霊視で前世は〇〇な人と言われ、ネットで探してみたら実在しててギョっとした話

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著者: Tommy 1031

と思った。「私」は泣いていなかった、だって泣く理由なんてない。

ただとにかく、魂の奥の方が震えて、涙が止まらないのだ。


でも、理由はわからなくても、混乱していても、その涙を止めようとは思わなかった。


まわりの乗客に気付かれないよう、さっと下を向いた。

そして、流れるだけ流した。



階段をのぼり、お墓参りへ

階段はとにかく長かった。

そして、登っている間、ずっと涙が止まらなかった。

階段の上で住職さんに泣きながら

「板垣退助さんのお墓はどこですか」

と聞いた。

さぞ気持ち悪かっただろう。泣きながらお墓の場所聞くって・・・。

もう自分でもやけくそというか、もうなんか、そういう日なんだ、という思いがあった。

だって、「私」のために来たんじゃないから。

泣くほどお墓参りがしたかった、彼のために来たんだから、と。

もう、半信半疑の自分はどこにもいなかった。

人がどう思おうと構わない。

これが、自分のただの思いこみや暗示であっても構わない。

私は、やるべきことをやっているのだという確信があった。


お墓は、だいぶ裏手の方にあった。

隅の方に、こじんまりと建っていた。

そして「板垣死すとも自由は死せず」の碑。


お墓の前に立ち、深呼吸をする。

また、新しい涙がぶわっと出て来た。

でもこの涙は、先ほどとは違う、あたたかい涙だった。

そして、身体の奥の方から、じわっと言葉が湧いてきた。


やっと来れました

先生、遅くなってすみません


胸の奥の方からこみあげるものがあり、ただひたすら


う れ し い

という、喜びの気持ちが湧き上がってきた。

「私」は、ただ流れに身を任せ、なすがままになっていた。

そして一緒に、「うれしい」を味わっていた。

とても、あたたかい気持ちだった。

感謝の気持ちと、やっと会えたという思いが重なって、暖かい涙として流れていた。

ゆっくりと手を合わせ、邂逅の時を過ごした。


そのあとは、ゆっくりと境内を歩き、品川富士に登った。

それまでたくさんの人が頂上にいたのに、私がたどり着いたときは誰もいなくなっていた。

座って、そこから見える品川の景色をじっくりと眺めた。

とてもいい気持ちだった。ずっとやりたかったことを成し遂げたという爽快感があった。

一人、そこで20分ほど過ごし、家路に着いた。



不思議な体験だった

と、今でも思う。この話を読んだ人が、どう思うか、どう捉えるかはわからない。

でも、私にとって、確実に面白い、興味深い体験だった。

まだ見ていないのだけど、いつかじっくり『八重の桜』を観たいなぁと思う。

高知や、片岡健吉さんゆかりのところも訪ねてみたい。

妄想でもいい、思い込みでも暗示だったとしてもいい。

そんな旅が出来るだけでも、愉快じゃないか、と思う。


話は変わるが、現在の私は、結構スピリチュアルや瞑想などが好きで、

「自分がなんのために生まれてきたのか」を解き明かすワークというのを何度もやったことがあるのだが、その度に出て来るテーマはいつも同じ


自 由「愛」


なのだ。とにかく自由になりたい、自由でいたい、という思いが強く、現在もそれを探求して人生が進んでいっているという感覚がある。

現実世界では、様々な役割のある私たち。やらなくてはいけないことはたくさんあるけど、それでも心の自由だけは自分たちのものだ。



最後に。

この話の、最初の方で霊能者が言った言葉を覚えているだろうか。

「現世で板垣退助が誰に生まれ変わっているかはわからないんだけど」。

私は歴史上の人物に疎いので、板垣退助と言われても、顔は思い浮かばなかった。

なので、ググってみて初めて板垣退助の顔写真を見たとき、ちょっとびっくりしたのだ。

なぜなら、板垣退助の顔が

うちの父の顔にそっくりだったから。


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