私が変態になるまで STEP5 〜専門学校卒業後、所属した事務所が倒産、解散〜

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専門学校在籍時代に所属した音楽事務所でしたが、学校卒業後20歳直前までお世話になったところ、歌い手を扱う事務所に預かりで移籍することになり、なにがなんだかわからないまま、月日だけは過ぎていきました。

毎夜、勉強になるからとクラブをはしごして、ここで今の知人友人関係は構築されていったと思っています。飛び交うレーザー、子宮まで響くベースライン。私はとっぷりクラバー生活になっていったのです。

そんな或る日、担当してくれていたディレクターが退社すると連絡を受けたのです。

もうレコーディングも済んでいてあとはジャケットやプロモーションなどの細かい調整に入っていた矢先でした。

突然と仲間がいなくなり、当時担当していたプロデューサーも私自身も脱力していました。

いわゆる空中崩壊したのです。

どうしたらいいか分からない私は家で体育座りをするよりも、とにかく動いていました。

動きに動きまくっているうちに友人知人が更に増え、自分の経緯を話すと応援してくれる人も増えました。

ただ、自分でできることは当時限りもありました。

歌い手だけでは生きていけないんだな、ということも時間が経つにつれて分かってきたのです。

歌詞は書いていましたが、曲先と呼ばれる曲ができてから歌詞を書くやり方をしていた私はまず歌詞を書いて歌を唄うにも曲ありきだったのです。

そこで、自分で曲を創ることを始めました。

30歳目前で打ち込みを始めたのです。事務所が解散した時に落ち込むよりも動いたおかげで

増えた友人知人に助けられ、機材や打ち込みの勉強にも不自由することなく、着実に始められたことは幸運だったと思います。

そして私はやりたかったイメージの歌い手としての年齢から遠去かっていったのです。

まだ前に出れると必死に自分を説得させて、web上に音源をあげていました。


そこから私のまた転機がきたのです。

仕事で音楽を創ってみないかとお誘いの言葉を受けたのです。

それは興遊機の音楽創りでした。いわゆるパチンコ、スロットです。私は小さい頃にパチンコに嫌な想い出があります。パチンコにハマった近所のおばさんから、小学生の時に「千円貸して」と言われて貸したのです。

小学生にお金を借りるなんて…○○ちゃんのおばちゃん壊れちゃったんだ…と思ったのです。

次の章は音楽で初めて仕事になったその件について語りたいと思います。



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