4浪して獣医学科に入った私がなぜ生協で営業の仕事をしトップをとっていたかの話

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・ルートセールス(約束があるところへ営業に行く)

・飛び込み営業(その字の通り)


当然どれもやったことがなかった。


最初は事務所内で同僚や上司相手に練習した。

商品説明、電話営業のやり方、訪問してから帰るまでの流れ。。。

汗だくになった。

今まで経験したことのない緊張感。

ムズカシイ。。。。


電話帳のリストをもらい電話を掛け始めた。

「もしもし、私○●生協の正司と申します。お忙しいところ大変申し訳ありません。。。」

「いそがしいから」

ガチャン!!!!!!


「もしもし、私○●生協の正司と申します。ただいま、沢山の方に生協を知っていただきたいと思いまして。。。」

「だれ?おかぁさ~~~ん」

(電話の向こうで:だれ?せいきょう?あ~、いい、いい。何回も掛けてきてしつこいから、切っていいよ。)

ガチャン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


これの繰り返しだった。

電話を何時間も掛けると耳が痛くなった。

話くらい聞いてよ。と思うほど、ガチャンの嵐だった。

たま~に、聞いてくださる方はいるけれど最終的にはガチャンだった。


約束が取れなくて電話を掛けまくっただけの日もあった。1日に200件以上かける。

こんな毎日が続くと気持ちがグダグダしてくる。


時々、話だけならいいですよという人がいらっしゃる。

本当に、天使に思えた。

訪問の日時を決めて、実際に伺う。商品サンプルを説明し、利用方法を話す。


「ためしてからね。」

「高いね。」

「スーパーのほうが安いよね。」

色々なご意見があったが、ごもっともなことなので再訪問の日付を決めて帰る。


感触がよかったところなんかは契約してくれるかな~と期待満々で再訪問!!

ピンポ~ン

「ごめんね、やっぱりやりません」

プツッ。。。。。


こんな毎日だった。

加入したいんですけど。。。とお客様から連絡が入った場合は当然のように契約に結びついた。

でも、それ以外は全然、まったく契約が取れなかった。


営業なので当然ノルマがある。

個々人の数字は言われないが、全体の達成目標はちゃんとある。

この期間にこれだけの契約数。

ほかの方の営業力はすばらしいもので、ぐんぐん目標に近づいていた。

しかしながら、私の成績はゼロのままだった。


またもや、居場所がなかった。


営業に行って帰る、「どうだった?」と聞かれるのが本当に辛かった。


そんなある日、営業成績トップの人と一緒に仕事をする機会があった。とにかく、必ずと言っていいほど契約に結びつける。そうなりたい。本当に!!!


ずっと、お客様との会話を聞いていた。

「あっ!!!!!!!」

目からウロコだった。


まさかの、雑談からだった。

雑談をしているうちに、そのお客様が何が好きで、何に困っていて、どうしたいのかを掴んでしまっていた。本当に相手のハートをガッチリ掴んでしまっていた。

そして話の内容が、信じられないくらいシンプル。びっくりするくらいシンプルでわかりやすい。

「これだ!!」


私の話は「小難しく」「説教がましく」「屁理屈が多い」

だから、お客様がよくわからなくて、面倒くさくなって、別にスーパーで買うし。。。になっていた。

よし、やってみよう。実践だ!!!


契約が面白いように取れる

次の日、本当にかる~~~い感じで営業に行った。

そんなにおちゃらけてていいのか?

そんな感じでした。そのくらいの感じで行かなくては私の話し方はカチカチだった。


雑談から入って、世間話して、試しにやってみて無理と思ったらやめたらいいし、意外によかったら続ければいいですし、そんな難しく構えなくてもいいですよ。

ケーキを作ったりされるなら、この生クリーム使ってみてください。スーパーのものより100円高いけど、使っていただいたら絶対にわかります。本当においしいんですよ。


じゃあ、ためしにやってみようかな。お試し期間しかやらないかもしれないけど。。。

みたいな感じで、簡単に契約が取れてしまった。

あれ?

