世の中の癌と呼ばれて 第5回~児童自立支援施設での半年 前編~

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前話: 世の中の癌と呼ばれて 第4回

不良集団を相手に番長になった?!

児童相談所に預けられ、特に問題も無い中、2週間が経過していた。

僕の送致はほぼ決まりかけていた。

通常、児童相談所には短くて2週間、長いと1ヶ月ほど審査される。

この間審査される事は、主に児童あるいは家庭の問題だ。

児童に関しては、心の問題、素行的問題、交友問題などを審査する。

たいていの場合、児童が抱える問題が原因で家庭問題に発展するケースがある。

それは、不良との交友、暴走族などの組織との交流。

根底にはやはり、親からの虐待やいじめ、そこから素行不良に展開している場合が多く、結局どこも親は子供に手を出すものなのだろうと、妙に納得していたところもある。

僕の場合、原因は親だと分かっていたし、素行不良に関しては、親が原因でもなく、自分で望んで不良になっていたところが強いのも分かっていた。

だから、児童自立支援施設への送致はほとんど決まっていた。

送致される前日、送別会をしてもらった。

その時いた児童の数は、20人前後だったと思う。

特に何かを話す事もなく、それでも中には寂しさのあまり泣き出す子もいた。

児童相談所では、僕は小さい子供とも中学生とも遊んだり話していた。

僕は特に泣く事も泣く、ただ児童自立支援施設での生活のことを考えると、期待で一杯だった。




児童自立支援への送致~生活の始まり~



翌日の午後、僕は児童自立支援施設へと送致された。

児童自立支援施設とは、家庭的な問題や、素行不良な児童が収容される施設で、少年院とは違うが、生活や時間、規則正しい中に身を置き、心身ともに更正していけるように教育を施すところで、施設によっては幼稚園児から高校生までが日々生活を送っている。

矯正教育を施す施設であり、自由はある程度束縛されるものの、単に規則正しい生活を送っていなかった児童が、規則正しい中に身を置くだけであり、その点で違和感や不自由さを感じるだけである。

もちろん僕もその一人で、夜9時就寝はなかなかなれる事が無かった事を覚えている。

まずはじめに新入生が過ごすのは集団寮ではなく、夫婦寮(あるいは観察寮とも言う)に行った。

その名の通り、夫婦で児童を面倒見る寮のことである。

基本的には、先生と呼ぶのだが、親代わりの職員である事から、苗字を頭につけ、お父さん、お母さんと呼ぶ事もできる。



当時だと、夫婦で面倒を見ている施設も多かったが、今ではほとんどが夫婦制をなくしている。

この夫婦寮では、やはり審査を行う。

新入児童の学力や、素行性や性格をさまざまなテストや勉強を行い、いくつもある寮のどこに入れるかを審査するのである。

児童自立支援施設には、寮が複数あることが多い。

もちろん、男子寮と女子寮とで分かれている。

各寮にはそれぞれ名前が付いており、松風(しょうふう)寮、皐月(さつき)寮など、寮名を覚える事も必要となる。

敷地が広く、頻繁に施設内で農作業や登校をする際に移動する事があり、道に迷う事もあるからだ。

通常夫婦寮には1週間ほどしかいないが、児童によっては最大1ヶ月いる児童もいる。

僕の場合は、早く集団寮に行きたくて、1週間で編寮できるように、課題や心理テストなどを行った。

基本的な生活は、

朝は7時に起床で、寮内の掃除を行う。この時点で時間は7時半になり、そこから施設内にある食堂から食缶(しょっかん)という、食事を入れてあるアルミ製の鍋を取りに行き、自分たちで配膳し、朝食となる。

家にいたとき親の手伝いをしたことが無い為に、一つ一つ、親のありがたみを実感する事もあった。

それでも親は好きになれなかった。

そして朝食が済むと、食器を自分たちで片付ける。

8時40分の通学に向けて教科書やノート、鉛筆を削ったりと準備をするのであった。

通学時間になると、寮の前に立ち、先生と挨拶を交わし、出寮(寮を出ること)の時は必ず、


行ってきます

そして、帰寮(寮に帰ること)の際には


ただ今戻りました

と言うのが規則であった。

親元にいたときには、一度も行ってらっしゃい、お帰りの言葉もなく、普通の家庭ではありふれた言葉かもしれないが、「行ってらっしゃい」「お帰り」と言ってもらえるだけで、自分の存在や居場所を感じる事ができた。

