5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が伝えたい4つの事・後篇

1 / 4 ページ

前話: 5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が伝えたい4つの事・前篇

※ このストーリーは「5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が伝えたい4つの事・前篇」の続きになります。

前篇はこちら…http://storys.jp/story/7157

【後篇の全文字数:約11,000字】

15.2007年9月6日
16.6週間の休暇
17.職場復帰
18.腎臓の病気を発症
19.夫の浮気
20.入院の夜
21.心が離れた理由、そして離婚
22.再婚と出産
23.今、伝えたいこと
24.伝えたいこと、4つめ(追記)


15.2007年9月6日


 翌朝。

 2007年9月6日は、私にとって、生涯忘れられない日になった。

 朝から、さらに何錠もの陣痛促進剤を子宮に入れた。

 そのまま、分娩台に行き、出産の時を待つ。

 陣痛が始まった。

 陣痛が引いているうちは泣きじゃくり、陣痛が始まれば痛みに耐えるので精いっぱい。

 その繰り返し。

 普通の妊婦さんなら、陣痛の痛みのあと、わが子の対面が待っている。だから頑張りがいもある。

 しかし、私の場合は、ただ痛いだけ。

 その先には、何もない。何もないのだ……。

 一時間後に、ぽんっと体の一部が破裂したような感覚があった。破水だ。

 あとは、痛すぎて何がなんだかわからなかった。私はとにかく一心不乱に叫び続けた。

 いきめと何度も言われたが、やり方がわからない。

 全員が、逆子だった。

 それを、足からずるずると引きずり出される。一人、また一人。

 あくまで母体が最優先……子供たちの原形をとどめておく余裕などなかったようだ。


「手が取れちゃった」


「腕がもげちゃった」


 そんな声が看護師たちから聞こえた。

 しかし私は痛みで何がなんだかわからない。

 普通は出産後、赤ちゃんたちは、ふかふかの暖かなベッドに移してもらえるのだろう。

 しかし、彼らの行き先は……青いバケツの中だった。

 びちゃっ、びちゃっと、音がした。

 一度だけ、小さく、「おぎゃあ」と泣く赤ちゃんの声を、聞いた気がした。

 きっと空耳か、ほかの病室からだろう……。 


 父は昨日、帰り際に、

「まだ16週なら、ほとんど人間の形をしていないのではないかと思う。もし先生が見せてくれようとしても、お前は子供を見ない方がいい」

 とアドバイスをしてくれていた。

 しかし、父に言われるまでもなく、とても見られそうになかった。

 どれくらい時間がかかっただろうか……。

 手術が終った。

 3人とも男の子だったと告げられた。


 病室に戻ると、母が椅子に座っていた。呼ばなかったのに、ずっといたらしい。

「あんたの声、病室に響いてたよ」

 母は、そういってハンカチで涙をぬぐった。

「ここに、あの子がおらんでよかった」


 それは、夫のことだった。


「あの子には、あんたのあの声は、よう聞かせられん……」


 母はそう言って泣き出した。

 私は、母にも聞かせたくなかった。

 なんて、親不孝な娘なのだろう。

 いつか、母に孫を抱かせられる日が、来るのだろうか……。


追い打ち


 その夜、私は3枚の用紙を書いていた。

 死産届だ。

 12週を過ぎた場合は、提出が必要になるそうだ。

 誰にも頼めないので、自分で書いていた。

 痛みは、手術後、驚くぐらいすうっと引いていった。

 それが悲しかった。ボールペンで書いた字が涙でにじんだ。

 夫のサインが必要なので、夜に病院に来てもらった。

 そして、子供たちの火葬について、先生から聞いたことを説明した。

 死産届の提出と、火葬は提携の業者がやってくれるとのことだった。

 ただ、子どもたちは小さすぎて、骨はほぼ残らないだろうと。

 もともと私の両親は、引きずるのはよくないから、骨を残す必要はないと主張していたので、それで構わないと答えた。

 事後報告だ。夫は、わかった、とだけ答えた。


 翌日、全身黒い服を着た、お婆さんが病院に現れた。

 どうやら、この人が、「提携の業者」のようだ。

 黒い服に身を包み、鷲鼻で、まるで、美術の教科書か何かで見た「美女と老女のだまし絵」のような風貌だった。

 T先生とその老女は会話を交わし、死産届と、子供たちの骨が入った箱を手渡した。

 領収書の入った封筒を私に手渡し、老女は去って行った。

 病室に戻り、私は領収書を見て、絶句した。

 その領収書には、「○○汚物処理所」と書かれていたのだ。

 私は思わず叫びそうになった。そしてその紙をビリビリに破いてゴミ箱に捨てた。

 後から冷静に考えれば、その汚物処理所というのは単なる業者の名前であり、実際は火葬場で焼いてもらっているはずだ。

 しかしそのときは、自分の子供を結果的に「汚物」として「処理」してしまったことに、深い罪悪感を覚えた。

 そして、今度は何があっても産もう、もう二度と中絶はしない……そう誓った。


 しかし、この夫との「次」は訪れることはなかった。

 私は、たかをくくっていたのだ。

 こんなにつらい思いをしたから、絆は深まったに違いないと。

 そして、夫も同じ気持ちのはずだと。


 完全に、甘えてしまっていた。


16.6週間の休暇


 手術後、6週間会社を休んだ。

 休暇中に、「ブラックジャックによろしく」を買って読んだ。
 NICUの話があるとネットで知ったからだ。(3~4巻)

 夫には「今は読まないほうがいいんじゃないか」と言われたが、時間もあったのでつい買ってしまった。

 いつ読んでも、最後の赤ちゃんが泣くシーンで、涙が止まらなくなってしまう。


 http://mangaonweb.com/creatorOCCategoryDetail.do?action=list&no=2&cn=1


 また、ある時は、夫が地元に帰り、Mさんたちと飲みに行った。
 私は、気晴らしになればと思い、快く送り出した。

 しかし、帰って来た夫と、喧嘩をしてしまった。

 夫がMさんたちに、「子供をおろした」と、そのまま事実を伝えたからだ。

 私は手あたり次第のものを夫に投げつけ、泣き喚いた。
 誰にも知られたくなかった。自分が中絶したということを。

本当の事を言って、何が悪いんだよ!?

 それから数日、夫とは口を聞かなかった。


著者のm mさんに人生相談を申込む

著者のm mさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。