◆ 男のプライド ◆

著者: 中野 愛子


ちょっと前までよく活用していた 

日雇い派遣で出くわした、製本工場のおじさん。 

おそらく非正規雇用で、一日単発派遣で初めてやってきた私に、ちょっとぶっきらぼうながらも優しさを持って仕事を教えてくれた。 

製本工場というのは、だだっ広くて、耳栓を必ずつけなければならないほど大きな機械音がなり続けている。 


しかし、耳栓は義務付けられるのに、マスクは義務付けられていなかった。 
独特の製本工場ならではの機械臭みたいながものすごく強い。  

... いや、臭いっていうより、「空気」が。  


ほんの1時間で、「これ毎日いたら絶対気管系の病気なる…やばいこれ肺がやられる…」って強く思ってた。


むき出しの製本機に注がれる機械油とインクが擦り減って大量に発生して密度の濃いのどを通るといがいがする気体。 


さらに、カメラのフラッシュの5倍くらいある非常に強烈な「機械光」も絶えず発せられていた。

なんの役割をしているのかまでは知らなかったが、何千何万の製本をするだけ何千何万回その強烈な光が製本と共に労働者の目に強力に焼き付けられる。

もちろんメガネだってない。

見ないように作業をしても、光が強くて嫌でも光った瞬間目に焼き付けられる。

 空気が1番対処すべきものだと思った。あの現場では。

よく印刷工場では気管系のガンになるとか聞くけどさ、これよりもすごい空気なんだろう。分からないけど。 


・・・で、そこで出会ったその日、私に単純作業の仕事を教えてくれた非正規雇用のおじさん。  

典型的な中年太りで、髪の毛はうすく、お昼ごはんのときに、 
「うちの嫁はんがさ〜」
と仕事仲間に苦し紛れに語っていたおじさん。

その製本工場内で半袖のTシャツで働いていたそのおじさんは、帰るとき、その廃れた作業着から、なんと、「スーツ」に着替えて私と同じ電車で帰っていった。


これから別の仕事があるようには見えなかった。 

そのスーツは、すごく汚れていて、しわっしわのよれよれだった。

びっくりした。


その廃れたしわしわよれよれのスーツに、ネクタイ作業着の入った紙袋と、汚れた合皮靴と、何が入っているのか分からない合皮鞄で、全然サラリーマンになりきれていない清潔さの格好で、そのおじさんは 
「お疲れ」
と一言私に言って帰っていった。 


中野 愛子

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