ホワイト企業に絶望して入社3ヶ月で『退職』を決意するまでに感じたこと。
『これで人生からも卒業だな!』
2013年3月22日、一人の友人が放った言葉が今でも耳から離れないでいる。
その日、僕たちはいつもと変わらない様子で何気ない会話を楽しみ、驚くほどあっさりとした別れの言葉を交わし、それぞれの道へと歩き出していった。
いつもと違っていたのは、僕たちが着ている服だけだった。古いデニムをはきつぶしていた友人はスーツを息苦しそうに身にまとい、ミニスカートがよく似合うあの子は華やかな振り袖も板についていた。卒業式とはそういう日なのだ。
景気の影響と無鉄砲な志望業界のせいでそれなりに苦労した就職活動を経て、僕は4年前よりもスーツの着こなしが自然になっていたように思う。髪を黒く染めて短めに切り揃えることへの抵抗もなくなっていた。それが大人になるということだった。
親しい友人同士で記念撮影を終え、固まってくだらない話をしているとき、友人の一人が明るくこう言った。
『これで人生からも卒業だな!』
僕はその言葉を深く飲み込まなかった。
彼が4月から勤めるのは、高給と引き換えに自分の生活のすべてを会社に捧げるような業界。
僕が入社することになったのは、いわゆる『ホワイト企業ランキング』のようなもので上位に位置しているような会社。とても健全で安定しており、かつ給料もそこそこ貰えるという業界、会社、職種だ。そこまで悲観的になることはない。そう楽観的に考えていたのだ。
妄想が原動力だった受験生時代
19歳の頃、浪人していた僕は単なる世間知らずの田舎者にすぎなかった。
『慶應ボーイ』という響きに憧れて、日中は勉強に明け暮れ、夜は予備校からの帰り道でひたすら友人とくだらない妄想と夢を語った。
何も知らぬ阿呆の私は、ブルジョワジーが集う東京の中心に位置する大学に行けば、無条件で外国人と交流し、華やかな異世界にでも行けると思っていたのだろう。
翌日、朝のワイドショーをちらちら眺めていたら、目黒界隈で飲食店を数店舗経営する青年実業家が特集されていた。上品で美しいママさんたちも、イケメンオーナー目当てで店の常連になっているらしい。
『GLAYのTERUに似てて、かっこよくてセクシーなんです!』と一人の美人奥さんがカメラに向かって興奮気味に語っていた。
なんとなく理想の将来像がイメージできた瞬間だった。
普通のサラリーマンとかじゃなく、自分のペースで仕事ができて、スーツを着ない仕事がいい!そしてさりげないお金持ちになって、余裕のある暮らしがしたい!できれば自分の店とか持っちゃったりして!
僕の阿呆な夢物語に新たな章が追加された。どうやったら理想の世界が手に入るかはわからないが、日本で一番流行の流れが早く、人も集まっている東京に行かないと駄目だろう。そして学歴は良いにこしたことはないはずだ。だけど、今から東大や一橋を目指すのは受験科目も多いし難しい。ということで僕の志望校は慶應義塾大学になったのだった。
ストーリーズでも有名なあの人の話ではないが、僕自身、高校時代は偏差値は40もなく、毎日のように教師から呆れられるかお説教を受けるかをしていた。そんな低レベルの僕が偏差値72の大学に受かろうというのだから、並大抵の努力では成功は摑み取れない。
この間のストーリーは本筋から外れるし、短い文章ではとても綴れないので、別の機会に記そうと思う。
何はともあれ、僕は1年間の青春と右目の視力を犠牲にして、憧れていた大学に受かることができた。
満員電車とスーツを嫌った就職活動
