雑誌を作っていたころ(11)
新雑誌、その名は「ドリブ」
学研のぼくらに対する要望はただひとつ、「30代男性向けの月刊誌を作ること」だった。
当時、青春出版社の「ビッグトゥモロウ」がお化け雑誌的に売れていて、この牙城を崩すことを使命として与えられたのだ。
ただし、青人社の内部は分裂していた。社長の馬場さんが「太陽的な文化誌」を推進し、事実上のリーダーである嵐山さんが「サラリーマン向け面白雑誌」を推していたからだ。社内調整はつかず、結局「馬場チーム」と「嵐山チーム」のふたつのプロジェクトを作って、2案を同時進行させることになった。2人のボスがケンカをした瞬間に会社が空中分解する危惧を、だれもが抱いていたからだ。
ぼくは嵐山チームに入り、サラリーマン雑誌の企画を考えることになった。最初は仮想敵である「ビッグトゥモロウ」を徹底的に研究したが、読めば読むほどこの雑誌は憂鬱になってくる。
ダメ人間を慰謝し、カラ元気を出させる記事の羅列なのだ。小見出しのひとつに至るまで、ぼくらとは正反対のメンタリティを持つ人々が作っていることを思い知らされた。
このままではみんな鬱病になるのではと心配になったころ、
「やめやめ、俺たちは独自路線を行くぞ」
という嵐山さんの鶴の一声で、みんな呪縛から解放され、元通りに元気になった。
誌名案は「青年王者」。『少年王者』の山川惣治先生に表紙イラストを描いてもらうという構想だった。
この段階で「ビッグトゥモロウ」のコピー雑誌を作るなどというケチな了見は雲散霧消していた。
「弱虫、泣き虫、ずるい奴は俺たちの雑誌を読まなくていい。馬鹿正直で義理堅くて、お祭り騒ぎが大好きな連中のために作るんだ」
という嵐山さんの檄のもと、志気は最高に上がっていた。
一方の馬場チームは「リビエール(仏語で川の意味)」という誌名の、二番手「月刊太陽」的な企画案を作ってきた。テイストとしては「サライ」のはるか先輩にあたる雑誌である。「青年王者」と「リビエール」。つまり面白主義と教養主義の激突だ。
審判の舞台は学研本社における企画推進会議に移されることになった。ぼくらはお互いに、模造紙を横に何枚も貼り付けた「巻物」を作り、自分たちの企画が採用されることを祈った。
当時の学研は、書籍、雑誌、トイ・ホビー、化粧品、健康器具、オフィス機器などすべての企画を、創業者古岡秀人会長の主催する企画推進会議で決定していた。
社内的にはこれを「御前会議」と呼んでいた。「お殿様」の決済がなければ、何も前進しないからである。
社長会議室には、古岡秀人会長以下、役員が数十人ずらりと並んでいた。ぼくらの前の議題を聞いていたら、発表者は膝がガクガク震えている。
「家族の生活がかかっているもんなあ」
と、ぼくらは他人事のようにささやき合った。
さて、ぼくらの番になった。巨大な黒板に「巻物」を上下二列に並べて貼り出す。上が「リビエール」、下が「青年王者」だ。そして馬場さんが企画説明を開始しようとした瞬間、「お殿様」から声がかかった。
「下の案にしましょう。創刊は5月ということで」
あっという間の決着で「青年王者」に軍配が上がったものの、ぼくらはあっけにとられていた。ただひとり馬場さんだけが首をうなだれていた。
待望の雑誌が企画決定したというのに、学研から東急池上線長原駅までの長い坂道を上る間、だれも口を開かなかった。
数日後、学研の編集総務部長がやってきた。
「誌名のことなんですが」
と、彼は言いにくそうに口火を切った。「お殿様」が誌名を決めてしまったというのだ。
学研には職域雑誌として「Do」「Live」「活性」という雑誌があったが、そのうちの2誌の名前を合体して「Do Live」。これがぼくらの新雑誌の誌名だった。
むろん嵐山さん以下のスタッフで抵抗は試みたが、超ワンマン会社にそれは通じない。部長が帰ったあと、みんなで和室に集合し、ビールとコロッケでやけ酒を始めた。
「ドゥリブなんてダサい。売れっこない」
「だいいち英語にもなってない」
「犬や猫の名前じゃないんだぞ」
みんな荒れた。
そこに「こんちわ〜」とやってきたのが糸井重里氏。嵐山さんの古い友人だ。
「おや、宴会ですか?」
糸井さんは瞬時に重い雰囲気を察知したはずなのに、わざと明るくボケをかました。
「俺たちの雑誌の誌名がさあ」
と、嵐山さんが糸井さんに説明を始める。仲間に隠し事をしないのが嵐山さんのいいところだ。しかし、どんなに糸井さんが優れたコピーライターでも、親会社に決められたネーミングはいじりようがない。そう思った瞬間、糸井さんが発言した。
「これって、読み方は決められてないんでしょ。それともカタカナで誌名登録されてんのかな?」
「いや、誌名登録はこれからだと言ってた」
「なら、さ、『ドリブ』にしない? カタカナの『ドゥ』は絶対に弱いから、『ど根性』の『ド』にするの。3文字だから読みやすいし、誌名の由来を聞かれるから話題にもなるでしょ」
「よし、それでいこう! 俺たちの雑誌は『ドリブ』だ!」
嵐山さんが糸井さんの肩を叩きながら叫び、ぼくらは鬨の声を上げた。こうして「ドリブ」はスタートした。
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