【筋肉は世界の共通言語】元高校球児が、10年かけ筋肉バカドットコムというサイトを作るまでの話。<2回目>

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僕は野球を通じて何を実現したかったのか。

ペンを握り、テーブルに置かれた何も書かれていない紙に向けて自ら問いかけていました。

なぜ僕は野球を仕事にしようとしてきたのだろうか?と。


授業中に怒られながら隠れて読んだ本の事を思い出します。


「人生には、目的と手段の2種類があるんだよ」


目的とは自分が成し遂げたい事であり、

手段とはその目的(成し遂げたい事)に到達するための方法です。


もし僕にとって、プロ野球選手になることだけが成し遂げたい事であれば、そこから何年かけてでも練習を積み重ねて、独立リーグに挑戦したはずなのです。


しかしそうしたいと思わなかったのは、自分の実力では、理想とする目的に到達できないと判断したからなのです。

ではその理想とする目的とはなんだったのでしょうか?


多くの人を喜ばせる事が目的、圧倒的レベルの選手になることは必須条件


僕は千葉県生まれなので、千葉ロッテマリーンズの試合も観にいった事があり、プロ野球のTV中継も良く観ていました。

そこで目に映る映像は、何万人もの観客が熱狂的に応援し、初めてそこで会った人たち同士が時に喜び、時に涙を流しているシーンです。

いいプレーをし活躍をすれば、沢山の人が喜んでくれる。

それは球場にいる人だけではなくて、TVや新聞、ラジオを通じて日本全国の人たちが一斉にです。

小学生の時は漠然とでしたが、

中学生になるとプロ野球選手というものはなんてすばらしい仕事なんだろうかと強く感じ、目指すことになったのです。


そして僕の中に常にイメージがあった理想の選手像は、

実力はもちろんのこと、常に明るく、ファンやユーモアを大切にできる選手。


それは例えるならば、阪神、そして日ハムでパリーグを盛り上げ、のちにメジャーで活躍されていった新庄剛志さんの様な選手像でした。

特にパリーグと北海道を盛り上げたエンターテイメント性はみなさんも良くご存じだと思います。

そういった選手になるには、どんな状況でもスタメンやエースとして君臨できる実力者でなけばいけません。

監督にある程度の自由を許されるほどの圧倒的な実力を持っていないといけないわけです。


僕は多くの人に喜んで貰いたくて、喜ばせたくて野球選手を目指していたんだ。

それが明確になり自覚した瞬間でした。



野球は諦めた。しかし多くの人を喜ばせる事は一切変わらない


この世の中には様々な職業や生き方があり、

多くの人に喜んでもらうことは、決して野球じゃなくてもできるはず。


それが分かってくると、

少しづつ希望が生まれはじめました。


まだ、僕の人生は終わっちゃなんかいない・・・。


白紙だった紙に

「多くの人を喜ばせる為には何をするべきか。」

という文字を書き、再び、アルバイトの求人雑誌を手に取りました。


目の前の現実は受け入れなければいけません、

生活費を稼ぐため、そして自分には何ができるかを見つける為に。



様々なアルバイトをしながら社会を学ぶ日々


多くの同年代は真面目に勉強をし、大学や専門学校へと進学したり就職したりしていました。

その中で僕は違う道を選んでいましたし、そもそも赤点レベルかつ興味のある学問しか点数が取れない以上、今からまた進学コースに行けるとも思いませんでした。


野球の為に通った専門学校(1年通った健康スポーツ科)の勉強を活かし、スポーツトレーナーの道を目指すべきなのか・・・。


通常は、飲食店やどこかに弟子入りし就職などをして、1つの場所でジックリ腰を据えて働く事が良いと思うのですが、僕は日払いを中心とした収入的に不安定な生活をしていました。


引っ越し、倉庫の整理、ティッシュ配り、

いろんなアルバイトで生活費を稼いでいきます。


それはなぜかと言えば、色んな仕事を経験した方が仕事に対する経験が増え、後で自分の道で悩まず、かつそれらの経験が活きてくるという持論があったからです。

とはいうものの、日払いや短期のアルバイトの中で僕が経験した理不尽な出来事の数々は、誰にでも薦められるものではありませんが・・・。


金銭的にはもちろんなかなか恵まれないのですが、その生活の中で僕は多くの人と出会い、そして色んな人が持つそれぞれの人生感を教えてもらい、精神的にタフになっていきます。


ただ、具体的に僕がこれからやるべきこと。

その手段を見つけて決めるまでには至っていませんでしたし、

どうすれば、何をすればいいのか。自分には何ができるのか。

常に悩みながら、アルバイト生活を送っていました。



目の前にあるパソコンを意識する

20歳にもなり、日払いの給料をもらいに事務所へと向かうと、

いつものようにパソコンを使いながら、

アルバイトの出勤やお客さんとの取引状況などを管理している内勤の人たちがそこにいました。


「あ、遠藤さんお疲れ様です。給料の受け取りですか?」

事務処理をしてくれた方は年齢は自分とほぼ同じか1つや2つ上程度。


僕は印鑑の押された仕事完了シートを差し出し、1日働いて6000円弱のお金を受け取る間、

すぐそばにある事務所の椅子に腰をかけました。


その時にふつふつと感じたのです。


このままじゃいけない。どうすればいいか・・・。


もしあのパソコンができれば、自分にも何かができるかもしれない。

それはなんだろうか。

そうだ。パソコンが使えれば多くの人と仕事をしたり繋がる事ができるとTVで見た事がある。


すると僕の中で、プロ野球の球場で、熱狂し感動を分かち合う大勢の人たちの顔が浮かんできたのです。


キーボードも打てないし、マウスの使い方もわからない。

でもパソコンを覚えれば・・・きっと今よりは良い方向に進めるはずだ!



6000円と小銭のお金を受け取り、

何かが閃いたように僕は事務所を出て、そのままパソコンが売っている電気屋へと小走りに向かったのです。



つづく

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