住所不定無職の旅人から大学教員になった話。

1 / 3 ページ

次話: 住所不定無職の旅人なのに結婚することが出来た話①

旅に出発した時に持っていった本は2冊だけだった。



旅人となって日本を出発する時最初に持参したのは、高橋歩の「LOVE AND FREE」とパウロ・コエーリョの「アルケミスト」の2冊だった。

どちらも自分が旅人になろうと思ったきっかけの本だ。


「LOVE AND FREE」 は高橋歩が夫婦で世界中を1年8ヶ月旅していく中で感じたことを表現しているのだが、言葉がストレートで力があって、芯に響いてくる感じが好きで持っていった。

こんな力のある表現者になりたいという希望も込めて。


「アルケミスト」は人生や旅において最も重要な事は、心の声を聴くことだと物語を通じて表現しており、自分の旅と重なるものを感じて日本で何度も読み返していたので、持っていった。



この2冊は暫くの間、一緒に持って移動していたが、「LOVE AND FREE」はだんだん自身の心の言葉とは違うことに気付き、途中で旅先の宿に寄贈した。

「アルケミスト」は何度も読み返し、自身の心に栄養となったので、やはり途中で旅人と交換した。



旅をしていると、暇な時間が圧倒的に多い。

移動する時間は景色を楽しめがいいが、それだって限度がある。

また、目的地に着いても毎日観光するわけではなく、宿でだらだらっと疲れを癒やす日のほうが多かったりする。


移動のペースが早い時でも、到着日は宿周辺を散策し地理や飯屋さんの場所を把握し、2,3日目に観光し、4日目に次の目的地を下調べしたりし、5日目に移動って感じだ。

なので旅人は圧倒的に宿で過ごす時間が多いのだが、その時間のほとんどを俺は読書で過ごした。

その多くは宿にだれかが置いていった本や、旅先で知り合った日本人と交換した本だ。

移動時や暇な時間に何も読むものがないのは軽く恐怖だった。

初めはそのストックが1,2冊だったが、時間が経つに連れ常に5,6冊はストックがないと不安になってしまった。



2年間で読んだ冊数は300冊を軽く超える。

これでもかなりゆっくり読むよう心掛けてのことだ。

ゆっくり一言一言大事にしながら様々なジャンルの本を読んでいた。


後で、リストを見直すと、まー種類の多いこと。

ガイドブックを初め、SF、伝記、歴史小説(大好物)、哲学、神話、ライトノベル、純文学、エロ小説(こうぶ・・・、いやそれほどでも。(汗))、経済、飛行機サスペンス、推理小説(好物)、マンガ(大好物)、宗教、アート、パニック、ホラー、etc...

