後、2ヶ月たってようやく就いたのは、契約社員の仕事で、給料は半分になった。
僕は30歳になった。
そして、バスケットボールを始めた。
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