教科書に載っている、いい話②
自然物としての人間は、
決して孤立して生きられるようにはつくられていない。
このため、助け合うということが、人間にとって大きな道徳になっている。
助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。やさしさと言いかえてもいい。
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
みな似たような言葉である。
この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
根といっても、本能ではない。
だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。
その訓練とは、簡単なことである。
例えば、友達がころぶ。
ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、
そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。
この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、
他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。
君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、
二十一世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない。
鎌倉時代の武士たちは、
「たのもしさ」ということを、たいせつにしてきた。
人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。
人間というのは、男女とも、たのもしくない人格に
みりょくを感じないのである。
もう一度くり返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。
自分に厳しく、相手には やさしく、とも言った。
いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。
それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。
そして「たのもしい君たち」になっていくのである。
以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、
欠かすことができない 心がまえというものである。
君たち。
君たちはつねに晴れあがった空のように、
たかだかとした心を持たねばならない。
同時に、ずっしりたくましい足どりで、
大地をふみしめつつ歩かねばならない。
私は、
君たちの心の中の最も美しいものを見続けながら、以上のことを書いた。
書き終わって、
君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。
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