世の中の癌と呼ばれて 第3回

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「世の中の癌と呼ばれ、そして海外へ」



じい様の家に住み始め、2週間が過ぎた頃、必要な荷物そしてじい様と一緒に海外に行く為にパスポートを取りに親のいる家に行った。


僕はこれから始める新しい人生に期待を膨らませていた事をよく覚えている。



じい様の家と親のいる家はそこまで遠くはなく、一人で家に行ったのだが・・・・・


そこで母親に言われた事は今でも忘れない。


母親
今度はおじいちゃんに迷惑をかけて、あんたは本当に生きているだけで「世の中の癌だよ」死ねばいいのにね。

自分は世の中の癌なのだといわれた。

しかし、それ以外は何も言われる事はなく、手を出される事もなかった。

荷物を持ち帰り、母親に言われた事をじい様に話した。


するとじい様は言ってくれた。


じい様
いいか、癌と言う病気は確かに人を不幸にさせるかもしれない。だけど、癌になる事で人は死を近くに感じる。そうすると今まで当たり前に見えていた家族や人との関係に感謝をするようになる。もうその人たちとは長く一緒にいられない、だからこそ、一秒一瞬を大事に生きる事を教えてくれる。お前は、人と人とのつながりを大事だと言う事を気付かせてくれる存在なんだ

なぜだか涙が出た。

自分の存在をこんなにも受け入れてくれた人が目の前にいる。

こんなにも自分は大事にされている。

じい様といれば何も怖くなかった。



それから数週間の後、僕はじい様とフランスに行った。


じい様の仕事は主に世界の美術作品を各国に展示、輸送する際の責任者だった。


フランスでの日々は本当に楽しいものだった。


ゆっくり流れるセーヌ川。


その川を挟むモンマルトル、モンパルナス。


かつての芸術家が、画家が座っていたとされる素敵なカフェがあり、じい様は一つ一つ教えてくれた。


じい様は普段から海外が長く、さまざまな言語を話せた。


日本語は当たり前。


英語、フランス語、イタリア語、ロシア語、あわせて十数ヶ国語を自由に話した。


そんなじい様を見ていると、自分も凄いような気がしてきた。


じい様は僕にとっての誇りだった。


フランスでは半年間滞在した後、一度日本へと帰国する事になる。


引き続き、すぐにニューヨーク、イタリア、イギリスと数カ国に渡り、合わせて1年半ほどを海外で過ごす事になる。


一番楽しいと感じたのはやはりニューヨーク。


ニューヨークには2ヶ月ほどの滞在だったが、現地のインターナショナルスクールに体験で通う事となった。

もちろん、英語など話せるわけも無く、なじめることはなかった。


でも言葉も通じない中でアメリカ人の子供と遊んだり、言葉ができなくても楽しい日々を過ごす事ができた。


その間僕は9歳になり、そして、日本での生活に戻ることとなった。


日本に戻ると、それまで以上に本を読むようになった。

海外文学、英語の本、じい様がお土産に持ってきてくれる外国のペーパーバック。


じい様は一つ一つ言葉の意味や単語を教えてくれた。

この時期は特に海外の本代読んだ。

僕はシャーロックホームズが好きになり、ミステリーを好み、もっと世界に興味を持つようになった。


そして、僕は同時に荒れる事となった。


じい様は当時でも高齢で、それでもぼけることなく、自分で歩き自分のことはすべて自分でできる人だった。


いつも手料理を食べさせてくれた。

ぬか付けの作り方を教えてくれ、夜は毎晩欠かさずウィスキーを飲み、新聞を読み、何でも知っていた。


酔っ払う事は無く、手を出される事も無かった。


実はタバコもお酒も嗜む人で、僕は


8歳からタバコとお酒を始めていた。


じい様
いいか。タバコもお酒も自由だ。だけどじい様の前だけだぞ。他の人の前でやるな。人には迷惑をかけるな

そんな人だった。

仕事はいわゆる政府関係の役人だったが、日本の政府をこよなく嫌い、思想や価値観は日本人離れした人だった。


ただ、ひとつだけ僕に怒るときがあった。


それは、じい様が戦争を経験している事にさかのぼる。


京都で老舗の呉服屋を親から引き継ぎ経営していた十代のころ、第二次世界大戦が始まり、

じい様は店をたたみ、志願兵として戦争に出た。


戦争では人を殺し、仲間を失い、親には勘当され行くあてを失ったじい様は、自力で東大を卒業する事となる。


そしてもともと好きだった美術や芸術を生かせる仕事は無いかと考えていた矢先に、当時の仕事のなったと言うわけなのだが。


そんなじい様は、喧嘩や争いに関しては中途半端を許さなかった。


たとえば友達と喧嘩をして相手が逃げたり、引き分けで終わらせると


じい様
勝つまで帰ってくるな。相手の血で自分の身体を濡らして来い

こう言うのであった。

だから僕も、


分かった。勝ってくるね

と言って、相手が負けを認めるまでは家に帰ることは無かった。


それはなぜだか分からない。

ごまかして、勝ったと嘘をつくこともできたはずだが、じい様にはそれが通用しない気がしていた。

というより、

「この人とは嘘の無い関係でいたい」


そう思っていたのを覚えている。


僕は人を嘘が嫌いだから、それでもじい様には特に嘘を付いてはいけない気がしていた。



そしてある日じい様から言われた言葉が、

じい様
いいか。男は強くないといけない。弱いものいじめはしてはいけない。お前が助けられるときには、弱い人を助けてあげなさい。自分より大きくて強い人と喧嘩をしなさい

この一言が、僕には何か「使命」のような響きをもたらした。


と同時にその言葉は、いじめに虐待に涙した自分の人生を生かせる事でもあった。


このときにはそんな事は知る由も無かった。


しかし、じい様のおかげで僕は人をいじめたり、卑怯な事をする事は無かった。


本当にじい様には感謝で沢山だ。



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