母を自宅で看取り天涯孤独となった瞬間の話。②

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プロローグ

2002年秋

突然親から電話があった。
そろそろ、死期が近いと。
母は再発を含め3回ガンになっていた。28歳から20年以上ガンと戦ってきたから、そろそろ生命力が削られてなくなりつつあるのが分かると。
徐々に検査で腫瘍マーカーの値が上がってはきてたけど、今月(2002年11月)になって先月の3倍になってたと。
今回はもうもたないと思うと電話があった。
最初なんの事だかはっきりと現実味が感じられなく、ただただビックリした。
4年前に3回目のガンになった時から、あと5年はもたないかもとは覚悟してたけど、ついにきたかという感じだった。
その時は、驚きの方が大きく、さほどではなかったけど、次の日俺から電話した時はかなりこたえた。
「どう?調子は?今何やってた?」
「今ワープロで遺書書いてた。」
死んだ後に俺がやる書類の整理の仕方をまとめてると言う。
貯金の口座変更の手続き、保険の解約の仕方、止めたり、解約するもの、役所に出す書類類について、家財道具は何処に売り払えばいいか、人にあげて欲しいもの、死んだ知らせを送って欲しい相手、などなどまとめてたという。
また母の口から「死ぬときの唯一の願いは家で死にたい、病院では絶対死にたくない、だから家でのたれ死んで、死んだのが一ヶ月ぐらい遅れてわかっても許して」と言われた。
そして「死んだ後なんかどうだっていい、葬式なんか、金かかるだけだからやんないで欲しい、自分はあの世で神様にこんな体にしたことを文句言ってやりたいから、ただ火葬する時、1着だけ持ってた振袖着せて焼いて欲しい」と。
俺は、ただ「分かった」としか言えなかった。
そして「もし入院中本当にやばくなったら俺を呼んで欲しい、そしたら意識があろうがなかろうが俺が家に連れてってやる」と伝えた。
母は電話口で泣きながら「ありがとう、愛してる」と答えた。
俺は泣いた。
何年振りかってぐらい泣きに泣いた。
悲しくて悲しくて涙が止まらず、泣きながら10何年振りに「俺も愛してるよ」と答えた。
それから様々な話をしたけど、もうあまり覚えてない。
ただ、そこにはとても深い母の愛の存在を感じた。
電話を切った後、もうこらえきれず一人で大泣きしてた。
声をあげ、涙を流し、鼻水やよだれもたらしながらずっとおいおい泣いてた。
しばらくして気持ちがおさまると、色んなことを考えた。
生きること、生きる意味、家族とは、そして愛について。
俺は今まで愛とはもっとどろどろしてて、とても大きく、これがないともう生きられない、というぐらい依存的になるすさまじいエネルギーを持ったものというイメージを持ってた。
けど違った、それもまたひとつの形だろうけど、俺の中の愛とはとても身近にあるものだと気付いた。
普段意識する事が出来ないぐらい身近にあり、空気と同じくらい人にとって生きるために必要なものだと感じた。
俺はひとつに真理を得たと思うと同時に、俺を好きでいてくれる友人にとても感謝した。
世界は悲しみや憎しみ以上に愛であふれてると思う。
ただ憎しみや悲しみは感じたくなくても感じるけど、愛は感じ取ろうとしないと感じられない。
ほんのちょっとの親切や、いたわりの言葉で人は救われる。
札幌にいる友人は「親がそろそろまじやばいんだわ」と伝えたら、「美味しいもの食べよ」とか、「気分転換にどっか行こう」とか誘ってくれた。
そんな気持ちにとても感謝する毎日。
これからどんなことが待ってるか想像つかないが、その時がくる覚悟を持って日々を生きていこう。

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