5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が伝えたい4つの事・後篇
旅行へ
数日後、家で漫画ばかり読む私を見かねた夫が、こう提案してきた。
私たちは、新婚旅行にすら行っていなかった。
夫がいうには、11月から派遣先の病院が変わり、そこの主任を務めることになったという。
主任となると、本当に休めなくなるので、その前に行っておきたい、とのことだった。
もちろん口には出さなかったが、正直、その場限りの話だと思っていた。
本当に夫が行動に移していたのに驚いた。
旅行先は、米沢になった。
夫は、パチンコも含めて、「花の慶次」の大ファンだったのだ。
前田慶次ゆかりの地を巡ってくれる観光タクシーがあったので、それを手配した。
米沢は、ちょうど2009年から大河ドラマ「直江兼続」の舞台になることもあり、お祭りムードで盛り上がっていた。直江兼続は「花の慶次」にも登場するので、だいぶ先だけど楽しみだね、と話していた。
さらに、海がみたいということで、松島にも足を運んだ。
宿泊先の旅館から見える朝日は美しく、きっとこの先、どんなことも夫と乗り越えることができるだろうと感じた。
次はもうひとつのゆかりの地である、金沢にも行こうね。そう約束して帰った。
そしてそれが、最初で最後の夫との旅行になった。
17.職場復帰
6週間後、私は職場復帰した。
職場の人によく言われたのが、この3つだ。
1.不妊治療をしていたの?
2.世間では、4つ子や5つ子で生まれる子もテレビで見るのに、3つ子でも難しいんだね。
3.誰か一人でも助けてあげられなかったの?
2については本当によく言われたが……おそらく、そういうのは、1卵生じゃなかったり、胎盤がきちんと分かれていたケースだったのだろう。
3は……減数手術については、誰も提案してきた医者はいなかった。
もしかしたら、胎盤がつながっているので、難しかったのかもしれない。
ただ、矛盾している、と言われればそれまでだが、もし仮に私に医者が「減数手術」を勧めてきたとしても、私にはできなかっただろう。
3人のうち、誰かを選び、誰かを見殺しにする、ということは……。
復帰してすぐの検診では、T先生にも、
と、許可をもらった。
しかし、あろうことが、私はその夜……泣いてしまったのだ。
なぜ涙が出るのか、自分でも説明できなかった。
子宮が回復しても、まだ心は回復していなかったのかもしれない。
しかし、それを最後に、夫が私を求めてくることはなくなった。
夫は新しい職場になり、勤務時間も延び、月に1度の休みもなくなってしまった。
人手が足りず、朝ごはんに間に合わないからと、自宅に帰らずに、寝泊りすることも増えていった。
地元に帰り、Mさんなど友人たちと、飲み会に行くこともなくなった。
また夫は、時々私を職場の飲み会に同伴させることがあったが、それもなくなっていった。
ちょうどその頃、勝間和代さんがブームになった。
夫のいない休日を過ごす私は、すっかりカツマー化し、勝間和代さんにのめり込んだ。
私もこの人のようなすごい女性になれば、夫も喜んでくれるだろうと考えた。
本を全冊購入し、資格試験に精を出したり、セミナーや勉強会に参加したり、英会話に通いだしたりした。
もっとも、動機が不純だったためか、その頃の投資で身についたものは、あまり多くはないけれど。
また、私の手術を担当したT産婦人科からは、高齢を理由に、産科を閉鎖し、婦人科一本のクリニックに変わったという知らせが入った。
18.腎臓の病気を発症
そのまま、1年以上が経過した。
子供に関しては、ほしい気持ちはあったが、夫も「しんどい」「眠い」ばかりだし、もう少し時間が必要なのかもしれないと考えていた。
夫が転職して、もう少し楽な仕事に就けば、そういった余裕も生まれてくるだろうと考えていた。
それに、また同じことになったら……と思うと、怖くて踏み切れなかったのもある。
気がかりだったのは、私の腎臓の事だった。
私の子宮は回復したが……腎臓は一向に回復しなかった。
潜血も、蛋白も、ずっと++のままだった。
しかし、直接身体に痛み等何らかの症状が出ているわけではなかった。
また、A医療センターの腎臓内科も定期的に受診していたが、「経過観察」と言われ、特になにもしていなかった。
2009年の春、腎臓内科での主治医が若い女性に変わった。
その医師に勧められて「腎生検」を受けることになった。
腎臓に針を刺して腎臓の細胞を採取する検査だ。
検査といっても手術にあたるため、保証人が2名必要になる。
夫ともう一人……私は重い足取りで実家に行き、父親に、腎臓が回復していないので、検査が必要であり、保証人になってほしい旨を伝えた。
母は、「なぜあんたばかりがそんな目に合うの?」と、また泣いてしまった。
入院期間中、夫は一度もお見舞いに訪れなかった。
代わりに、夫の両親が毎日お見舞いに来てくれた。
そして、検査の結果、私についた病名は、「IgA腎症」というものだった。
http://www.nanbyou.or.jp/entry/41 http://ja.wikipedia.org/wiki/IgA%E8%85%8E%E7%97%87
しかも、「予後比較的不良群」である。
これは「5年以上・20年以内に透析療法に移行する可能性があるもの」とされている。
私の採取した腎細胞は、約3割がすでに壊死していたらしい。
28歳の自分にとって、「20年以内に透析」というのは、重い宣告だった。
そして私にとって、最も気がかりなこと……。
それを、主治医にぶつける。
ステロイドパルス療法は、確立された治療法ではなく、万人に効果があるわけではないらしい。
私に効果があるかどうかは、やってみないとわからない。
時間の流れに任せてと考えていたものの、いざ、あと1年は作れないといわれると、結構つらいものがあった。
そして腎機能が回復しなければ、妊娠中に透析開始、という可能性もありうるのだ。
やはり、中絶すべきではなかったのだ。
産婦人科の先生たちは何て言った?
若いから、またやり直せるって、また妊娠できるって言わなかった?
でも私は、もう子どもを産めないかもしれないのだ。
もし無理に妊娠して、それで透析に移行したら? 子どもを育てられるの?
IgA腎症とは
誤解のないように記しておくが、けっして中絶が原因で、IgA腎症になったわけではない。
たまたま、私がこのタイミング発症した、とのことだ。
IgA腎症は原因がよくわかっていない病気である。
また、男性の方が多いという。
たとえばNPOで大学生の中退予防に取り組んでいる山本繁氏は、学生時代にIgA腎症が分かったと自著で告白している。
https://twitter.com/npo_newvery/status/309299523220566016
私の場合は、たまたま、妊娠がきっかけでIgA腎症が発覚した、ということだ。
その頃、
と、私に言ってくれた人がいる。誰かは忘れてしまったが。
すごく身勝手な考え方なのかもしれないが、その言葉に少しだけ救われた。
そして、その入院をきっかけに、今度は夫の「本当の気持ち」を、私は知ることになった。
19.夫の浮気
入院の準備に明け暮れていたある日、夫が出勤前に、何か探し物をしていたらしく、カバンの中身をぶちまけた状態で、出て行った。
私は整理しようとし、プリント類に挟まった、映画のチケットの半券を見つけた。
それは、「余命一ヶ月の花嫁」のチケットだった。
もともとアニメ以外ほとんどみない男性が一人、あるいは友人たちと観に行く映画とは、考えづらかった。
著者のm mさんに人生相談を申込む
著者のm mさんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます