【9】パニック障害と診断された私が飛行機に乗って海を渡り、海外で4年暮らしてみた話

【9.旅立ち、そして始まり】


2010年の6月。
梅雨の日本から、冬の始まりの南半球のNZへ。

空港には母と、サキが来てくれた。


この頃、不思議と発作は一切出なかった。
念のために携帯には、

私はパニック障害です。
少し休めば、落ち着きます。
人のいないところで休ませてください

と英語で書かれたメモを保存しておいた。
結果的に、これを使うことは一度もなかったのだけど。



長いフライトを終えて、NZに到着。
イミグレーションカウンターでの入国手続き。

学生ビザで、大量の薬の持ち込み。
とにかくいろいろ聞かれる。
…が、私は英語がわからない。

最終的には、
頑張って勉強してね(苦笑)
と言われて、入国させてもらえた。


私はNZに着いたのだ!!



そのまま国内線を乗り継いで、語学学校のある街まで。

すべて順調にホームステイ先まで到着し、翌月曜日からはさっそく語学学校に入学。

ロングフライトでヘトヘトだった私は、まるで映画のワンシーンのようなオーシャンビューの豪邸の自室で泥のように眠った。



翌朝から始まった学校生活は、出国前の不安などすべて杞憂に終わり、発作が出ることは一度もなく、毎日が楽しく、久しぶりの学生生活を謳歌した。

ところで、パニック障害を発症してからの私の主な症状はとにかく吐き気だった。
さらに、意を決して吐こうと思っても吐けない、ただただ喉が締まって硬直状態になってしまう。
そして、そこからパニックに陥って恐怖の坩堝に嵌るのがパターンだった。

そして、薬の効果なのかもしれないが、症状に慣れてしまった私は自己流の対処法まで編み出していた。

まずはミント。
常にフリスクやミントガムを口に入れている。
ナッツやグミなども、口に入れている間は不思議と落ち着いていた。
とにかく何か咀嚼していれば、落ち着いて居られた。

あまり大声では言えないけれど、仕事の面接や会議中も常にフリスクを忍ばせていた。
そういった緊張する場面、人から注目を浴びる場面、容易に逃げ出せない場所では、本当に発作が止まらなかったのだ。
フリスクを口に忍ばせ、爪で腕をつねって事が終わるまで耐えていた。


その点、外国はいい。
どんな場で、どんな立場の人がフリスクやミントガムを食べていても誰も気にしない。
カフェの店員、ショップ店員、銀行員、誰もが自由にものを食べ、飲みながら伸び伸びと働いていた。

ある日、携帯ショップに行ったら、カウンターで店員のお姉さんが堂々とワイングラスでワインを飲みながら仕事をしていた。

職場にワイングラスがあること自体、飲酒労働を容認していることと同じではないか!!
なんて素晴らしい国なんだ、と苦笑いした。


そんなこんなで半年の語学学校生活を終えて、私はいよいよワーホリビザに切り替えることにした。

当時の規定で、NZでの滞在が一年を越えるものは指定医の元で、フル健康診断が必要だった。

日本での院長先生の言っていた通り、NZにきてから私はほとんど薬を飲まなくなっていた。

現地の病院で行なった健康診断では、血液検査、検尿、視力、脚気まで検査した。

持病はありますか?と聞かれ、薬はもう飲んでいないし、ない と言いたいところだけど、既に学生ビザの申請時に持病を申告してしまっている。
仕方がないので正直に ある と答える。


それから持病についての質問と、日本での主治医の詳細、飲んでいる薬、最近の様子まで事細かに聞かれた。

診断書に何やら書き込みまくる医者。
あぁ、言うんじゃなかった…
これ、ビザ降りないじゃ…という不安。


最後にレントゲンも撮って、ビザのための健康診断は終了。


さて、この頃の私はというと、何とか一人で健康診断もこなせるくらいの英語力が身についていた。

語学学校入学時は、なんとペーパーテストの得意な日本人にあるまじき
学校でいちばん下の、ビギナークラス(初心者)からのスタート。

それはそれはヒドイものだった。
知ってたけど。。

が、半年後に学校を卒業する頃には、ヨーロピアンに混じっていちばん上のクラスまでのしあがり、卒業のスピーチでは校長先生に、

リサは本当に全く英語が出来なかったけれど、こんなに流暢に喋れるようになった。
そんな自分を誇りなさい。

と言い切られてしまった。
それほどまでに酷かったとは、自覚していなかった…


そんな私も最後には最上級クラスへ、そして世界中に友達が出来た。

たぶん当時の私は、例えて言うならスポンジだったのだと思う。

英語の基礎の基礎まで忘れきった、カラカラのスポンジ。
実際、私は a と the の違いも忘れていたし、三人称単数のDo や Does すら覚えていなかった。
現在進行形のingにはbe動詞がいることも、そもそもbe動詞が何かさえも危うい…
そんな状態で外国で暮らしていたんだから、ある意味すごい。

ちなみに言うと、私は小学4年から6年まで英会話教室に通い、中学から専門学校までの8年間英語の授業も受けていた。

それなのにbe動詞すら覚えていないなんて、自分で自分に呆れるとともに驚愕した…



そして年が明けた2011年、審査に異常に時間はかかったものの
無事にワーキングホリデービザが降り、
私の学生時代は終わり、NZでワーカホリックとなってゆくのだった。

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