住所不定無職の旅人から大学教員になった話。

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やはり、自分の懐を痛めて大学に通おうとする者は、お金の大事さを痛感しているので、高校からそのまま親の金で進学する一般の大学生と本気度がまるで違う。


入学式の帰り道に早速60代くらいの男性とお話をすると、なんと高校野球の監督を長く勤め、自身の指導を振り返るために入学したという。

その方とはその後もしばらく情報をやり取りする間柄となった。

お互い通信科目より対面授業科目を好んで選択していたので、面白かった授業などを教えあった。


3年次編入学だったので、入学から卒業まで2年間しかない。

その間に卒業論文の作成と発表を含めおよそ100単位を取得した。

勉強が楽しくて楽しくてしょうがなかった。


新しい教科書をめくる瞬間からワクワクした。

難しい内容のものも必ず一読し、ラインを引いてから授業に望んだ。

通信科目のみのものはモチベーションが上がらないので、後回しにして極力大学に通って対面授業を受けていた。

片道2時間以上あるが移動時間が良い読書タイムだ。


その頃勤めていた病院は日本でも有名な忙しさを誇る急性期病院だ。

年休はおろか週休もお買い上げとなってしまう月もあったが、それでも同僚の理解から休みを調整してくれスクーリングには良く通わせてもらった。

また、この時期我が家では妻が妊娠・出産となり、俺は看護師と学生と父親の3足のわらじをいっぺんに履くこととなり、大分大変な時期だったが、勉強が一番の息抜きとなっていた。


それぐらいどんどん吸収していった。

これは旅で感じた「系統だった知識への渇望」を満たす行為そのものだったからだろう。




事務からまさかの返事。



2年間誰よりも積極的に授業に参加し、卒業論文も一段落した頃、今後自分の給料が本当に上がるのか職場の事務に確認しに行った。

そしたら事務からまさかの返事が帰ってきた。


「看護学学士を取得しても基本給は上がりません」


ショックだった。

理由を確認すると、「4大卒か専門学校卒かの違いは学位ではなく、卒業時に持っている資格にあると判断するからです」とのことだ。

つまり、看護専門学校は卒業後看護師国家試験受験資格を取得する。それに合格すると看護師として日本中どこの病院にでも働くことが出来る。

4年生の看護大学はそれ全過程終了後看護師国家試験受験資格と保健師国家試験受験資格の両方を取得でき、両方に合格すると看護師及び保健師として日本中どこの病院でも働くことが出来る。

もちろん保健師は地域保健センターなどでも就職は可能だ。


しかし、保健師の試験に落ちる子も中にはいるわけで、それでも看護師国家試験を合格していたらその子は4大卒としての給与が適用になっている。

納得が行かず、しばらくやりとりをしていたら、事務のデスクに別の紙が置いてあった。


「当院付属の看護系大学設立準備室より、当院職員から大学教員の募集」とあった。

一枚もらい詳しく聞いてみると、今後病院系列付属で看護系大学を設置予定であり、大学準備室がすぐ隣りの建物内にあり、準備を進めている学部長予定の大学教員がすでに数名在籍しているという。

大学教員の条件として修士以上の学位が必要とある。

試しに事務に聞いてみると、「看護学修士を取得していたら基本給は2号俸上がりますよ」とのこと。


おお!

ここでも何かピンくるものがここでもあった。

予感めいた何かがあった。


早速大学準備室を訪ね詳しい話を聴く。

大学準備室にはまだ3名の教員しかいなかった。

そのうちの一人が大学教員になる手順や、必要な条件、給与、仕事内容などを詳しく教えてくれた。


その時知ったのだが、大学教員になるには小・中・高と違い教員免許などの資格は必要ないのだ。

看護師としての実践歴があれば、どの分野の修士課程でも良い(経済学や社会学などでも)ので修了していれば、大学教員になれてしまうのだ。

給与は一般的には夜勤手当がなくなる分下がると言われている。


しかし、その時の教員は「一般的には給与は下がると言われてるけど、高い入学金を払って大学院で勉強してきた者が夜勤手当があるからって臨床の看護師と同じ給料なわけはないわ」と宣言していた。

実際はかなりケースバイケースなのだが、この言葉を信じ、新たなキャリアとして考え始めた。


さて、いざ大学院に進学といっても専攻をどうするか?

