アートを習うことが人を育てるという話
高校時代、美術科だった。理由は、兄が通っていておもしろそうだったこと、普通科なんてまた同じ勉強のくりかえしでつまらないと思っていたこと、だった。
この頃から、普通のことや、繰り返しなにかをすることがあまり好きではなくて、新しいことに挑戦したいタイプだったと思う。
振り返ると中3で少々不登校になっていたので、成績が悪かった。普通科に入ることを選んでいたら、ヤンキーになり、人生は変わっていたかもしれない。
美術科には推薦で入った。推薦の試験は絵を描くことで、もともと父の影響で絵を描くのが好きだった私は、ろくに練習もせず、入れてラッキーと思っていた。
もし落ちたらなどと、ろくに考えてもいなかったけれど、先生や親はひやひやしていたかもしれない。
私の入った美術科は、県でたったひとつの高校で、クラスメートはこの美術科に入ったことを誇りに思っていた。
すごーいという人もいれば、普通科の男子など、オタクという目で見てる人もいた。
このクラス、30数名のクラスで、男子は5名。女子ばかりのクラスだった。女子だけのクラスにありそうな陰湿ないじめもなく、だいたいみんなお互いに仲がよかった。
中高では、地味なグループ、普通のグループ、目立つグループなどにだいたい分かれていくと思うが、このクラスはそうなっても、みんなお互いに繊細で優しかった。
この繊細で優しいという性格特徴は、美術科ならではだと私は思っている。
みんな、感受性が豊かなので、そのために傷つきやすく、人に優しいのだと思う。
中学で不登校を経験した私は、そんな優しいクラスにどんどん心を癒されていった。
今では、とても強くなった笑 あの頃ともちろん同じものもたくさん持っているけれど、変わったところもたくさんあると思っている。
大人になるってすばらしい。
ところで本題の、なぜアートを学ぶことは人を育てるか、だが、大事なことは、たくさんの人のなかで学ぶことだと思う。
同じデッサンをしていても、
あまりうまく描けない子や、とても早く描き終わる子、ゆっくり時間をかけてあきらめない子、細かいところにとてもこだわる子、デッサンは嫌いだと公言する子がいたり、黙々と進める子もいた。
2年になると、写真、油絵、デザイン、日本画、彫刻などから、好きなものを選べる。
デッサンが苦手だった子も、デザインではとても色使いがきれいだったり、おもしろい写真を撮ったりする。
そんなことを見ていて、人はみんな違うこと、それぞれに得意不得意があること、苦手なことをがんばって得意な人よりもうまくなることはむずかしかもしれないこと、苦手を克服するよりも、好きで得意なことを伸ばしていった方が、自分も楽しくてもっといろんなことを学べるかも知れないこと、人のやり方は本人に任せてとくに口を出す必要はないこと、当たり前は自分の中にしか存在せず、いくつもの当たり前がそれぞれにあること、そんなことを学んだ。
なにより、自分が、自分そのままで、そのたくさんの違う人間の中のひとりだと感じられたこと、いい意味で、あー、私はふつうのひとりの人間なんだ、みんな違ってみんなふつうで、それでいいんだって思えたことが、今の自分の原点な気がする。
それが、個性を認めるということじゃないかと私は思っている。
ユニークになったり、目立とうとがんばったり、人と違うことをしたり、そういうことが個性ではなく、
ありのまま、もっているその姿そのものが、すでに個性だということを気づくべきだと、
個性を大事にしようと声をあげて言っている時点で、少しなにかが違う気がする。
まとめ。
自分でなにかを作り出すということは、あらたな自分を発見して自分でもびっくりすることがある。
絵を描くでも、写真を撮るでも、刺繍をするでも、たまには楽しそうだと思うことをやってみてほしい。
ありがとうございました。
著者の坂元 由貴さんに人生相談を申込む