若年性乳がんになって片胸なくなったけれど、日々楽しく生きている話~第一章

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一通りの検査が終わってから1週間。

私の携帯が鳴った。相手は病院の受付マダム。

事務長
今先生に電話代わりますね。
アタシ
まさか結果が最悪とかなんて事ないよね~
まさかね~そんな事ないっしょ♫(内心)

侍医者
あ、もしもし?今から病院来られる?
アタシ
え?まさか…



侍医者
うん、だから早く来てね~

…細かい言葉は忘れちゃった。


でも一つ言えることは「良い結果ではなかった」ってことだ。

何とな~く現実味がない中で、車を走らせる。

「う~ん…何が何だか良く分からないが…ま、いっか。」

ええ、こんな感じで病院向かってましたね(笑)


そして病院到着。

他の患者さん達とともに待合室でしばし待ち、診察室へ。

侍医者
検査の結果なんだけど、
左乳房乳管がんだね。
今から詳しい説明するから、良く聞いて。
アタシ
あ、はい。お願いします…


↑ 結構平常心のまま。


侍医者
(かなり詳しい説明ののち)
ってことだから。
アタシ
あ、そうですか。では私は何をすれば?


どうやら普通の患者さんだったら、泣く・わめく・落ち込む・放心状態のどれかになるらしい。

そりゃそうよね、一応悪性腫瘍だって言われる=がん告知 なんだから。

ところが私はあんまり感情が動かなかった。

何故かって?泣いてわめいて病気が治るんだったらそうする。

でもそんな事しても治らないなら時間の無駄だって思ったから。

ならば何をすれば良いのかを先生から聞き、選択していくしかない。

だから「では私は何をすれば?」ってワードになった訳です(笑)


侍医者
まずは治療方針決めて、手術って流れかな。
ご親族にも説明した方が良いし、
色々あるでしょ?準備とか。
とにかく今日から薬飲んでもらうから、
あとで飲み方説明するね。
さ、治療頑張ろう!

アタシ
あ、はい。よろしくお願いします~


…これが私のがん告知でした(笑)さっぱりしたモンでしょ?

先生が事細かに書いてくれた説明書きは、父に説明する時に活用させてもらいました。

ちなみに病気の事を説明し、号泣したのは父。私は…泣かなかった。

いや、あれだけ目の前で号泣されたら泣けないって(笑)

何て言うんだろう。「アタシがしっかりしなくちゃ!」って思うくらい落ち込んだ父。

それもそっか、一人娘だし、母もいないしね…

ごめんね、パパ。余計な心配増やしたね(涙)


でもさぁ…病気の娘が「しっかりしなくちゃ!」ってどうなのよ?(爆笑)

ま、幸いにして私にはとても心強い叔母(父の妹さん)がいてくれるので、

何かあれば面倒見てもらえる安心感もあったし、

親友AもBもいてくれるので、精神的には安定していたのかもしれない。

だけどね…女性として左胸がなくなるって言うのは、かなりのショックだった。

自分で言うのも何だけど、結構私の胸、綺麗な形と大きさだったのよね(爆笑)

これが片方無くなるのかぁ…って思うと、

正直治療なんてしないでこのまま死んでしまいたいとすら思った。



告知を受けてからの私はいくつかの山を越える必要があった。

まずは薬。

内服の抗がん剤やら胃薬やら何やら…

おまけに告知受けた途端、不眠になってしまったので、

安定剤や睡眠薬まで出させる始末。

特に抗がん剤は体調を悪化させてくれるため、

それまで続けていた仕事も辞めることに。


次は生命保険。

私は本当に自分に病気の疑いがあるなんて思ってもいなかった。

だからこそ、それまで入っていた保険を切り替えた。

ただし、切り替えたタイミングが最悪だったのかもしれない。

だって新しい保険にしてから9か月で乳がんの告知だもん。

そりゃ新しい保険会社にしてみれば、疑いを持っても仕方ない。

なので保険金が下りるまでは戦いだった。

それがなければ治療も出来ないし、仕事も辞められない。生活も出来ない。

つまり…死ぬしかない。

まぁ幸い満額保険金が下りてくれる運びになったので、

全てはクリアになったけど、あんまりいい思いはしなかったな。

「生命保険って、入る時は優しいけれど 請求したら手のひら返すのね」

と思ってしまったのは私だけではないはず(号泣)


最後は治療方針。

何せ色々決める事が沢山ある。

当初私の手術は左胸の4分の1を切除って話だった。

でも次に検査をしたら、2分の1の方が安全かも?って流れになり、

最終段階で、何だか面倒になった私は…

アタシ
全摘出でいいです。それでお願いします~
あと同時再建の方向でお願いします~

という決断をする。

何故全摘出にしたか?だってまた手術するの嫌だったんだもん。面倒だし(笑)

…ええ、こういう性格ですよ~

同時再建って言うのは、イメージしてもらいたいのは肉まん。

私が受ける手術は、この肉まんの中身だけをくり抜くイメージ。

そのくり抜かれた部分に生理食塩水の入るバッグを挿入し、

少しずつ水を追加していって、表面の胸の皮を伸ばして、

最終的にはシリコンに入れ替えるって方法。

時間はかかるけれど、出来上がりがとても綺麗に出来るそうなので、

あえてお金も時間もかかるけれど、その術式を選択した。

失ったモノを取り返すには、多少の犠牲は必要だもの。


そして着々と手術に向けての準備や選択は進み、

手術の日程が決まった。

翌年の1月7日。新年早々手術って…良い年なんだか悪い年なのか全く不明。

でも面倒な事はさっさと終わらせたいし、

一度最悪な状況まで落ちれば、あとは上るだけ。

そう、ポジティブですよ、私。

だって、こうなったらやるしかないんですよ。


誰のために?


自分のため、父のため、身内のため、猫のため、仲間のため。

人は色々なモノを背負って生きている…それを痛感したのもこの時期だったかな。

そして悲しいけれど、この時期に私は人間関係の断捨離をしていた。


「辛いよね~わかるわ~」って言った元友達(顔見知りに格下げ)や、

「そんなに辛そうじゃないよね?」って言った元自称親友(同級生に格下げ)とか、

何だか病気によって自分にとって誰が大切で、誰がそうじゃないかが明確になった。

…あながち病気は悪いことばかりを与える訳ではないらしい。

そんな事を学ばせてくれた乳がん。ちょっとだけ感謝かな。


…続く。



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