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許すことをやめて認めることを頑張ることにした

 私はかなり小さい頃から両親が好きじゃない・・・というか憎んでいる部分が心の中にある。

 

これを言うと大概は「生んでもらって育ててもらったのに恩知らず」とか「もっとひどい親だっているじゃない」と言われることは重々承知している。


 でも心の中を覗くと憎しみと怒りと悲しみがある。殴られたこと、蹴られたこと、暴言・・・

自分の心の根幹を揺るがすほどのことがたくさんあった。トラウマも沢山できた。

同時に「こんなに金かけて育ててくれた」「何度も死に掛けてるけど病院に連れて行き助けてくれた」という感謝の気持ちもある。

そして「本当は両親に愛されたい」という切なさがある。

               

割合で行くなら心の中の「親について」を100とすると憎しみ5、怒り5、悲しみ20、感謝20、切なさ10くらい。

あとの50は「無関心」だ。


憎しみも怒りも強い感情で、それを持ち続けるのは大変だ。それだけで生きれるくらいものすごいエネルギーを持っている。

 20代くらいまではそのエネルギーが自分を支えてた。『いつかみかえしてやる』というエネルギーが私を仕事に邁進させた。

親への気持ちは憎しみ30、怒り30、悲しみ5、感謝20、切なさ15くらい。


 しかし結婚という「愛」と「穏やかな生活」を得た中で次第に憎しみや怒りは消えていった。

 きっとそうやって「親への憎しみや怒り」を支えにしなければ生きていけない状況から脱出したことで消えたのだと思う。本当に夫には感謝しかない。


 でも同時に少しの「悲しみ」と沢山の「無関心」が増えていった。


 よく『親を許す』とか聞くけど私は許せない。第一相手は許しを乞うているわけでもないのだ。なのに許さなければいけないけど許せないという感情は私をいつも苛んでいた。

でも「無関心」が増えるほど許せないという心から目がそらせるようになった。

 マザーテレサの「愛の反対は無関心」というのは正しかったらしい。


                                        

 しかしその分今の自分を苛む感情は「悲しみ」と「切なさ」だ。なんでこんなことになったの?自分が悪いのか?いやどう考えてもこれは親が悪い・・・どうすればよかったのか?

 答えの出ない思いはいつも自分を苦しめる。そしてその結果、いつも自分が薄汚く感じるのだ。

時に隣に寝ている夫が綺麗すぎて(単純すぎるという言い方もあるが(笑))、隣に寝ることを逡巡することもある。

綺麗なものが汚いものの横にあることを、汚い私が許せないのだ。なので家庭内ホームレスでリビングで布団も引かず寝たりもすることもある。

まあ一種のヒステリーではあるが。


そして「感謝」。感謝は金を稼ぐようになって大きくなった。金というのはこんなに大変な思いで稼ぐのかと・・・・

こんな傷付きながらこの人たちは私たちを育てたのだと思うと自然と「感謝」の気持ちが出てきた。銭ゲバな自分である。

しかも純粋な感謝というより経験と金という絶対評価から出てきた「感謝」なのでかなり冷静な感謝である。

「お父さんお母さん大好き!」と出るような「感謝」じゃないことも地味に自分を落ち込まさせる。



しかし最近少々無関心の割合を喰う感情も出てきた。

それは「相手を認める」という感情だ。

これは非常に親を第三者的に見ることだ。

相手(親)の生育環境から始まり、仕事や家庭などを第三者的に見る。するとどのようにこの人は悩み、苦しみ、頑張ってきたのか。性格もこんな悪いところがある、でもこういういいところもある。でもだからと言って今までの非道を許せないけどな・・・

そんな風に親を見るようになった。


すると親だって人間なんだから当たり前なのだが人間としてこの人も苦しんでいたのか・・・と思うと同じように悩み苦しんできた自分は不思議な連帯感を持つようになった。

そして一人の人間として「認める」ようになってきた。

すると不思議と心の中の「憎しみ」「怒り」「無関心」の割合が徐々に減ってきた。


ただし「認める」は「受け入れる」ではない。相手の非道を受け入れるつもりもないし、相手がそれに乗じることも許す気はない。

実際に今も非道なことはされているわけだし。それに対しては対抗し、自分の心身や財産を守らなければいけないのだから。



私は思う。日本人は許すことが美徳とし、許すことを強要する文化があると思う。

しかし本当は許さなくていいんじゃないだろうか?

許すことは「再び間違いを犯さない」ということではないのだから。


好きか嫌いか別にして「相手を認める」よう努力することのがいい気がする。

自分的には「認める」ことは相手に非道なことをされた時、対抗しても怒っても悲しんでもいいのだ。ただ「認めている部分がある」ということは相手への多少の尊敬があるので憎しみまでは発展しない気がする。そして感情の昇華も早い気がする。

「許し」てしまうと「許したんだから」と自分の感情に蓋をすることになる。それは感情の昇華が遅くなる気がする。


もしかして「認める」ということが本来の「許し」なのかもしれない。「許す」ことで楽になるとはそういうことなのかもしれない。

でも私は「許す」という言葉が嫌いなので「認める」ことは頑張ろうと思う。



私は「許す」ことが苦手な小さく汚く愚かな人間だ。

だけど「相手を認める」努力はする人間であろうと思う。

30代半ばの今の自分はそう思うのだ。


親の話をするたびに「もういい年なんだから許したら」「実の親なんだか許したら」と連発され早幾年・・・


何度も許そうと努力し、でも許せなかった生き物の戯言でした。





読んでくださってありがとうございました。


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小中学校イジメられっこ&親との不仲 → 定時制高校でハッチャケ→ キャバ嬢やったり日雇いやったり → 鍼灸師になったら学歴コンプ に→ 社畜3年で挫折 → 半年後なぜだか結婚? → 新婚やってたら脳梗塞ですとも! → 鍼灸師+病人+自宅警

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Arai Misato

私の家庭の境遇と、少し似ていて、読んでいて心が少し楽になりました。
ありがとうございます。

田川 勝也

俺、同感です。
俺も、一人の人間として両親を認めています。
しかし、あの方達とは違う生き方をします。
俺は、あの人たちとは違います。

若林 華恵

家族の関係に悩むようになって、姉から進められて鏡の法則という本を読みましたが、それはあまり 心に響きませんでした。というのは、簡単にすべてが解決できるかのように書かれていたからです。でもKaoさんのこの文章を読んで、相手を憎んでても認めるばいいというところに今 心が救われた気がします。
今後、少しずつですが自分が楽になれそうな気がしました。ありがとうございます。

坂元 由貴

私の場合、kaoさんの認めるを理解するという言葉に置き換えて生きてきました。
そうすると、この人かわいそうな人なんだなーと、とっても客観的に見れるんですよね。
小さい頃は幸せな私でしたが、今になって親の愛を気にする私です。いくつになっても、親への執着ってなくならないのかなーと思います。それと同時に、幸せな家庭を築くのってものすごく大変なことなんだなーと感じます。
お話、ありがとうございました。

後藤 詩織

まだまだクソガキ程度の年齢ですが、よく分かります。人を愛すことが苦手でも親ばかりは愛していたいとも思うのですが、中々難しいものですね。

Kuribara Kao

田川さん、コメントありがとうございます。
こうやって書けることもとても田川さんはとても立派ですね。
素晴らしい生き方をしてらっしゃる証拠だと思います。
同感していただいてうれしいです。

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