晴れて希望する大学に入れてから3年も経たないうちに、就職活動が始まった。他の大勢の就活生同様に、僕は多くの企業の説明会に参加し、試験を受けて、面接を重ねた。
結果を話す前に、僕の就活に対する思いとか軸のようなものを語っておこうと思う。
目黒に数店舗イタリアンレストランを持つ青年実業家になるという夢はどこへやら。いつの間にか僕は、”その他大勢”の平凡な学生に成り下がっていた。
『起業?そんなの無鉄砲で意識だけやたら高い勘違い野郎のすることでしょ?』
『俺にはそんな才能ないし、それなりに良い会社に入って、それなりに恵まれた人生送るよ』
そんな僕の、安定志向の固まりのような考えを揺れ動かしたのが、1週間のインターンシップの経験だった。
大学3年の秋に、『就活人気企業ランキング』の1位か2位に選ばれるような人気企業のインターンシップに参加した僕は、実際に営業部署にインターン生として配置され、営業現場に同行し取引先と名刺交換をしたり意見交換をさせてもらうという非常に貴重な経験をさせてもらった。
業界について会社について、働くということについての理解を深めていく過程で、僕はその会社に好感を持つようになっていた。綺麗なオフィスで格好良くスーツを着こなし、明るく爽やかに仕事をこなす社員の方々は、自然と心からカッコイイ!と思える存在だった。
しかし、すべては最後の日、インターン終了後の飲み会の席で崩れ落ちてしまう。
僕の隣に座ったのは、職場でも特に明るく、冗談を飛ばし、コミュニケーション能力に長けたナイスミドルな方だった。その方は、仕事中も緊張している僕をいじってくれたり、プライベートな雑談もたくさんしてくれて、とても頼りになり面白い方だった。
その後は、ナイスミドルな社員さんの『会社に行きたくなくて取った行動』、『発症した症状』の具体例のオンパレードだった。
今考えると、大企業でハツラツと働いていている人が、実は心に大きな闇を抱えていたり、薬を飲まないとやっていけない状況にあったりというのは、何も珍しい話ではない。実際、僕の周りにもそういう方はたくさんいた。
しかし、当時の感受性の固まりだった僕にとって、前向きイケイケなナイスミドルさんの告白は、僕の就職観に影響を及ぼすのに充分すぎたのだ。そして僕は、10代の頃に見た『起業家』、『自由』という夢を再び振り返るようになった。
しかし、夢を見るという選択肢を持つには少し遅すぎたようだ。もう就職活動の本格始動がすぐ目の前まで迫っていた。
ホワイト企業に入社が決まる
就職活動が本格的に始まり、僕の志望とする軸が2つ生まれた。1つは『クリエイティブで私服で働けそうなイメージの業界』、もう一つが『まったりホワイトな業界』だ。
僕の志望業界や企業を聞いた友人は必ずと言っていいほど、『バラバラじゃない?』と口を揃えて言った。しかし僕の中で考えははっきりしていた。
『社会に出るのは辛いことだ。それならばとことん面白そうなイケてる業界にいくか、マックスで楽そうな業界に行くかどっちかだ!』
そして、春。桜など既に散った頃。僕はいくつかの会社から内定をもらった。
受け取った内定の中で、厳選なる審査を行い、最終的に2択にまで絞った。
奇しくも『クリエイティブでイケてる会社』と『ホワイトな大企業』だった。そして悩んだ。
僕は自己分析の結果、軸を2つ設定しておいたまではよかったが、異なる軸の会社2つから内定をいただくまでは想定していなかった。
第一、『少しでも楽そう』っていう考え方が気に食わねえ!満員電車とスーツが嫌なんだろ!?