それがなんか照れくさいけど、嬉しくて、直に先生たちに心を開く事ができた。


登校したら、同学年のいる教室には行かず、個別教室に行き、各科目の授業を受ける。

国語、理科、社会、算数、体育、図工、音楽、たまに一般の学校ではやらないような授業もあり、なかなか面白かった。

特に、一般の学校で行うような教科書どおりの授業ではなく、教師毎に楽しく授業を展開していく事もある。

だから、施設に入った途端勉強が好きになる児童も多い。

僕はそうではなかったのだが・・・・


そして12時になると昼食になる。

集団寮にいると施設内の食堂に行き、児童も先生も一緒に食べる。

メニューは健康思考でバランスよく、栄養士と調理師さんが作ってくれる。

毎週水曜日と金曜日と日曜日はパンで、ジャムやチョコレートソースなど、普段は自由の制限された中で安定して糖分が取れる。児童はこの日を楽しみにしている。

しかし、観察期間は夫婦寮に行き、先生とマンツーマンでの食事になる

もちろん配膳や片付けも自分で行うことになる。

12時~1時までが昼食そして休憩時間で、その間に洗濯物を取り込んだりもする。

各寮には洗濯機と乾燥機があり、家事全般は児童が行う。

1時になると再び登校する。

午後も授業をし、学年ごとに教室にいる児童は、放課後に部活動がある。

季節により、バレーボール、野球、水泳、陸上部、様々な部活動がある。

後の僕もやる事になるが、児童自立支援施設は日本各地にあり、各部活の種目はそれぞれに大会がある。

それぞれの地方ごとに優勝した施設は、その先に控えている全国大会に出場する事になる。

施設の外では暴走や喧嘩に明け暮れる不良たちは、体力もエネルギーも有り余っている子供らゆえ、僕のいた児童自立支援施設も、頻繁に優勝や準優勝を飾っていた。

また、職員同士のバレーボール大会もあり、やはりその施設では、毎年優勝候補に上がるほど強豪だった。

観察期間の児童は、クラブ活動はなく、基本的に3時には寮に帰る。

帰寮後は、学校からの宿題をこなす。

プリントや漢字の書き取り、様々なものがあり、そして強制的にやらされるのは珠算である。

宿題が済むと、珠算帳があり10級からはじめる事になる。

計算機がある時代に珠算と言うのに不満を感じ、取り組む事には抵抗があったが、毎日1ページずつは全問正解しないと自由時間にならないので、やるしかなかった。

それが終わると今度は夕飯になる。

これも自分たちで配膳から片づけをすることになる。

夕食が済むと、入浴になり、夫婦寮では男性の先生と共に入浴し、コミュニケーションをしながら信頼関係を深め合っていく。

それも済むと、自由時間になり、テレビを見たり備え付けの漫画を読んだり、好きに過ごす事ができる。

8時半になるとおやつの時間になる。

おやつは日替わりで夕食を取りに行くときに一緒に持っていく。

チョコレート類の時もあれば、スナック菓子の時もあり、育ち盛りの子供の体には、早くお腹がすく為に、寝る前にお腹に物が収まるのは嬉しかった。

そして、9時前には就寝準備をし、就寝の挨拶を交わして寝る。

まさに健康な生活だった。


土曜日と日曜日には、外の学校と同じで学校はなく、その代わり「作業」と呼ばれる清掃活動をする。

集団寮だと、寮から少し離れたところにある校舎やグラウンドの周りにある畑や花壇などの除草や清掃活動をする。

日曜日は自分たちの生活する寮の清掃活動を行う。

朝の9時から12時前後まで行い、午後は自由時間となる。

自由時間の際、集団寮では午後に各寮毎に離れの校舎にある体育館やグラウンドでレクリエーションを行える。

バスケや野球、サッカー、好き好きに身体を動かして遊べる。

もちろん、寮に残って漫画を読んだり、テレビを見たりして過ごす事もできる。

寮がある敷地と校舎のある敷地とは途中に道路があり、はっきり言えば自由に脱走もできる。

しょっちゅう脱走する人がいた。

そもそも、少年院や鑑別所、刑務所ではないので、高い塀や有刺鉄線などは無い。

寮のドアにもセンサーはなく、ベランダに出るガラス戸には強固な施錠もされていない。

つまり、規則正しい生活とある程度束縛される自由以外には、これと言って不自由さは無かった。

夫婦寮にいる児童は、午前の作業が終わり次第、寮で一人で過ごす。

この時には体育館などには出れなく、テレビや漫画で時間をつぶす事になる。

それでも、1日中漫画を読んでいると、すぐに読み終わり退屈になる。かといってテレビもあまり面白い番組もなく、気が付くとそろばんをいじり、何故か勉強をすると時間がたつのが早かった。

