たった一つの出来事で運命は変わる(挫折)
前回の続き
自分なんか生きていても意味がないんじゃないか
そう思うようになっていった。
今でも時々思うことがあるのだが、自分は何のために生まれたのだろうと本気で思うことがある。
野球をやっていたときはプロ野球の選手になるために生きてきた。
プロ野球選手になれると本気で思っていた。野球のためならなんでもできる。
辛い練習も、勉強も、家の手伝いも。プロになれるならなんでもできる…。本気でそう思っていた。
そう思っていたのに
大好きな野球ができなくなってしまった。
もう自分に価値はない。生きている資格すらない。
そう思った16歳の僕は
死のう
そう考えたのだ。
生きているだけで十分であるなんて聞くことがあるが、そんなの精神がボロボロになっている人には何の効果もない。
じゃあ教えてくれよって聞きたいのが本音だ。
でも、誰も答えてくれない。教えてくれない。
ほらやっぱりね…
生きているだけで十分。そんなの嘘だ。気休めなんていらない。
友達も親もみんなが敵に見えてきた。
電車がくる時、何回も飛び込もうとした。家に帰る度にずっと泣いていた。
中には理解してくれる友達もいて、何回も何回も話を聞いてくれた。多分その友達がいなかったら手遅れだったと思う。
そんな時
僕は一つの選択をした
同じ学校には軟式野球部もあった。
もちろん硬式野球と違うので、そこに移った瞬間プロ野球への道は閉ざされる。
夢が趣味になる瞬間でもあった。
学校を変われば良いんじゃないか。そんな声もあった。
確かに学校を変われば良いのかもしれない。でも、金銭的な余裕はない。
答えはおのずと決まった。
プロ野球選手になる夢は諦める
高校1年生、16歳の秋。
僕は夢を捨てた…
軟式野球部に入部することに決めた。
野球を初めて7年目
僕は夢を捨てた。自分の命の変わりに。
この決断はとても辛かった。
でも、
やっぱり野球が好きだった。
夢を捨てることは辛かった。けど、大好きな野球を続けたかった。
夢はまた別なものを見つければいい。
馬鹿な自分なりに答えを出した。もちろん両親には怒られたし、周りの人は驚いていた。
そりゃ周りは驚くだろう。
あんなに野球が大好きで、野球=司、司=野球と地元の人は思っていたし、野球推薦で高校に入学した人が野球部を移ったのだから…。
それでも自分の気持ちに嘘はつけなかった。
野球が好きだ。
それだけが唯一の救いだった。
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