若年性脳梗塞になってみた その6 ~ 病院愛憎劇場開幕 感情をうまく出せなくなると笑うことしかできなくなる 〜
さて恐怖の一夜を開けて異変がなかったこと、リハビリの先生から診ていただいて割と力が入ることなどから安静はとけぬままですが一般病室への移動が許されました。
これに私は大喜び!やっとこの緊張感あふれる空間から出れる!!
もっとも「大部屋が空いてないから個室だけど」と言われましたが・・・
先生、もうそんな優しい嘘はいいから(笑)HCUほどの管理はいらないけど個室じゃないとまだ駄目な容態なんでしょ・・・
うん、3日HCUって言われたのがほぼ2日で出してもらえるってのはそういうことだもんね・・・お気遣いは嬉しいですけどバレバレですよ。
そんなわけで午後にお引越しすることに。
発声、発話の状態もよく水を飲んでもむせないので絶飲食もこの日のお昼から解かれました。
なのでお昼御飯が出てきて二日ぶりの食事に喜ぶ私。
冷やし中華でした。やはり病院食ですから麺も固まってちょっと食べ辛いけど冷やし中華は大好物!喜んでもぐもぐ食べます。
しかし誤算が一つ。
よく辛子をといたはずなんですがなぜだか辛子がのどに直接アタック!!!
思わずむせかえる私。
その音に飛び込んでくる顔色を変えた看護師さんたち!!
「大丈夫ですか!?」
固まってた麺をやや難儀しながら飲みこみ「だ・・・大丈夫です!!辛子でむせただけです・・・」
「本当ですか??」
嚥下(飲みこむこと。これが障害されることも脳梗塞では多い)の心配をかけられてしまいました。
心配だからということでもう一度食べるところ、飲むところを看護師さんの前で見せ(やり辛い)むせないことを確認し、疑いは晴れましたが危うくHCUに再送還されそうになりました(笑)
体も清拭(タオルでぬぐうこと)までしか許されませんでしたが、看護師さんが手伝ってくれ「女性が頭を洗えないのもかわいそうね」と移動式の洗面台で頭を洗っていただいて(手に機器や点滴が付いてるから)至れり尽くせり(笑)
このHCUでは面白い機械をたくさん見ました。無菌室になっているビニールの部屋や小型の透析機なんて初めて見て、医療機械の進歩はすごいなぁ~と思いました。
午後に入り神経内科の看護師さんがお迎えに来てくれてお引越し。
HCUの先生、看護師さんたちは全員いい人でした。
しかしHCUの厚い扉を出た瞬間「やっぱりシャバの空気は最高だぜ!!」と思ってしまったのは秘密です(笑)
個室は海の見える部屋でとても居心地がいい部屋でした。
が!場所の位置はナースステーションの目の前でトイレも近い。重症患者が入れられる位置の個室でした。(なおナースステーションに直接つながっている個室もあり、たぶんここが一番重症で自分の入った部屋は二番目に重症な人が入る部屋w)
脳梗塞起こして3日。山場を越えたとはいえまだまだ突然死の可能性は残っているのか~と思いながらもやっと誰もいないスペースに来れたことでものすごい安堵をした気がします。
なお今度の部屋では携帯のメールやネットは出来るので暇つぶしに携帯を触りまくっていましたね(笑)
ただ一人になると突然今後の事が心配になります。医療費をはじめ、後遺症のこと、今は全く歩いていないので足はどうなっているのか自宅で生活できるレベルなのか、家事ができるレベルなのか・・・・
不安ばかりが胸を去来します。
もしそうなった場合、夫婦としてはどうするのか・・・離婚・・・?するしかないのかな・・・・
いやいや今はまだ何も分からない状態。彼も何も言わず支えてくれているのにそんなことを考えるなんて失礼だ。
なんにせよ、もうちょっと色々判明しないと何も分からない。不安ばかり数えてどうするんだと自分を叱咤激励します。
この時が心情的に辛かったですね。1番じゃないけど(笑)
この日は夕方くらいに母が見舞いに来てくれました。
入った瞬間「だいじょ・・・・ちょ!なんで個室なんて贅沢してるのよ!!!」
もう本当にがっくりしましたよ。ただでさえ色々ストレスが多い状態だし、病気も今後どうなるか分からないのに、入った瞬間金の話か――い!
