『常識とは18才までに積み上げられた先入観の堆積物にすぎない』
これからは河童の時代以来となる皿の大きい女がモテる時代が来る!!
皿が大きいほどかわいい・・・
皿が大きいほどかわいい・・・
・・・貧皿
残念ながらボクが実際に出会ったムルシの女は皿が小さかったから、ムルシ的に言ってもモテるタイプではなさそうだ。
仕方がないので、写真で皿の大きな女を見てムラムラするしかない。
巨皿っ!!
でかいけど・・・皿の大きさでぜんぜん興奮できないし、怖いだけっ!!
認めたくはないが、己の常識を打ち破れるほどの柔軟性はボクにはなかったようだ。
生まれた時から脳に刷り込まれた常識の範囲内でしか美を感じれなくて少しホッとする。
でも、美に対する価値観まで大きく変えてしまう『常識の違い』というやつは、考えようによっては便利かもしれない。
仮に、日本の常識でいうところの『美』に関して悩んでいる人がいても・・・
伸びるのであれば、ムルシ基準の美を追求する道があることをアドバイス出来るし・・・
下唇すら伸びないのなら・・・マジックペンでまゆ毛をつなげてしまえばいい。
勝てない土俵には立たない方向でアドバイスをすることで、世の悩みを解決できる気がする。
常識とは、その社会に属する多数の人が共有する知識でもある。
ただ閉鎖的な社会の常識は、外側の社会に属する人間からすれば残念な場合が多い。
北朝鮮で接した人たちのなにかと自信満々な態度は、根拠がよく分からないのである。
「最先端を突破する!!」と豪語しているのだが・・・
どれくらいの長さの最先端を突破しようとしているのか?よく分からないのだ。
日本で見たこともないビデオカメラを持ってる人たちに「最先端」を語られても、ハイテク感を一切感じない。
それでも自信に溢れていられるのは、「うちは凄い国だ」という常識のせいだろう。
常識とは、根拠のない思い込みなのだ。
巨大な東京の地下鉄網を乗り継いでやって来たボクに、よくも上から目線で言えたものである。
世界を知らない常識は恐ろしい。
ボクは、大抵の人に「どこそれ?」と言われるトビリシや、エレバン、バクー、タシケント、アルマトイと言った都市でも地下鉄に乗ったが、いちおう全て自動ドアだった。
地下鉄のドアが、手動でガラガラガラと開けるタイプの引き戸だったのは平壌だけである。
時には常識を疑ってみた方がいいかも知れない。
自信に満ち溢れる彼らからボクが学んだ教訓である。
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