ど田舎にできた高校アメフト部がたった2年で関西大会に出た話(11.孤独でもやりきるのがリーダー)

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⒒孤独でもやりきるのがリーダー

 

初めての練習試合も経験し、夏休みを迎えた。僕らは夏休み中にU先生からいろんなことを教えてもらい、どんどんとフットボールを吸収していった。

 皆、日々の変化に練習が面白くて、面白くてたまらないという顔をしていた。そしてグランドから遠く離れたところからでも、叫び声が聞こえるくらい練習は活気に溢れていた。

 ところが、夏休みが終わってしばらくした頃、その状況が変りだした。夏休み明けから練習の内容が変ったからだ。ある程度新しいことを覚えてしまったので、U先生は、完成度を上げるために同じことを繰り返す練習を指示していた。

どんなスポーツでも同じだが、繰り返し、繰り返し同じことを練習することによって、ほんの少しずつ完成度を上げていく。雨水が石に穴をあけるのと同じ理屈だ。

このストイックな練習に絶えられるか、絶えられないかで、一流と二流の差が出る。強くなるためにはどうしても乗り越えなければならない壁だ。僕らの気持ちに変化が出てきたのはこの頃だ。僕らの中から、始めた頃の楽しさが全くなくなった今の練習に意味を見い出せない者が出てきたのだ。

 

 

2年の秋、夏休みが終わって1ヶ月くらい経ったころから、一人、また一人と練習に顔を出すメンバーが減っていった。

あるとき

「今日はなんで関取がおらへんのや」

僕が不機嫌に尋ねると

「知らんわ。学校にはきとったけどな」

Dがその大きな口で迷惑そうに返事をした。

「連絡くらいしたらええのに」

Dの返事すら気に入らない僕は、感情的に答える。

こんなやり取りが毎日続いた。

やがて、練習を休んだメンバーは廊下で僕に出会うと、目を逸らすようになった。

僕は、いやな予感がしていた。

 

最初のころは練習を休むメンバーは入れ替わり立ち代りだったが、10月の終わりにはついに、練習に来るのは、僕以外には、MとYとSだけになってしまった。

「なんでみんなこうへんのや」

僕は三人に向かって怒鳴ったが、来ているやつに怒鳴ったところで、どうしようもなかった。

四人では、練習にならなかった。

僕は、みんなのいい加減さに腹がたって、ひとりで黙々と10ヤードダッシュを繰り返していた。それをMとYとSは、ただ横でじっと見ていた。

「うしは怒っとるで」

YがMに小声でいった。

 

このままでは、つぶれる。一人でダッシュを繰り返しながら、僕は考えていた。そして同時に、キャプテンとして何かをしなければならないとも思ったが、具体的に何をどうしたらよいのか分からなかった。いつの間にかダッシュの苦しさは意識の中から消えていた。代わりに孤独感と責任感が僕を押しつぶそうとしていた。

いかりと、あせりと、責任感の入り交じった複雑な気持ちが僕の頭の中をぐるぐると廻っていた。

 

その日は家に帰ってからも、そのことが頭から離れなかった。僕はずっと机に座っていた。どうしたらいいのか、あせるばかりで、時間だけが流れた。

自分も他の僕らと同じ立場だったらどれだけ楽か。僕は、この場から逃げ出したくなっていた。

「コツ、コツ」という時計の音がいつもより大きく聞こえている。

時計の針は、いつしか午前零時10分をさしていた。

僕は、とうとう座っているのに疲れて机に顔を伏せた。焦点の定まらない目の先に本棚があった。小学校の工作で造った本棚だった。その本棚の真中には、背表紙が色あせた小学校の卒業アルバムがあった。

僕は腕の上に顔を乗せて、そのアルバムをただ、ぼんやりと眺めていた。すると、不思議に小学生のときの出来事が思い出されてきた。

 それは、僕が入学したての小学1年生のときのことだった。

 

初登校日に知らない僕らばかりの中で、なぜか選挙で僕は学級委員長にされてしまった。出席番号が一番だったのが原因かも知れない。

次の日の朝、登校すると、先生がくるまでドッチボールをしようと数人がいい出した。偶然にも近所の友達が数人集まっているグループがあったからだ。

ところが、教室にはボールがない。

「おまえ委員長やろ、ボールがないで。先生とこへ行ってボールを取ってきてくれへんか」

僕に向かってグループの一人が、あたりまえのようにいった。

(なんで俺が取りにいかなあかんのや。かってに遊んでええのやろか。職員室もどこか知らんし、どないしよう)

僕は、そう思ったが、知らない相手ばかりで断ることもできなかった。

仕方なく駆け足で学校中を探して、やっと職員室を見つけた。

「先生、ドッチボールをしたいので、ボールを貸してください」

僕は、息をきらせながら頼んだ。

先生は、迷惑そうな顔をした。

「朝はそんなことしている暇はありません。誰がドッチボールをしようなんていいだしたのですか」

あっさり断られた。

僕は、クラスに帰ってそのことをみんなに告げた。

「お前、なんで先生にいうたんや」

無責任にそのグループの誰かがいった。

僕には耐えられなかった。

 

また、各クラスの委員長には週番といって、朝に1週間交代で校門の前で立ち番をする役目があった。遅刻してくる生徒に注意するためだ。僕も1年生のときから週番のときには朝早くから校門に立っていた。

あるとき、6年生が遅れてやってきて僕にいった。

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