「個室は入りたくて入ってるわけではござんせん、先生から個室なら一般病棟に移っていいと言われたからはいってるんです!なお絶対安静です。」
「でも贅沢だわ!」
全く相も変わらず愛情が持てない行動をする人だな・・・とは思うも2時間もかけてきてくれたことには感謝です。
色々と足りないものなども買ってきてくれましたし。
「まあとりあえず、お座りくださいよ。」
と席を勧めて色々病気の話をしているうちにこっくりこっくり・・・・
まあ仕事もしている人なので忙しかったのは分かるけど、流石に今寝るな(^^;)
全く何しにきたのだとも思いますが寝ていると静かでありがたいですw
そんな時に回診に東山先生(仮名)ともう一人の先生が入ってきました。さすがの母も起きだします。
先生に挨拶をした後回診が始まりました。
「Kaoさん、お加減変わりないですか?やはり一般病棟のが落ち着きますかね?」
「おかげさまで変わりないです。はい、やはりこちらの方がいいですね(笑)」
「でもまだ心電図と酸素のやつは外せませんから、病室とトイレ以外は出ないでくださいね。
そうそう、後ろの彼は研修医の鹿児島君(仮)です。研修医なのでこれからちょくちょく彼が来ると思います。この後、彼に病状説明してもらいますね。分からないところがあったらどんどん質問して鍛えてあげてね(笑)」
「研修医の鹿児島(仮)です!よろしくお願いします!!あとでパソコン持って来て病状を説明させていただきますね。」
そういったあとまた簡単な検査をして二人は去っていきましたが、鹿児島君だけはガラガラとパソコンを持って帰ってきました。
パソコンには私のMRI写真が載っています。この時に初めて見ましたがなるほど、途中から左側に白いものが移っています。
(他の方の写真ですがよく似ています)
「まずKaoさんの脳梗塞なんですが左の放線冠という場所で5cm程度の大きさで起こりました。ただかなり薄いことと脳は梗塞などを起こすと浮腫むことが多く、それが症状を悪化させることが多いのですが、すぐ横に側脳室(脳の中の空間で脳髄液が入っている)がありどうやらそれで浮腫んでも他に被害が与えず小さくすんだようです。
ただ場所が運動神経や感覚神経が通る所なので、もうしばらくしたらリハビリが始まると思います。
血液検査では全くの異常がなく、今はもっと詳しい血液検査をしている状態です。
可能性があるのは前回先生もおっしゃってたピルなのですが、同時に心臓弁膜症や心臓の中隔に穴が開いてないかなどの検査もして心臓が原因でないかなどを見たいと思ます。
入院は2か月くらいになるかもしれません。この病院でもかなり珍しい症例になるので色んな科にいくことになりますけど頑張りましょうね。」
その後鹿児島君は「特殊な例なので」ということで普段はしないという親族の病気など丁寧な問診をして帰りました。
この間、私が答えようとも母が答えてしまうことも多くかなり困りましたね・・・
そして鹿児島君が帰った後、夫がやってまいりました。
母は夫が大好き!というか大のお気に入り。
ええ、娘以上に・・・・(汗)
帝六で研究者で生真面目、仕事一途な理系君は母にとっては自慢の息子(義理だけど)
もう大好きで大好きでたまらないのです。これが定時制高校出の一族の恥さらし(本当に定時入学時に言われた)と結婚したことが不思議なんだそう・・・・
ていうかそんなこと本人に言っちゃだめだと思うよ、母よ。
「あら~~!夫君来てくれたのね!今回はうちのがまた迷惑かけちゃってごめんなさいね!本当にダメなんだから!」
悪いけど迷惑はほとんどかけてない(怒)ほとんど自力で入院したんだからそんなことを本人の前で言うもんでもないとは思うもこれに切れていたらやっていけません。
第一結構元気と言えどもやはり具合は悪いので言い返す元気もありません。
母のマシンガントークに夫たじたじ。病気の事より夫の仕事の事ばかり聞くので夫も戸惑っている様子。
母よ、誰の見舞いか考えろ・・・というか夫と話させてくれ・・・・(泣)
最後には「もし職場でいい人がいたら姉(未婚)に紹介してね~」とまでのたまう始末。
本当に何しに来たんだ・・・orz
そして満足したのか「じゃあそろそろ帰るわ」と言って去っていく母。
二人して「あれはなんだったんだ・・・」状態でした。
しかしもっと大嵐が来たのはその翌日のこと。
今度は父と母がやってきました。
出不精な父が来たのに驚きながらも嬉しかったのは覚えてます。
席を勧め、座ってしばらくぶりに話す父。なんだか嬉しくてありがたいきもちになりましたが、しかしそれは急転直下しました。
「今回は大変だったな。まあお前に何かあっても大丈夫だからな。お姉ちゃんもいるし夫君のことは心配しないでいいよ。
うちのおばあちゃんも従妹の代わりにおじいちゃんと結婚したんだし。」
もう目がテン・・・・
「うん、昔からよくあることだしね・・・あんまり後のこと心配しないで。彼も若いしね。元気になってもあんまり迷惑をかけるのもよくないし。」
と母。
えーと、いまだに死の危険に直面している実の娘にそれですか・・・そうですか・・・・
死んでも大丈夫とか離婚匂わせるとか・・・・
生きるために頑張っているのに・・・・・
それっていくらなんでもしていいこと??
呆然とはこのことを言うのでしょうかね・・・もう追い出したい気分満載。
そんな時に運悪く夫が見舞いにやってきました・・・・
夫が来たことで両親は大喜び。
「お茶でも行きましょう!」
といって夫を引きずるようにそのままお茶へ・・・・
そのまま3人は3時間帰ってきませんでした。
その間、私は海を見ながら呆然としていました。
ああ、もうあの人たちを親とは思ってはいけないのだなと感じるとともに、頭の中に始終「離婚」という言葉が舞い踊るようになった瞬間でした。
それ以来入院中は私は苦しいとも辛いとも言えなくなりました。
ただただ笑うこと、おちゃらけることしかできない人間になりました。
その7に続く
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