東京ではみんなが「トレンディドラマ」の俳優のような話し方をすると知って驚いた頃の話

著者: Matsui Takahiro

「やっぱり,こっちとくらべてさ,東京は寒いんだよね。ほんとに温かい地元がありがたいよ。ところでお前,今日何か用事あるの?」


東京から戻った兄は「テレビに出ている人たちの言葉」を話した。


正直に白状すれば,4つ上の兄が18で東京に行くまでテレビドラマで話されている言葉が標準語?であるということがわからなかった。もちろん,自分が話している地方の言葉が標準語ではないということは知っていたし,大阪弁や東北弁があるということも知っていた。


ただ,ドラマの俳優たちは,テレビに出ているからカッコつけてわざわざヨソイキの言葉を話しているのだと思っていた。これはあくまでもテレビ向けでそれ以外の時は標準語を話す。じゃあ,標準語とはどんな話し方かというとたぶん「~です,~ます」で終わる話し方がそれであると考えていたのだと思う。


思う,と書いたのはこのときのことがもう思い出せないからだ。とにかく,当時の「トレンディドラマ」の話し方はテレビ向けで,あんなキザな話し方をする人は実際にはいるわけがないと信じていた。

でも,兄の話ぶりを聞き東京ではみんながこんな風に話すことを知って,少なからず衝撃を受けた。


めちゃくちゃスカしたやつんたいだ,東京モンは,気に入らん。


しかし,兄が東京に戻ってから「トレンディドラマ」を見てこの話し方を研究し始め,いい気になって学校で同級生なんかに使ってみたりした。おかげさまで生意気だとインネンをつけられてヤンキーの先輩にカツアゲされたりした。


それでも,みんなが「トレンディドラマ」の話し方をする東京とは一体どんなところだろうかと思うようになった。


僕が通学で利用する駅は新幹線の停車駅だったが,こだましか停車しない駅だったので,ほとんどの列車はその駅を猛烈なスピートで通過して行った。毎日猛烈なスピードで行き交う新幹線。


その先にある東京。


当時,同じ電車で通学していたHは2コ上の先輩とつきあっていて,その彼は既に東京に進学していた。ごくたまに猛スピードで通過する新幹線を眺めながら二人で話すことがあった。


東京って,どんなとこだろう。


当時,地元ではレッドウイングのエンジニアブーツが流行っていたが,東京ではチペワのエンジニアのほうがクールらしいという情報を手に入れた僕は河合塾の受講料として母からもらったお金でチペワのエンジニアを買った。講義に出る代わりに河合塾が無料で開放している自習室に通った。


ある日曜日,そのブーツをはいて出かけようとしたら電車の中でばったりHに会った。Hの彼氏には東京で新しい彼女ができたのだという。彼の本当の気持ちを確かめるためにHは来週にも東京に行くつもりだと言った。


そうこうしているうちに2月の受験シーズンが来て僕も東京に行くことになった。地元の親友Tはホテル代をケチって大学受験だというのに,カプセルホテルを泊り歩いていた。しっかり準備できるようにと両親の配慮でビジネスホテルに宿泊させてもらっていた僕も面白くなって,途中で彼とカプセルホテルを泊り歩いた。


ある大学の受験前夜,Tはサウナに居合わせたサラリーマンとカップ酒で酒盛りをしていた。飲めない僕は自販機の明かりの下で少しだけ世界史の参考書を読んだ。


翌朝は何年かぶりの大雪。二人で駅から試験会場まで歩いたが,一面の雪。二日酔いのくせして今頃緊張しはじめたTはいきなり鼻血を垂れ流し,雪の上に転々と赤いしみを残しつつ歩いた。


もちろん二人とも不合格だった。


Hはその後,その年の秋口辺りから高校生のくせに夜行列車でこっそり「ジュリアナ遠征」を挙行するようになったのだが,上京しなかった。結局,僕は上京が決まった。Tも僕よりは少し程度の良い私大に合格し上京することになった。


チペワのエンジニアといっしょに東京に行けば全てがバラ色で,おもしろおかしい「トレンディドラマ」のようなキャンパスライフが待ち構えていると思っていた。その期待はもちろん上京してそう長くは経たないうちに裏切られるのだけれど。


今からちょうど20年前の今頃の話。

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