今までもっと詳しく、ああでもない・こうでもない、ここが違ってあ~だこ~だ。いっぱい喋っていましたが。。。。結局、お客さまの心には何一つ届いてなかった。


その日は全部契約が取れてしまった。天変地異だった。

事務所に帰って契約書を出したら、大騒ぎだった。

「どうしたん?やりかたかえたん?」

いっぱい褒められて本当に嬉しかった。


それからは、水を得た魚のようだった。

・気楽に試したい人

・アレルギーがひどくて困っている人

・無農薬、無添加のものを探している人

・安全なものを子供に食べさせたい人


相手の求めるものに応じて自分の喋りを完全に変えていった。

あいての求めることを掴んで話をしないと、聞く耳を持ってくれないのは当然だった。

そんなことすらわからなかったのだ。

いつも自分が主役の会話ばかりだった。

相手のことはあまり考えていなかった。



最終的に、営業トップになった。

そして、私は獣医に戻る決意をした。

自分の中で、苦手な営業でトップを取ったら獣医に戻ると決めていたのだ。

2年の月日が流れていた。

いつも、遠回りする。

獣医学科に入る時もそうだった。

でも、この営業の仕事で玄関先の土間に正座して座ったり、謝罪のために土下座状態で謝ったりもした。偉そうに、上から目線で喋って、先生と呼ばれることに慣れていたことを思うと全く逆の世界だった。なんとなく自分の中で、肩書きを振り回して偉そうにしたくないという思いが強かった。

そんなことはつまらない、人間として意味がないことと思っていた。

この2年間で、話を聞いてもらうことの難しさや、興味のないお客さまに販売していくコツなどを掴んだ。

本当に貴重すぎる2年間だった。


動物病院に獣医として復帰

私に苦手な営業の仕事をしてきなさいと勧めてくれたマネージャーのいる動物病院に無給で復帰した。

勉強がしたいので、給料はいりません。


学校には何かを教わりに行く。教えてもらうのだから、授業料を払う。これは、当然のこと。それと同じ感覚で動物病院に勉強に行きたかった。申し訳ないが授業料を払う事は出来なかった。その代わり。。。ではないが、少しでも役に立ちたかった。


いきなり、心臓発作を起こした老犬がやってきた。心肺停止だった。もちろん、院長は外来で手を離せる状態ではなかった。

復帰初日に緊急状態の老犬を任された。任せてもらえたことが本当にうれしかった。

心肺停止から復活することはなかった。。。

でも、自分ができることは全てやりつくした。生協で営業をしていても獣医の勉強だけはちゃんとやっていた。

初めて会う飼主様から「ありがとうございました。もう、十分生きましたから蘇生は終わりにしてください。」そう言われた。そして、そのワンちゃんとの思い出話をしてくださった。

獣医として命にかかわり続けたい。

飼主様とペットたちから逃げていた自分


「本当に変わったね~。頑張ったんだね。」


マネージャーからそう言ってもらえたことが本当にうれしかった。



おそらく、あの時勧められるた事を素直に受け入れ、営業と言う本当に苦手な仕事に行っていなければ、今の私はいないと思う。

それだけ、営業に行って学んだことは多く、獣医と言う仕事についても深く考えた。

それまでは、随分高飛車で上から目線だった。変に獣医だし。。。というプライドばかりが先行していた。立場上、先生と言われる。でも、それを当然と思ったり、偉い立場だと勘違いするのは全く違う。


もっともっと、飼主様と膝を突き合わせる事が大事だし、医療用語をさも当然のように使うのも違うし、もっと飼主様にお願いしないといけないのではないか?と思うようになった。


お薬を飲ませてもらうこと、連れてきてもらうこと、私の考えていることを聞いてもらうこと。。。

全部が当然ではないし、お願いしないといけないことのはず。


その動物病院を後にしてから職場を2つ経験した。その後、2006年3月3日に動物病院を開業し院長と言う立場になった。


長い浪人を経て獣医師免許を手にした。

でも、その獣医師免許を紙くずにしないですんだのは営業に行ったお陰だと思う。

いつも遠回りするような気がする。

でも、その遠回りのおかげで私の獣医師としてのスタイルやスタンスができたことは間違いない。

自分の全てが嫌いだった数年前。

歩いてきた人生の紆余曲折のすべてを無駄な道のりと思ったこともあった。

嬉しい事に今はそう思わない。

無駄かどうかを決めるのは誰でもない私自身だから。
















 










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