アメリカ退国命令から1年。

著者: Dra gon
もー、1年たった!!!
去年の今ごろはちょうど新しい道探してた。
2011年6月21日はちょうど、
「10日以内にアメリカから出ていかなければ違法滞在になります」
とアメリカから宣告を受けた日だった。
まじびびったな、あんときは。
1年半年(2011年1月ー2012年6月)の
有給インターンシップという契約で来たにも関わらず、
予想だにせぬ半年での帰国命令。
そんな絶体絶命時に、
自分は何を考えたのかなって気になり
去年のブログを見返してみた。
■強制退国通告の次の日に書いたブログ
■その1週間後に書いたブログ
おそろしくポジティブだった。
土建屋で短期バイトして世界一周するプラン。
半年間のワーホリ生活を繰り返し世界中でビジネスプランを考える計画。
アフリカか南米の牧場や農家で労働しにいってみるプラン。
目の前のレールが突如途切れた途端、
新しいレールが次から次へと左右に現れた、
そんな感覚だったな。
まぁ結局他の国へ行くっていうプランは、
「ポジティブ」ではなく、「ただの逃げ」だなと判断し、
ニューヨークへ残る覚悟を決めた。
まずは観光ビザでニューヨークへ戻り、
新しい会社の社長と交渉、なんとか認められ、
就労ビザをサポートしてもらい今日にいたる。
本当は渡米後1年半はインターンシップビザで
給料15万(大学時代のバイト以下、、)っていう契約だったけど、
渡米後9ヶ月目にして就労ビザにグレードアップした。
おかげで日本で働いていたときよりの収入も上回るようになった。
人生わからんもんである。
もしあの時、未来へのリスクを恐れ、
成果報酬にチャレンジしたいという
自分の感情を押し殺していたなら、
今頃はまだインターンシップとして
給料15万で働いていたのかもしれない。
もし新しい会社に受け入れられず
ニューヨークに戻ることができなかったなら、
今頃はどっかの国でサバイバルしていたのかもしれない。
生き方の選択肢って本当は無限にある。
正直1年半たって、海外生活になれ
お金もある程度入るようになった。
と同時にどこか心の角がとれ、
安定的になっている感じもする。
去年のブログを読むとそう感じた。
去年はまじサバイバルイヤーだったもんな。
安定期こそ自分の最大のピンチ。
選ばなかった道(世界一周、ワーホリ)を歩んでいる自分は、
今ごろも崖っぷちでガンガン攻め続けているであろう。
そんな違う道を歩んでいるライバルの自分に負けないよう、
もっと攻め続けんとな。
とりあえず司馬遼太郎、読もーっと!

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