働きながら可能なのか?試験科目は大丈夫か?学費はいくらか?

わからないことだらけだった。


専攻を考えたとき、給与やその後のキャリアのことも考えて当然「看護学」となるが、「看護学」もさらに細分化される。

「成人看護」「老年看護」「家族看護」「地域看護」「看護教育」「看護管理」・・・。


すぐに「看護管理」に興味がわいた。

当時俺が働いていた病院、病棟はとにかく忙しく、職員の離職がすごかった。

どれくらい忙しいかというと、救急車受け入れ件数日本一になったことがある病院で、昼も夜も救急車がひっきりなしに来て月1000件を超えていた。

とくに総合内科病棟は高齢者の緊急入院が多く、急変率も高い。

病棟の看護師はあまりの忙しさにうんざりして1か月も経たず次々辞めて行き、その後もトラウマになって看護師としてしばらく働けない者もいたほどだった。

管理者も病棟に愛着を持つ者が現れず1年ごとに替わっていた。

それゆえ、労働管理を行うだけの知識も経験もない若いスタッフが主戦力として働いていた。


なんでこんなにこの病棟は人が辞めるのか?

何が一番の原因なのか?

もっとも効果的な対応策は何か?


この問題は看護管理者としての視点を持たないとわからないなと感じていた。

そのため、大学院での専攻を「看護管理」決めた。


大学院の入試はどこも当然のように「英語」が必須だ。

それプラス研究計画書を作成して指導教授に面会に行く必要もある。

英語はコミュニケーションには自信があったが、筆記は高校生の頃から全くやっておらず、全然自信がなかった。


色々通える範囲で大学院を探していると入試に「英語」がないところを発見。

小論文と面接だけだ。

しかも、専攻が「看護管理・開発学」とある。

開発学ってのがなんだか面白そうなので、早速メールで連絡を取り、話を聞きに行くことにする。

それが、国際医療福祉大学大学院だった。



指導教授に初めてあった時の印象は、とにかくすごいオーラだった。

とってもおしゃれな女性の教授はA41枚にまとめた俺の研究計画書をものの数秒で読んだ後、「研究計画は全く違うものになるかもしれませんが、それでも良いですか?」と話した。

また、「看護管理・開発学」については、「看護管理が従来の病院内でのマネジメントに終始しているのに対して、開発学は社会の中で「看護」をより発展的に活用できないかを考えていくもの」と説明してくれた。


しびれた。

カッコいいと素直に感じた。


そして、大学院生としてその教授のゼミで学ぶ1年先輩の男性を紹介してくれた。


その男性は俺と同じ年齢だった。

とても驚いた。

同じ年齢で看護管理に関心を持っている者がいることに驚きと感動を覚えた。

病院を切り盛りする看護部長なんて大体50~60代の女性が多い。

そんな中30歳前後の男性はとても目立つ。

彼と一緒に学んで行くなら心強いなと勇気をもらいこの大学院に決めた。


その後大学の卒業論文の仕上げと大学院入試のための書類の準備、大学学位授与機構での「看護学学士」申請のための書類の準備と忙しかったが、勢いのついたまま一気に進めた。


その年の12月、大学院入試での小論文の出来栄えはいまいちで、また来年受けようと思いつつ面接を受けた。

面接では学科長と指導教授が面接に当たったが、なぜか研究計画書よりも履歴書にあった住所不定無職の旅人だった2年間について興味深く尋ねられたのが印象的だった。

そこ?って感じだ。


翌月、合格通知書が家に届いた時の喜びは忘れられない。



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