世の中の癌と呼ばれて 第4回
「児童自立支援施設での生活の始まり」
じい様からの言葉を受けてすぐに僕は動き出した。
学校に言っていない為、時間はたくさんあった。
背も高かった。
まさか小学3年生とは誰も思わないほどに、背も顔立ちもしっかりしていた。
それは人から言われて気付かされた事でもあるのだが。。
僕が何をしたかというと、はじめのうちは道でいじめられている子や、一人で寂しそうにしている子をみると、声をかけた。
なんで一人でいるのか。
いじめられているのか。
だったら、自分が友達になると。
いじめられているのが自分だけだと思っていた事もある僕には、衝撃的だった。
世の中にはこんなにもいじめられている人がいるということに。
と同時に、自分ひとりがその人のために何かをできるのかと考える事もあったが、できる事からやっていこうと、友達は増えていった。
そして仲良くしていくうちに、いじめられている事を話してくれるようになり、いじめている奴らと遭遇する事もあった。
僕は、そういう奴らと喧嘩し始めた。
自分で言うのも変な話だが、僕は強かった。喧嘩は人から習ったわけではない。
ただ、相手の動きが見える。
相手が複数人いても、身体は反応した。
そんなある日、あるいじめっこは、自分の兄貴を連れてきた。
その兄貴は中学生だった。
小学3年生の僕とは年齢も身長も体格も違った。
そのときに自分がなんと言ったのか覚えてはいない。
でも、ひとつだけいえることは、小学3年生の僕は中学2年生の相手を倒した。
泣かせた。
自分でもどうやったのか分からない。馬乗りになり、ひたすら殴り続ける自分を、その兄貴の弟は泣きながら見ていた。
自分が少し怖くなった。
その日の夜、僕はじい様にその事を話した。
するとじい様は
その言葉がはっきりと分かるには、まだ時間がかかることとなるが、僕は間違っていない気がした。
そして僕にはある感情が芽生えていた
翌日から、小学生を相手に喧嘩をするのはやめた。
たとえ相手が小学6年生でも、今の自分には役不足だと感じるようになった。
もっと強い相手を倒す事が、自分には必要と感じていた。
そのためには、昼間ではなく、夜の街に出る必要があった。
じい様にその事を話すと、
もちろん小学3年生が深夜で歩いていいはずは無い。
でも、中途半端に強くなるよりも自分にはいい経験ができると思った。
深夜の街は自分にとって初めてと言うわけではない。
久しぶりなだけだった。
でもどこに行けばいいのか分からなかった。
まだ自分は誰にでも勝てるわけではない。
だとしたら見合う相手を探さないといけないと思った。
深夜の公園、コンビに、繁華街のようなところ、いろんなところを歩き回った。
それでも、昼間は本を読んだ。
誰よりも、じい様よりもいろんなことを知りたいと思った。
小学3年生の時には既に社会人レベルの日本語力があった。
漢字も大学生レベルのレベルがあった。
じい様の家にある本は、どれも専門書や外国語でかかれたもので、少しでも読みきる為には日本語と漢字の理解力が必要だった。
じい様は書道の腕も一流だった。
精神を統一して一字一字を書く姿は、侍そのものだった。
武士が間合いを縮めながらも確実に相手を仕留めるために瞬きをする間も無いあの瞬間のような雰囲気があった。
じい様銃剣術で段位を持ち、文武両道だった。
強くなる為に強い相手を探していた僕は、なかなか相手が見つからずに毎晩のように、収穫無しで家に帰るのだった。
そして僕は11歳を迎えていた。
学校に通っていれば小学年5生だった。
たまたま深夜タクシードライバーの父親が僕を街で見かけ、児童相談所に連れて行かれた。
僕は不良であり、毎晩心配している親の心も知らず、夜遊びをしている親不孝ものだと言う理由だった。
そして、児童相談所に預けられた。
児童相談所とは、家庭環境(虐待や素行不良)に問題を抱えている児童や家族との関係による問題が見受けられる場合、その児童を2週間~1ヶ月間児童相談所にある施設内に預け、さまざまな心理テストや、学校教育と同じような勉強、レクリエーションを行い児童を監察する場所である。
ここで特に問題や、児童が家に帰宅する事を拒否する場合、あるいはその児童の素行などを考慮して、年齢による措置や家族との相談の後、
鑑別所
児童自立支援施設などの施設に児童を預けるために審査をする場所である。
じい様が面会に来てくれたのは児童相談所に入ってから3日目に来てくれた。
そこでじい様は僕に話してくれた。
そう話してくれた。
確かに身の回りで虐待を受けている子と関わるのはなかなか難しい。
となると、そういう子供と共に生活ができるのは自分の親が自分にした事は、自分だけがこんな目に遭っているのか?
そういうことを知るには自分にとってもいい機会だと思った。
そして、2週間の審査を経過した僕は
児童自立支援施設に預けられる事に決まった。
それはもちろん、親の元に帰りたくないということもあったからだ。
そうして、約半年間の児童自立支援施設での生活が始まった。
ここでの経験や出会いは、その後の僕の人生にとっても大きな意味を持ち始めるのであった。
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