古民家ゲストハウスの創り方
山村留学時代に一緒に過ごしたジモティーはほぼほぼこの里山から都会へ出て働いていることを知ったのもその頃でした。
いままでよく耳にしていいても現実味のなかった‘過疎’という言葉が、この村からどんどん若者がいなくなっているという現状で実感されました。
山村留学もぼくが中学の頃に小学校の統廃合と共に休止となり、母校であった小学校は取り壊され、この地域の小学生はスクールバスで学校に通っています。
なんだか少し複雑な気持ちでした。
春からぼくは小谷村役場正規職員として自治体に勤務するという自分のキャラから遥か遠くの職に就きました。
配属部署は税務係。これまた遥か遠過ぎる部署であった為本来の自分を見失う感覚でもありました。
税務係の仕事を通し、村の実情を数字で知ることができ、この村が確実に衰退していることを目の当たりにしました。
ぼくが愛して止まない心の故郷小谷村。
この村を、我が家の玄関から見える村の景色を残したい。
自分がやるべき方向性を見出したのは就村から半年くらいした頃だったと思います。
「まずはこの村にたまり場をつくろう!!」
そうすれば山村留学の卒業生も、村の人達も、村の若者も、ぼくの関西の友達も、父親の友人も、ぼくがまだ逢ったことのないこの村を求める誰かとも。
この家で繋がることができるかもしれない!
ぼくと同じ様に、この村を第二の故郷として必要な居場所になるかもしれない!!
父親にこの家を宿として人々の開放しないか?!
とすぐに話を持ち込みました。
頑固一徹なサラリーマンな父が「えぇんちゃうか。」とあっさりとした返答をしたことに驚きつつも。
こうして屋号栗元の宿化計画が進行していったのです。
俺の仲間になれー!!
-2010年秋
宿の営業許可について勉強をしていくと、どうやら農家民泊の許可を取ればいいのだという話になり。
とんとん拍子で話は進んでいきました。
営業的に料理を出すのは難しい。
人々がたまり場的にふらっと寄って、皆でご飯を食べて、お酒を飲んで、一夜を明かす。
元々中学時代から自宅を両親共働きという環境をフルに生かし、慢性的にたまり場としていた経験がここで大いに生かされた訳です。
「お客様が存在しない宿」「そもそも、宿ではなく家」「田舎の第二の家」
こんなテーマを持つ宿があればなんだか楽しそう!!
そんな妄想が、いつしか大きな世界地図のように壮大に構築されていきました。
一つの大きな問題。
それは、当時ぼくは役場の正規職員であったことです。
公務員は基本的に副業が認められていません。
その為、ぼく自身が宿を運営することができないということです。
許可申請や名義は父親がしてくれるということで問題無し。
あとは、実際に実働をしてくれる仲間が必要だ!!
さてどのように探そうか。。
そんなことを想い巡らせていた矢先、ひょんなことから出逢いが!!
某巨大SNSを介し知り合った同年代の若者が、栂池(小谷のスキーリゾート地)で悶々としているとのこと。
写真を撮ったりHPを独学でつくっていたり、音楽をしていたり。
そしてこれから棲家を失い路頭に迷う。。そんな話をしていた彼。
「うおーーーーこれ、絶対奇跡的タイミングーーーー!!」
そう思い、彼を我が家で居候しながら宿の立上げと、少しばかりの期間の実働をお願いしてみました。
「うん。いいよ。」
ってな軽いノリで早速仲間を獲得した訳です。
気分は完全に出向を目前にした海賊王のごとし。
「俺の仲間になれーーーーー」
そんな熱い始まりとは少々違うものの。
この出逢いがきっかけで開業まで一気に追い風が吹くのでした。
なにもない。が、ここにある。。
-2011年春
移住から2年が経った頃。
雪どけが進み、春一番に黄色い花をつける福寿草と。
春の顔、ふきのとうが顔を覗かせます。
ずっと使われていなかった囲炉裏に火が入り、初めてのゲストである大学教授とそのゼミ生達と鍋をつつきました。
古民家ゲストハウス開業の夜です。
囲炉裏を囲み、同じ目線の高さで酒を吞む。
始まりのあの夜から、ずいぶんと時間が経った気がします。
あれから4回目の春が、この山里に訪れました。
ぼくはいま。
役場を辞め、一村民としてこの村を棲家とし日々を過ごしています。
村のじいちゃん達の生産団体に入りきのこや山葵をつくったり。
村の事業に関わってみたり。
やりたくねーよー!!と騒ぎながら消防団で選手をやったり。
若者が少ないこの村では、父親共々大変重宝されております。
文章の中では表現できない田舎に住むという難しさも、田舎だからこその暖かさにもたくさん触れました。
日々変化する自然の景色、音と匂い、光と色。
訪れる人々に自信をもって「いいところでしょっ!」と胸をはれる素敵なところに住んでいます。
そんな村に、いまでは多くの方が遊びに来てくれるようにもなりました。
ど田舎の畳の上から世界が広がっている。
たくさんの出逢いと繋がりが生まれる場所。
出逢いと繋がりでなにかが生まれる場所。
ここのど田舎が持っている宝物
「なにもない。が、ここにある。。」
高くそびえる山脈と夏は大きな入道雲。
冬は一面の雪景色。
家の下を流れる川と、向かいに並ぶ古民家集落。
特別なものはなにもない。
だからこそ、ここは全てが遊び場であり、全ての自然が五感に語りかけてくれる場所。
きっと訪れた誰もが、なにかを残し、創り上げることが出来る場所。
ぼくが大好きなこの場所の、「好き」を誰と共有したいが為に。
ぼくは今日もこの家で、この日本のど田舎で。
未だ見ぬ誰かを待ち続けているのです。
長文&乱文を最後までお読みいただきありがとうございました。
もしご興味がありましたら、どうぞ小谷村と我が家を覗いてみてください。
文:たつみかずき
写真:古民家ゲストハウス梢乃雪
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