アホの力 1-2.あの日
たまたま仕事が休みだった私は、家の近くのマンガ喫茶でぐうたらしていた。
その時、ゴーッという地鳴りと共に強い縦揺れが、直後にメチャクチャな揺れが私を襲った!本棚にあったマンガは殆どが床にばらまかれ、ガラスは割れ、電気も消えた。
情報は携帯のワンセグからしか得られなくなった。その小さな画面を見やると、大津波警報が出ているという。一気に不安になった。
これから…どうなるんだろう?津波…って?まさかぁ。でも、半端ない揺れだったぞ。
しばらくすると、画面からは津波の映像が。さらには、原発が停電で原子炉の冷却が不能だと…。とんでもない状態だ。
あわわわわ…一人で勝手にパニックになる。
都内で知り合いと会う約束があったのだが、交通情報を見るとすべての電車が止まり、首都高は全線通行止めになっていた。取り敢えずウチに帰ろう。けど、道路は至る所で大渋滞を起こしている。
街中がパニックだった。
こんな時に、一体何をどうしろってんだ?さぁ分からん。
何も考えられなかった。というより、何かをすべきなのかどうかすら、判断出来なかった。
そんな中、福島第一原発で水素爆発が。
目に見えない放射能は、国中を更なるパニック状態にしてしまった。
それから数日、経験した事の無いパニックが続く中、私の周りではある現象が起こる。
私の仕事はトラックドライバーだった。取り扱っている積荷は、ドリンクやカップ麺といった、保存の利く食料品が主だった。
私の住む関東地方では、そうした食料品の買占めが起こっていた。瞬く間に倉庫から、それらの品物が消えて行く。
被災地ではそうした品物が足りなくなっていたのだが、さもありなん。買占めによってメーカー在庫すら底を尽き、生産が追い付かない状態になっていた。
ガソリンスタンドも在庫が無いため軒並み閉店し、辛うじて営業していても長蛇の列で、夜通し並んでようやく10L程度の給油が出来るといった有様。トラックの燃料確保には、ことさら苦労した。
何か…おかしくねそれ?
何でそんなに買占めを?買い占めなきゃ、みんなに行き渡るんだよ?
どうしても必要な人以外は買占めを止めて、物資不足の被災地に優先的に回そうぜ。
そんな釈然としない気持ちで過ごしていた、震災発災から二週間程経った仕事中のトラックの車内で、ある人の呼びかけを目にする。
『南相馬が、兵糧攻めにあっています。どうか皆さんご協力を!』
南相馬市長、桜井勝延氏の呼びかけだった。
それを目にした時、訳が分からなかった。その呼びかけは、動画投稿サイト『YouTube』上に投稿されたモノだった。
何でだ?
行政機関の長、しかも最前線の被災地の市長が、何故誰でも気軽に動画を投稿出来てしまうYouTubeに、こんな呼びかけを?
そんな事をしなくても、TVや新聞に載せれば良いのに。
しかし、10分程のその呼びかけを見て、合点がいった。
南相馬は福島第一原発から近過ぎて、マスコミも近寄らないのだ。もちろん物資の配送トラックも。
原発の水素爆発以後、原発から30km圏内は『屋内待機区域』に指定され、外に出るなと言われていた。それ故、南相馬は市内では生活全てが、市外からは人とモノの流れが止まり、街全体が完全に孤立してしまっていたのだ。
なんて事だ!
数万人の人が暮らしている街が、閉ざされてしまっているとは!
このままじゃ…餓死者も出てしまうかも!
大変だ!
気付けば、トラックの中で涙を流していた。私の中で、何かが大きく流れ始めた瞬間だった。
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