「命の恩人」は横浜ベイスターズ

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著者: 上月 慎也



「また今年も最下位かよ・・・。」


「どうすればこんな弱くなれるんだ・・・。」




横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)


2013年こそ5位に浮上したものの、

泣く子も黙る弱小球団だ。


特に2008年から2010年にかけての

「連続90敗以上」は圧巻で、

絶望したファンも多いと思う。



しかし、それでも応援し続けているファンは数多い。


俺は大矢第2政権が始まった2007年にファンになって、

その年はほぼ勝率5割と善戦していたが、

翌年から地獄の最下位祭りが始まった。


そこで普通ならファンをやめるという人も多いと思う。

ファンになっていきなりチームが弱くなったらそりゃ応援する気も失せる。



でも、俺はファンをやめなかった。


それどころか、どんどんベイスターズにのめりこんでいる自分がいた。




なぜなら、俺にとって横浜ベイスターズは


「命の恩人」だから。









子供のころから「吃音(きつおん)」という言葉の病気を抱え、


うまく人とコミュニケーションを取ることが出来なかった。



「しゃべれること」が前提の現代社会において、


「しゃべることができない」というのは想像以上に辛い。



世間では「バリアフリー」だなんだと言われているけれど、


「何がバリアフリーだよ!世の中バリアだらけじゃないか!!」


物理的なバリアだけに注目する世間に腹が立ったし、

もっと「精神的なバリア」にも目を向けてほしかった。


吃音者にとって世の中はバリアだらけで、

街を歩いているだけでもかなり辛かった。



例えばファストフード店に入るだけでも

相当のストレスを伴った。


マ○ドナルドなんかには、

「注文するときにどもりまくって変な目で見られたらどうしよう・・・。」

そんな恐怖に襲われて一人で入ったことなんて無かったし、

入ろうとも思えなかった。


よほどの時は食券制のお店を探して、

無いときは家に帰るまで空腹を我慢したりした。




また酷い時はコンビニにすら入ることができなかった。


「袋に入れますか?」


「いや、大丈夫です」


この断りの言葉すらうまく言うことができず、

なるべく質問されないようにペットボトルしか買うものが無くても、

お菓子など余計なものを買ったりしていた。


街を歩けば吃音による恐怖に襲われ、

生きた心地が全くしなかった。




「学校」においてもそれは同じだった。


国語の時間の音読なんて地獄で、

自分の出番が回ってきそうな日は学校を休んだりしていた。


スピーチをやらないといけなくなった日には、

本番の1カ月くらい前から

ストレスでお腹を壊したりした。



「しゃべる」というイベントが発生するたび恐怖がのしかかって、


唯一安心できる時間といえば自分の部屋にいるときだけ。




「みんな俺と同じ苦しみを味わえば良いのに」


「なんで俺だけこんな目に遭わなくちゃいけないんだ・・・。」


世間のことを本当に恨んだし、

自分自身、そして自分を産んだ親を恨みもした。



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