音楽との出逢い。それは人生の大きなターニングポイントの一つとなった。

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次話: 音楽に国境は存在しなかった。言葉がなくても語ることのできたカナダ5ヶ月留学。

こんにちは。長野県小谷村-OTARI-の古民家で宿を運営しているたつみです。

自分の過去を書きまとめる作業、4回目でございます。

誰もが持つ過去から紡がれる物語の断片を。

自己満足にもネットの世界へ解き放つ次第です。

お暇な方はどうぞお付き合いいただければこれ幸いにございます。



京都に、家。あんで??

-2002年5月

たまり場と化した大阪高槻の実家をぼくは、高校1年生になった5月に出たのです。

当たり前の様に進学先は友人達と同じ公立高校。

という、当たり前過ぎる展開に持たんでも良い疑問を根に持った中学三年の秋。

当たり前の様に進学先は友人達と同じ公立高校。

と、思っていたであろう母親にぼくは進路についての話を切り出しました。

さすが我が母。

ぼくは予想だにしない、いや。出来るはずのない母からの提案に度肝をぶち抜かれたのです。


たつみかずき(15歳)
あんさー。高校の話やねんけどさー。
あんたももうそんな時期か。
高校は高槻か近くの公立いくんやんな?
たつみかずき(15歳)
いや。
高槻出たいねんけど。
神戸か京都。
ちょっと高槻から遠いとこ行きたいねん。
あんたまたけったいなこと言いだして!
2年生のときのひきこもりといい。
あんたはいっつもいっつもほんま。。(以下略)
たつみかずき(15歳)
いやさ。
高槻では十分友達もできたしさ。
十分楽しんだからさ。
今度はぼくが知らん人らばっかりの場所で心機一転、高校デビュー!!
そんなんしてみたいんよねー。
折角環境変わる訳しー。
高槻は帰ってきたらいつでも友達いるしさー。
あんたはほんまいつもいつも。。(以下略)

我が両親はこてこての公務員。

「我が家は貧乏貧乏」との口癖も、中学の頃からそれがただの口癖であることに薄々気がついておりました。

家は確かに大きい訳でも新しい訳でもきれいな訳でも全くない。

車も初期型ステップワゴンを乗り潰しておりました。

とは言え。毎年定期的に行われていた北海道旅行1週間や、ぱんぱん過ぎる冷蔵庫や、ぼくを山村留学に3年も行かせていたこと。

極めつけは。。母親が転がす不動産。。。神戸に3件。

物件購入の翌年におこった阪神大震災のときに母親が寝込んでいたことを思い出します。

結局奇跡に全て無事だったんですが。不動産?!!て。。。


たつみかずき(15歳)
と、言うことで。
お母様の持つ神戸のワンルームに住みながら神戸で高校生活。
なんて、素敵なスクールライフを息子はエンジョイしたいのです!!
このすねかじりが!!
それやったらな、かずき。
京都にし!
神戸は全部入居者さんおるさいかい。
たつみかずき(15歳)
京都でもええねんけどさー。
それやったらこっから通わなあかんやん。
ちゃうねんちゃうねん。
京都にもな、家。
あんねん。
京都駅から徒歩10分かからんとこやで。
たつみかずき(15歳)
あー京都に家あるんやー。
それなら京都もええなー。
駅近かー。
なおさら。。って。

。。。??!

京都に母親の4件目のワンルームが存在する事実が発覚?!!

「これはペンですか?」「いいえ、違います。これは消しゴムです。」

「ベンはジョンよりも少しだけ背が高いです。」「しかし、マイクがクラスで一番背が高いです。」

「私は神戸に住みたいです。」「いいえ、神戸ではなく京都に住めばいいでしょう。なぜならそこには家があるからです。」

そんな日常会話から紡がれた言葉の弾丸がぼくを直撃したのでした。

そんなこんなで、ぼくのハイスクールライフは古都京都の街中から始まったのでした。

あれ?もしかして。。たつみくん?!!

ぼくが通い始めた京都市街から北西の私立高校はまるで学園ドラマの舞台になるような建造物でした。

コンクリート打ちっぱなしのスタイリッシュデザインに、制服はなんとかという有名なデザイナーが手がけたものであるようです。

同じ中学校からこの高校に通い始めた友人はたった10名未満で、ぼくは相変わらずに協調性のない純粋無垢な男の子キャラで縦横無尽に初めましてな同い年との友情を育んでいったのでした。

高校生にもなると、特にキャラによってのグループが確立されていきます。

ちょっとやんちゃなグループに、スポーツ系な爽やかグループ、真面目系にオタク系。

それはそれはグループによってこれまでもカラーリング違うのか〜。

といった交友関係にぼくは興味津々なのでした。

ぼくはグループに属することが中学生の頃から好みではなかった為、どのグループにも隔たり無く首を突っ込む交友関係を構築していきました。


5月になったある日。

ぼくは思いがけない再会を果たしたのです。

この出来事が、ぼくの人生の中で大きなターニングポイントの一つになります。


??
あれ?もしかして。。たつみくん?!!
たつみかずき(16歳)
はい。。えーっと。。
え?!!あれ?!!

。。。
あれ?!!

お久しぶりです!!
って、え?なんで?
この学校なんですか?!!