そして、翌週

僕は集団寮に移った。



「なに眼くれてんだ?」


その日僕は朝会で自己紹介をした。

「今日から集団寮でお世話になります、須ノ内 誠です。よろしくお願い致します」


張り詰める緊張感の中、みな不思議そうな顔で見つめてくる。


それもそのはずで、僕はイタリアとブラジルと日本とインディオの血を引く混血。


つまりハーフで、その当時ハーフの子や外国人の児童はいなかったために、物珍しかったのだと思う。


集団生活の始まりに期待し、同時に約60名ほどの児童の顔が悪人に見えた。


それほど、収容されている子供の顔には家庭問題の深さや心の傷がうかがえた。

集団生活にだいぶ慣れてきた2週間ほどたった日、中学生の児童が

中学生
なに眼くれてんだ?

そういってきた。

睨んでいた自覚はなく、ただ目が合っただけでそういわれた。

眼をくれる?


その意味も分からずに質問すると、からかわれ、そして喧嘩の日々が始まった。


集団生活では、夫婦寮とは違い、選択、食事当番、それぞれの役割分担が1週間ごとに交代制でやる事となっていた。


配膳の時には、中学生から威圧を受け、配食の量を変えたり、タバコを吸いたいがために、弱い子を使い、先生のかばんからタバコを盗ませたりしていた。

つまり、そういう環境だった。


僕は違った。

僕は中学生に何を命令されても、威圧を受けても、無視していた。

言い返すこともしょっちゅうあった。

前に逮捕されてしまった中学生の先輩が、いつも弱いものいじめはしないで、喧嘩は自分より強い奴としかしない。


その姿を忘れてはいなかった。


弱い子らが威圧を受ける姿に、自分が親から受けていた悪夢の日々を思い出した。

だから、喧嘩した。

ある日も僕に命令してきた。と言うよりはそれは脅しだった


中学生
お前、いい加減に命令聞かないとしばくぞ。クソガキ
影でしか弱いものいじめできない奴が偉そうに言うな

胸ぐらをつかまれた。


殴るなら殴れよ。俺はお前には従わない。俺は強くなる。だからお前みたいな雑魚は相手にしない

殴られた。

たまたま先生もいなく、周りには小学生児童と中学生児童がいるだけだった。


僕は殴り返した。

たった一度殴っただけで、相手は倒れた。顔に綺麗にパンチが入った。

そのまま馬乗りになり、また殴った。

相手の鼻からは血が流れ、顔は驚きで蒼白になっている。


周りの中学生が僕を止めに入った。

そして殴られた。


相手は4人。その時が僕には初めての、1人対複数人の喧嘩の始まりだった。

不思議と負ける気はしなかった。と言うよりも、勝ち負けが何かも分からなくなっていた。ただ、


目の前にいるゴミを、排除する事しか考えていなかった。

一人、また一人、倒していく快感を覚えた。

自分の力が年上にも通用する事に興奮していた。

相手が弱いわけではなかった。

中学生は体育の授業で柔道を行っていた。日々筋トレに励む奴らは、力も体格も僕以上のものだった。


ただ、


僕が強かっただけ


負ける気はしなかった


しかし、編寮間もない事で、先生から怒られ、素行性を改善する為にいる事を自覚しないといけない事を説明され、反省する事となった。


反省期間になると、集団生活の寮内で孤立生活をする。


普段は児童全員で分担している洗濯や食器荒いなどは反省者が全て行う。

テレビも漫画も禁止され、ひたすら新聞やチラシで箱を折る日々。


毎日のおやつの時にでるゴミを入れてまとめて捨てるゴミを捨てるための箱で、1日中登校も禁止され、宿題やそろばんが無いのはいいものの、箱を折り続けるのはどこか精神的に覚醒するものがあった。


それは、きっと薬物やお酒なんかじゃ得られないもので、1日中折り続ける箱、指の動き、瞬きすらも忘れる目。


座りっぱなしで硬くなる身体。


その全てがやがてひとつの精神世界に導いてくれる。


今思っても、あの興奮は、あの箱折でしか得られないものなのだと思う。


反省は基本的に3日~1週間

僕の場合、初めての反省であったし、年上の児童複数人との喧嘩と言う事もあり、最短の3日で終わりを迎えた。


しかし、僕はそれ以降ほぼ毎日を「反省」で過ごすのであったが・・・


毛頭、自分が悪い事をしている自覚は無かった。


暴力はいけない事だが、弱いものをいじめる、それこそ「社会のゴミ」を討伐している自覚はあった。


復讐の名目で、就寝後、先生も就寝した後起きてくる中学生による、寝込みを襲うリンチもあった。

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