分類ができないものも多かった。



かなりの数の本を読んでは交換し、読んでは交換しと繰り返していたが、所詮は誰かとその都度交換するものであるため、系統だって何かを学ぶことが出来なかった。

当然である。



2年間の旅人生活で感じたことの一つが「社会で働くということは、知らず知らずにその世界において必要な技術や知識を系統だって学び続けている」という事実だ。



系統だった知識への渇望



旅も1年半も経つと系統だって何かを学ぶ機会を失って久しく、焦燥感を抱き始めていた。

自身が知りたい、学びたい事柄についていつだって断片的にしか知識を得られないもどかしさを感じていた。

言い換えたら、「系統だった知識への渇望」を感じていた。


それまでの自分は専門学校卒で、精神科看護師として病院で働いていたが、さほど熱心に勉強するタイプではなかった。

むしろ働いて2年間は全く精神科関連の本を開いたこともなく、場当たり的な勢いだけでやり過ごしていた。

入職3年目から仲間と一緒に勉強するようになったら面白くなってきたが、それでも冊数は月に1冊程度だった。


だからそんな自分が、「系統だった知識への渇望」なんて感じる事自体が違和感でいっぱいだった。


あの頃は日々ばたばた働いていて、「多くの学びを得ている」などとという感覚は皆無に等しかった。

しかし、そんなばたばたの日々の経験にこそ系統だった学びの形があったのだ。



また、旅に出て長く非生産的な時間を過ごしていると、社会で働く生産的な時間の尊さを感じる。

「自分ももう一度生産的な時間を持ちたいな」と思い始めた。

旅に出る前の自分からは想像も出来ない気持ちだった。


結局まる2年旅を続け、バルセロナで友人の旅人夫婦に再開し終えた後、なんか気持ちの整理が着いた。



自分はここまでの旅に満足している。

旅に終わりはない。自分で終わらせるだけだ。


自分は未知への恐怖を乗り越え、今しか出来ない一歩を踏み出すことができた。

その事実そのものが旅で得た50%の価値がある宝だ。



まだまだ最初に計画した旅のゴール地点は先だが、自分はこれ以上何を欲しているのだろう?

残りの50%の宝もすでに獲ているのに。

旅から沢山のことを学んだ。沢山の出会いがあった。沢山の感動があった。

そして、感動を共有できる伴侶も得た。

自分の心の中にある、宝物入れは十分一杯になった。

だから日本に帰ろう。


そうして、俺は日本に帰国した。



帰国してまず、考えたこと。


「車が、左車線走ってる・・・すげー、新鮮」ってことじゃなく!

2008年9月、日本に帰国後新居をどの街にするかから検討することとなり、それが決まると就職先探しだ。

が、さすが看護師資格、再就職にはかなり強い。

まさかまた日本で看護師として働く日が来ようとは思っても見なかったが、楽勝で病院に再就職が出来た。


出発前は独身だったのに、日本に帰国したら既婚になっており、まず考えたのが「給料上げていかなきゃアカンよな」だった。


日本の看護職の給与体型の特徴の一つは学歴によって、同じ看護職でもはっきり初任給から違うということだ。

病院によって千差万別だが、専門学校卒と短大卒と4大卒ではそれぞれ1万円も違うことがある。

なので、まずは学歴をつけようと考え、編入学が可能な大学を調べ始めた。

正直どこの看護系大学にも全く惹かれなかったため、どうしようかと迷っていると、面白そうな大学を見つけた。

それが人間総合科学大学だった。

そこの「人間科学科」は通信制が主流で働きながら自宅で学習を重ねることが出来るというのが、貯蓄の少ない我が家的に良かった。



その上、学科が人間を総合的に捉えることを目標に掲げているため、学習領域は身体的側面・心理的側面・社会文化的側面の3方向からアプローチするというところに惹かれた。



俺が旅を通じ最も興味を抱いたのが「日本人の宗教観と海外の宗教観の違い」だったからだ。

それに看護師として働く以上身体的側面の復習は必須だろう。

また、元精神科看護師として心理的側面の学習は興味があった。

そして、必要単位を習得後、大学学位・学位授与機構へ申請することにより「看護学」の学士も取得出来るとある。

「系統だった学びへの飢えを満たしつつ、働きながら学歴を上げ給料のベースを上げる事ができる」という全ての条件が整っていた。

わくわくを感じ、ぴーんと心に何かが来た瞬間だった。



趣味、勉強。



すぐに応募して次年度2009年4月からの入学が決まった。

入学が決まり、入学式のため大学に向かう時の心のウキウキした気持ちを今でも忘れない。

とっても嬉しかったのだ。


自分は専門学校卒だったたので学歴にどっかコンプレックスを感じていた。

だから純粋に大学生になれたことが嬉しくて嬉しくてウキウキした。


入学すると周りにいるのは年齢・性別、職業も皆ばらばらで社会人入学者が圧倒的に多かった。

通信制で入学式にわざわざ来ている時点でかなり皆のモチベーションは高い。

授業の取り方などのオリエンテーションを受ける表情からも皆真剣そのものだ。

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。