母を自宅で看取り天涯孤独になった瞬間の話。⑦
所長が「お母さんはあんたが色々旅したり、やりたいことやってることの話題になるといつも『自慢の息子だ』って言ってたよ」と話してくれた。
目頭が熱くなった。
後で少し意識のある時、母にそのこと言ったら「自慢の息子だ」って目を閉じたままつぶやくように一言返してくれた。
泣けてしまった。
どうしてだろう。
ただひたすらに泣けてしまった。
ただひたすらにうれしくて。
眠った母に「母さんも自慢の母だよ」と答える。
ケアを通じて気持ちいいと言ってくれ、うれしい。
少しでも起き上がれると食欲がでるみたいでうれしい。
そして、毎朝息をしてくれてるだけでうれしい。
本当にそれが全てだ。
おみおばさんも日勤の帰りに寄ってくれたりと本当に心強い。
励ましてくれる友人にも感謝。
もうちょいがんばります。
2003年8月30日 last 11 day
午前中ものすごく天気が良かったので、母が眠っている間に久しぶりに地元の温泉に行った。
温泉で2時間のんびりし、レストランでランチも食べ、気分転換できた。
けど、家に帰ると緊張感でどっと疲れる。
それは仕方ないけど、祖母は祖母で色々世話をしたがる。
それが俺も母もうっとおしい。
で、ついつい「そんなこと今しなくて良いよ。じっとしてなよ!」って言ってしまう。
けど、祖母は祖母で納得したいんだ思う。
母が死んだとき、「私はやった」と納得したいんだろう。
それを汲んで、もう少し世話を任せればいいんだけど、それはそれであれこれやりたがり、うっとおしい。
今は求められた時にするぐらいで、側にいるだけでもいいのに。
それがどうにもできない。
昨日所長が話してくれた、以前俺が実習で訪問した筋ジストロフィーの子供を持つ母親の話を思い出した。
その子は去年死んでしまったそうだけど、母親はその子にやれることは全てやったと納得してたから、今ではすっごくいい笑顔でけらけら笑っているという。
自分に納得して家族を看取るということは、残される者が後に元気に回復して前向きになるために必要なんだろう。
そういうことを踏まえると、もう少し祖母の気持ちを汲んでやりたい気もする。
でも、実際はなかなか難しいけど。
職場の主任にもひさしぶりに状況報告をした。
うれしいぐらい励ましてくれる。
がんばります。
ありがとうございます。
最後までしっかりと自分自身に悔いを残さないように。
2003年8月31日 last 10 day
夕飯後に祖母が一旦自宅に帰った。
明日デイサービスに行くから、9月2日の昼過ぎまでこない。
うるさいのがいなくなって静かになって良かった。
でも、やはり母が寝た後に俺が家を出る時、家にはだれもいなくなるからとても心配。
やっぱりいて祖母にはいて欲しい気もする。
でも、静かで良かったりもする。
親の調子は低空飛行だが、やや安定してきた。
なんか、受け入れたみたいだ。
今まで「まだ生きてる・・・。こんなに迷惑かけていられない、早く死にたいー!」って毎日弱々しく叫んでたのに、
今朝「朝方神様から『9月半ばまで生きれるよ』ってお告げがあった。このまま迷惑かけても良いからそれまで生きようって思ったわ。」と言っていた。
それから体調も良くなって意識もはっきりしてる時間が増えている。
精神的に楽になったとも言ってる。
よくわからんが、現状と子に世話してもらうことを受容したんだろう。
受け入れるってすげーよな、実際こんにな変わるなんて。
俺は函館に帰ったタイミングがあの時で良かったのかと今でも悩む。
職場にも迷惑かけてしまったし、夏フェスにもいけなかったし、教育研修にも出られなかったし。
でも、あのタイミングしかなかったろうなとも思う。
あそこで函館に行かなかったら、母を気になって仕方なかっただろうし、母も祖母もすでに精神的に限界だったみたいだし。
どうにも俺も母も人の甘えるのが苦手な方だけど、それを素直に受け入れるというのはこういうことなんだろう。
来て良かった。
側にいてやれて良かった。
今はただそれだけで良いことを知った。
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