一年間療養中に、痛みでストレスパンパンだった日常が、ストレスと戦わなくてよくなった話

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当時、頭痛の症状が止まらないと、「やりたいことができない!痛みを何とか取り除けないか」と、そんなことばかりを考えていたんです。


頭痛薬を飲んでも効果はない状態でした。しかたなく、心療内科でもらった睡眠薬を飲んで、寝るほかに痛みから逃れる方法は見つかりません。

仕事をやろうとパソコンの前に座るものの、ディスプレイの光に反応するかのように痛みが増えてしまいます。

表計算や企画についての考えを巡らせようとしても、痛みが増していきます。


今までなんの苦もなくやれていたことさえ、痛みのせいで取りかかることができなくなっていました。

「この痛みさえなければ、やりたいことができるのに!」

そんなイライラやストレスでいつの間にかいっぱいいっぱいになっていました。

そんな時に、痛みは稀な現象なんだと知ったんです。


「ああ、ストレスを抱えている時に考えていたことって、完全に痛みを無視していることだったのか」気付きます。


「やっちまった・・・」

身体のことを何も知らないくせに、自分のやりたいことだけしか関心を持たず、その判断基準に固定された状態で、この身体は使えないと勝手に判断していた自分がそこにいたんです。






やっちまった…から生まれた反省、そして認識の変化

学生時代に打ち込んでいたスポーツでひざを故障し、半年以上もリハビリをした苦い経験があります。その時も身体について正しい知識を持っていなかったために、無理を重ね歩くことさえ出来なくなってしまったんです。


「あの時もそうだったのか・・・」


僕は昔からついつい身体が限界になるまで、没頭しまうクセがあります。没頭する事は悪いこととは思っていませんが、その代償として身体を酷使してしまうんです。

今まで経験してきた思いもよみがえってしまい、反省するほどのショックになってしまいました。

なんてことをしていたんだと。



身体はこれまで、何も言わずに支え続け、やりたいと思う方向へ常にサポートしてくれていたのに、まったく身体の状態に関心を向けようともしていなかったんだと。裏切っていたんだなと。

常識では変な考え方かもしれません。

うまく説明はできませんが、身体を無視していたというのは、とても自分にとっては切ない感じなんです。

大切な人を孤独にさせてしまったような。



その反省があってからは、稀な痛みを感じる事が出来ることに喜びはしませんが、痛みを受容できるようにはなりました。

痛みを感じることは、今、この瞬間を生きていることと同じ。なら、感じれることを大切にしようと。



そうなると、不思議に感じ方や捉え方が変わっていくんです。

これまでは、痛みを身体とは完全に分離したものとして捉え、痛みだけを取り除こうと考えていました。でも、痛みって身体の動きの中の一部なんですよね。

分離して考えて痛みだけを何とかしようとすること自体に問題があったんだと考えるようになりました。

それと、知識として理解しようとしていたんですが、まるで痛みという動きにも意志や心があるような向き合い方をするようになっていました。

痛みに意志や心があるなんて、変なこと言ってますよね。


そんなイメージが浮かんでからは、その痛みの意志を探求するようなイメージと深呼吸を合わせた呼吸法をするようになります。

「痛みそのものになって、ギンギンとする動きそのものになって、その動きであり、出会いを起こそうとしている意志と出会おう、ひとつになろうと」


その頃から痛みがあれば探求するイメージと深呼吸を繰り返していました。

すると、

痛みはあるんですが、痛みの認識が変わったからでしょうか、ストレスは自然と消えていきました。

ストレスがなくなるのは、療養生活にはとても!とても!大きなことです。

心の平和を脅かすものがなくなります。それに何より、痛みや体の不調が現れた時に、自分のあるべきところといえるような、とにかく落ち着かせる道(探求するイメージと深呼吸)が見つかったのは、大きな変化でした。


それは、自分の知っている情報知識から離れること。痛みを何とかしようとするのではなく、「痛み」と名前をつけているそもそもの動きやその意志と出会おうとすることの大切さを認識できるようになれました。

こういうのをありのままというのかもしれませんね。



もし、自分の知っている世界に固定され、やりたいこと中心の判断基準に固定されていたら、自分が勝手に作り出したストレスにつぶされていたかもしれません。


笑えないギャグは、やっぱり少ないほうがいいですね。




【まとめ】

『やりたいと思うこと』と『頭痛』が疎通できず、『ストレスでいっぱいいっぱい』に。

だったのが、


身体のことを知らないくせに、やりたいことだけにしか関心をもっていない判断基準に固定』されていたことに気付き、『反省』。

痛みに対する認識と関係性が変わり、大切な存在として認識・需要できるようになった』『ストレスが消えた。』



【プロセス】

痛みを問題だと思っていた


そもそも痛みって何?


痛みという結果とそこにいたるメカニズム、そうさせる意志に関心が向く


勝手に決め付けて痛みが問題の原因だと思っていたことに気付く


反省。原因は自分の判断基準に固定していたことだったと気付く


痛みの認識が変わる


関係性が変わる


ストレスが消えた




最後まで読んでくださりありがとうございました。m(_ _)m

当時はコンテンツの開発時期でしたが、現在は認識技術・観術として確立できるまでになりました。

判断基準の固定は、このコンテンツの一部にあたります。

開発時期は未熟も多く宗教だカルトだと思われてしまうことも多かったのですが、時代や人の意識の変化もあり、最近ではなくなってきました。


判断基準を生み出すのも固定させてしまうのも実は自分です。

当然、ほどく気付きを得るのも、再創造するのも自分です。そのサポートをするのが僕の役割になります。

ロジックを司る左脳の前頭葉が無い僕が理解から始まる変化ができたんですから、誰にでもできるはずです。


今回の話がみなさまの助けになれたら幸いです。



この療養期間の中でまだいくつかの気付きがありました。

自分の心と細胞一つ一つがつながってイメージできた話と意識のベクトルと心のベクトルを同じ方向に向けることが健康なんだと気づけた話。

また時間を見つけて投稿したいなと思います。

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