For My Life

著者: 高田 稔

1956年に生まれ、

兄の影響で1960年代のアメリカのトップ40・

UKミュージックにどっぷり漬かり、

小学4年生の時に初めて買ったレコードが「The Beatles」の「Hey Jude」。

以来中学生の頃、「The Beatles」が解散するまで「The Beatles」にはまり、

解散後自分の聞く音楽がなくなったとふか~く落ち込み、

手当たり次第なんでも聞くようになった。

ハードロックからムード歌謡まで幅広く聴く事で音楽観及び社会を

広く見るような習慣がついた。

自分の中ではJazzもRockもPopもアフリカ民族音楽もなく、

ただ純粋に趣味で音を楽しむ様になった。

困った事はバンド名、タイトルを覚える気力がなく、

名前、曲名を聞かれても即答できない事である。

戸建住宅のアフターメンテナンスを20年以上勤めてきました。

主な仕事は怒っている家の方に「ごめんなさい」と頭を下げる仕事です。

体も心も何度も壊れました。

しかし誰かがやらなければならない仕事だったので続けてきました。

2010年に離婚しました。

離婚理由は妻の浮気で、自分は悪いことをしていないと

一点張りで話になりませんでした。

浮気がバレる数年前から、夜遊びがひどくなり、

まともに家に帰ってきませんでした。

その頃は4人の子供がいて、1番上は中学校不登校で

特別学級に通ってました。

2番目と3番目は普通に小学校に通っていました。

4番目は障害があり、私が平日できるだけ時間を取り、

病院に通い障害について検査をしました。

その後、発達クリニックを探して手続きをするのですが、

いざ通うとなると別れた妻が連れて行くのですが、

全く協力せず、家でぶらぶらするので、子供は小学校

1年生の途中から5年生まで学校に行きませんでした。

別れてすぐに1番上の子が母親と喧嘩をし、家を追い出されました。

その時子供は来年卒業で進路を決めなければならない大事な時でしたが、

母親は自分が気に入らないと激しい言葉で相手を何時間もなじるので、

そのために子供に深い傷が出来てしまい今でも治っておりません。

私は離婚と同時に家を失い、家族を失い、会社は倒産し仕事もない状態でしたが、

1年半アルバイトで食いつなぎ、なんとか2番目、3番目の子供の親権を移動する

申請を裁判所に申し立て中間の2人の子供を母親から奪い返しました。

母親と暮らしている時、中間の2人はしょっちゅう男を家に連れ込み、

朝まで騒いでいた事を強く嫌悪している事は時々会いに来てくれる時に

聞いておりました。

当然朝の食事など作らないので、2人は食事抜きで学校へ行ったそうです。

4番目は私が出て行った後すぐに、小児医療センターに強制入院という形で

家から追い出し、病院の入院費用を払えないと児童養護施設に横滑りで入所させました。

(児童相談所の男性担当者と結託したらしいです。子供が盗み聞きして、後から知りました)

4番目の子供は2013年に親権移動が裁判所で認められ、やっと親子5人で平和に穏やかに

暮らしています

最近、仕事を休職し(事実上の退職)、障害を持っている子供を学校に通わせる為に

毎日一緒に通学しています。

主夫始めましたけど結構雑用があり、忙しいです。

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