それはぼくが小学生の頃、長野県の小谷村-OTARI-(現在宿運営をしながら棲家としている地域)に山村留学時代で生活していたときの先輩だったのです。

その先輩はぼくの一つ上で、とは言え山村留学で一緒になった時期はなく。

山村留学卒業生として小谷村に遊びにきた際に面識を持った先輩なのでした。

過ごした時間は2日くらいではあったものの、小学生ながらとても優しく紳士的な方であったことでぼくの中では強く印象に残っていたのです。


山留の先輩Yさん
久々だねー。
って、まさか自分の学校にたつみくんが通ってたなんて。
驚きだよ。
たつみかずき(16歳)
ぼくもですよ!!
ほんと久々ですねー。
だって、一度お逢いしたの、まだ小学生でしたもんね。
雰囲気、全く変わってないですね。笑
山留の先輩Yさん
たつみくんも、ね。笑
どう?学校には慣れた??
(以下略)
たつみかずき(16歳)
先輩、ちなにみ手に持ってるの、ギター?ですよね??
バンドやってるんですか??
山留の先輩Yさん
そうそう。
軽音楽部なんだよ。
で、いまバンドやってるんだよ。
たつみかずき(16歳)
へーそうなんすかー。
かっこいいっすねー!!
ぼく、音楽とかきいてるだけで精一杯ですよ。
山留の先輩Yさん
あ。そうそう。
いまさ。
バンドにボーカルいないんだよね。
たつみくん、唄ってよ。
たつみかずき(16歳)
え?!!ぼくが?
ボーカル?!!

。。。

はい。
いいっすよ!!
むしろ、やらせてください!!
山留の先輩Yさん
よし、じゃあ一回練習みにきてよ。
じゃあまた連絡するよ。
連絡先教えて!!

まさかの再会にして、まさかのバンド加入。

高校生活開始から1ヶ月が経った頃のことでした。

棲家も京都駅の駅裏に移り、バンド活動も開始。

いい感じにトントン拍子に、ぼくの新生活がスタートしたのでした。


バンド活動に燃える高校生、たつみです

山留の先輩Yさん
じゃあたつみくん。
そこら辺に座って聴いててよ。


ドラムの先輩がワン・ツー・スリー・フォーとスティックを鳴らし、ジャーーーン!!

と、練習場所である教室になんの音かわからない爆音が響きます。

音が空気を揺らし、教室の窓ガラスをばりばりと揺らし、ぼくの鼓膜に届いた音は。

耳から体の中に入り、心臓を揺らしました。

「え。かっこいい!!!」

ぼくはその空間で鳴り響いている音に心奪われたのです。

音楽、マジでかっこいいよ!!

ぼくの知らない世界がそこにはありました。

音は心に響く。

そんな瞬間を心の奥深くで感じたのでした。

鳥肌のような、身震いのような、息をのむ。そんな感覚でした。

それはきっと、言葉に表現したなら【感動】

という感情で、そのときのその感覚が。

ぼくにいまも尚音楽を続けさせている一つの理由です。


一曲の演奏が終わり、ぼくはその音の余韻に浸っておりました。

山留の先輩Yさん
この曲、たつみくんに唄ってもらうから。
よろしくね。


その瞬間、ぼくは「ボーカリスト」というジョブを装備した訳です。

音楽。

それは、遠い遠い世界の光り輝くステージの上でのみ鳴り響く異質な形である。のだと、思う程ぼくからは縁遠いものでした。

その、音楽。というものにぼくはこれから片足を突っ込むことになるんだ。

ぼくは知らない世界へ足を踏み入れたのでした。


「はい。がんばります。」

そう言うとぼくに一枚のCDが渡されました。

【Deep Purple】というバンドのものでした。


山留の先輩Yさん
それイギリスの有名なハードロックバンドね。
その中からいま演奏した「Highway Star」と絶対どこかできいたことある「Smoke on the Water」やるから。
歌詞みて唄えるようにしといて。
じゃあ練習日、また連絡するから!

ぼくは興奮冷めぬまま帰宅し、すぐさまその音源を聴きました。

かっこいい。やっぱかっこいいよ!!

。。でも。。。


こんな難しい曲唄えるかーーーー!!!!!!

ぼくは心の中で発狂したのでした。

どんな曲かご存じない方はどうぞ一度聴いてみてください。

ボーカリストというジョブを装備したばかりのたまねぎ戦士たつみくんに唄いこなせるような楽曲ではないことが皆目検討がつきますので。

「Highway Star」「Smoke on the Water」


そんなこんなで初ステージとなる秋の学園祭に向けてバンド活動は開始されました。

イギリスのハードロックと、若干のメンバー編成を変えて日本の有名すぎる「愛しのエリー」の3曲が学園祭での課題曲。

ぼくはどうやれば人間離れしたあの高音を歌い上げることができるのか?!苦難の日々を過ごすことになりました。


その頃ぼくはひょんなことから生徒会の一メンバーともなっており。

学園祭では実行委員をやりながら「生徒会」と書かれた腕章を付け初めてステージに挑みました。

高校の多目的ホールのステージは満席で、同級生や先輩達の視線を浴びながら課題曲を熱唱。

満員御礼の凄まじい声援を浴びながら、ぼくは初めてのステージを終えたのでした。


音楽は世界を変えることができるのか?
そんなことわからないけど、確実にぼくの世界は変えたのです。

その後、学園祭後夜祭での中庭ライブで何故かぼくらのバンドがトリを務めたこともあり、周囲はぼくのことを認知するようになりました。

当時ぼくは諸先輩方から「エリー君」と呼ばれており、黄色いお声をいただくこともしばしば。

華麗なる高校デビューに有頂天になっておりました。が、束の間。

ドラムの先輩の強引な人間性が問題となりバンドは空中分解。

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