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14/1/28

石屋に18歳で修行に出て学んだこと(2)「石工になる切っ掛けと父親。」

Image by Olia Gozha

石工なんてマイナーな仕事に僕がなろうと思ったのは簡単で、父親が“石工”だったから。

僕にとって父親の影響は大きい。


今のご時世(昔もか。。)父親を尊敬してるなんていう人はあまりいないと思うけど、僕は「父親を尊敬しています。」と普通に言える。

今でも尊敬している人と聞かれれば、親父ともう一人。


親父はマメで多趣味な人だった。

僕が親父から受けた影響は測りしれない。

釣りも、刃物の扱い方も、日曜大工も、動物や植物の育て方も、殺し方も、危険な遊びも。

全部親父が教えてくれた。

石工になろうと思った切っ掛け=親父の様になりたかった。親父と一緒に仕事をしたかった。


だと思う。


いや、でした。ですね。今は石屋じゃないので。


ファザコンのノリで、親父と幼少の時の話でも。

親父は昭和21年生まれの団塊世代。

16歳の時に集団就職で東京に出てきたそうだ。

集団就職で務めた工場(たしか、某車の会社)を3日で逃げ出し、いとこの嫁ぎ先の石屋に逃げ込みそのまま石屋として現在に至る。

68歳の今でもその会社で石工としてたまに現場に出て働いてます。

石屋ってちょっと変わってって、まず雨降りはお休み。

小学校の頃、朝起きて親父がいると(この時点で酒飲んでる)

ああ。雨なんだな。と思ってた。

他の家庭もそういうもんなんだと中学生の頃までずっと思ってたw

給料は月二回。

中日と月末にありました。必ずニコニコ現金払い。

(これは僕の務めた石屋でも同じだったので、なにかの風習?かも。)


お給料とは言わず、「お勘定」。

これも中学生くらいまで、他の家庭も同じだと思ったw


「わーい!今日はお勘定日だから、帰ったらステーキだい!」

なんて学校で言って、みんなが????になってたのはいい思い出です。


高校から学校が嫌いで、早く仕事したくて仕方がなかった。

稼ぎたかった。

親父に近づきたかった。

親父になりたかった。

親父と一緒に仕事がしたかった。

思春期(?)だった僕はそんな思いは親父には言わず、

学校もそこそこにハローワークに通って勝手に石屋の門を叩いたのでした。



次回予告

石屋に18歳で修行に出て学んだこと(3)

「名前を呼んでもらえなかった。」


職人さん「あんちゃん!取って来い!」

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