結果、現実的な僕がドリーマーな僕の意見を退け、僕はホワイト企業に入社することになった。周りの人は皆、手放しで喜んでくれたし、『こんな会社にいけるなんてすごい』と言ってくれた人もいた。
しかし、僕の本心を知る友人や、他でもない僕自身が僕の選択に対して少し悲しい感情を向けていたように感じた。
僕の気持ちは50対50で、どちらを選んでもそれなりに後悔や悩みを抱えることになるだろうとは思っていた。しかし、自分の本心と夢に逆らうことがこれほどまでに重いことだとは知らなかった。
そして、僕はすべて忘れるかのように、大学生活の残りを遊びと旅行とライブにつぎこんだ。次第に悩みなどなくなっていった。
僕は、現実的な未来を確かに受け入れるようになっていたんだ。
今の仕事より楽しい仕事これからないよ?笑
3月22日、友人の一人が大学卒業と人生の終わりを等号で結んだ頃には、僕は自分自身の洗脳を完璧に仕上げていた。
『僕は安定した会社で平凡でも幸せな暮らしを掴む。人生の終わりなんて何を言ってるんだ。』
そして4月1日、入社式を終えると研修の日々が続く。僕は過去の夢を振り払うかのように研修に集中した。誰よりも自分の意見を述べ、順位がつくものは当然1番を狙った。同期とのコミュニケーションをはかるため、毎日のように夜の街に繰り出した。
正式に職場に配属されてからも、その姿勢は変わらないはずだった。しかし、いつしか土日を待ちわび平日を憂鬱な気分で過ごす自分がいることに気づいた。
満員電車に揺られ、憂鬱な表情で会社に向かい、オフィスに入る瞬間に、偽りの自分を作り元気よく挨拶をする。そして退屈な仕事に追われ、華の金曜日に恋いこがれる。日曜の夕方頃から憂鬱な気持ちが感情を支配するようになる・・・
いつかのインターン時代のナイスミドルさんのことを思い出した。
このままじゃ、あの日僕が感じた「なりたくない大人」になってしまう。そう感じた僕はとにかく焦った。今までの人生は何のためにあったのか。夢を自ら捨てて、『あの時こうしてれば・・・』と一生悔いていく情けない男で終わるのかと何度も苦悩した。
そんな時、会社の同大学の先輩から電話があった。どうやら、慶應出身者の社員を集めて飲み会を開いてくれるらしい。この知らせを聞いて僕は少し救われた気分になった。
『もしかしたら、僕の悩みが少しクリアになるかもしれない!』
『会社員として生きていく際の為になる話が聞けるかもしれない!』
その後、僕はその飲み会の日を心待ちにしてルーチーンワークをこなした。
そして、飲み会当日だ。
その飲み会には既に出世をして本社でバリバリと働く憧れの先輩たちがたくさんいらっしゃるので、ここで新しい自分の目標だったり、新たな理想像を描ければいいと期待していた。
GLAYのTERU似の実業家になれなくてもいい。西島秀俊とか竹野内豊のようなスーツが似合う渋くて仕事のできるオッサンになってやろうじゃねーの!?
しかし、現実はいつも甘くないものだ。
そして、夢というものはいつも飲み会で打ち砕かれるものなのだ。
これは、『今の仕事を楽しめない奴に、違う仕事を楽しむことなどできない』という精神論的なお説教ではない。ただ言葉の意味をそっくりそのまま受け取ることが正解である。
私が入社した会社では、ある程度若手社員の配属されるルートは決まっている。最初は皆が同じような登竜門な部署に配属され、その後少しずつ適正と会社の方針によってコースが決まってくる。
つまり、僕が当時経験していた仕事は、その場にいた大先輩方が全員、経験したことなのだ。その後、話を詳しく聞くと、どうやら先輩たちは真剣に、新入社員の時に行っていた仕事がキャリアで一番楽しい仕事だと思っているようだ。
信じられない僕は、やりがいのありそうな仕事に就いている人、全員にお酒を注ぎに行き、仕事の話を聞いて回った。その結果は、もうあえて語る必要はないだろう。結果として僕は非常に絶望したのだ。
夢を捨て、現実に打ち込もうと決意した未熟な若者が、夢を捨てきれず現実もなあなあになってしまうことなどよくある話だ。きっと僕のことを情けないとか甘いという人もいるだろうということも自覚していた。
だから、僕は決意をした。
環境が変わらないなら、自分が変わればいい。
自分が変わって、好きなように生きる環境を作ってやればいい。
甘いと思われたってかまわない。そんなこと気にならないくらいに努力をすればいい。
これが現実だと説教をされるのなら、自分だけの現実を作り出せばいい。
そして僕は『いかにして会社を辞めるか』を真剣に考え始めた。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
また後日談やスピンオフストーリーも書いていきたいなと思います。
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