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14/8/19

読書感想文が何より嫌いだった自分が、アラフォーになって出版をすることになった話

Image by Olia Gozha

いつまでもあると思うな親と金、ないと思うな運と災難

40歳のとある冬の日のできごとでした。


STORYS.JPの中の人「小林様のストーリーに関しまして、ある出版社より書籍化の要望が来ております。もし興味がありましたらご連絡ください」


いつものように仕事でクタクタになって帰宅したあと、これまたいつものようにメールボックスを開くと見慣れない人からメールが届いていた。


「え?」


「え?」


「え?」


出版?出版っていうとそのー、えーと、本を出すってこと?いわゆる書籍化ってやつ??


でも、本って、俺の本?こんな単なるイチ素人の本?そんなの売れるの?そもそも誰が買うの?


・・・・

・・・

・・


色々思うところはあったが、まずは話を聞くのはタダだろう、ということで即返信。即行動。

自分「興味があるので、まずは詳しい話を聞いてみたいです」

ということで渋谷のカフェで待ち合わせをすることにしたのが2014年2月の頭の頃。


そこではSTORYS.JPの中の人、O氏と、出版社の中の人、K氏。男3人。

出版社は宝島社。出版業界では中々有名どころであるが、なぜ、自分に?という気持ちのまま、女子力あふれる完全に場違いな感じのカフェで、むさ苦しいおっさん3人。


プリントアウトされたSTORYS.JPの自分の書いたページを手にしたK氏から出版の意図、企画などを聞く。


社長が逮捕されて上場廃止になっても会社はつぶれず、意志は継続するという話(1)


#自分で書いておきながら、最終回から3ヶ月ほど経過していたので、内容を少し忘れかけていた(汗)


そもそも、この話を書いたキッカケは個人的に「STORYS.JPがどんなサイトか知るため」に試しに書いたものであった。


だから、もちろん出版に耐えうるような内容とは思えなかったし、時間をかけて情報を収集をして推敲して校正して、リリースしたものでもなく、まさに思うがままに日記感覚で書いたものだった。


しかし3人で話しこんでいるうちに、事件当時、果たせなかった思い、そして今、日々感じていることを熱く語っている自分がいた。もし、今回、それをリベンジできるチャンスというのであれば、この話に乗っかってみるのもアリかもしれない・・・

誰のための出版なのか

ここで、二つ返事で孫さんのように「やりましょう!」といいたいのは山々だったのだが、、、、

自分「いったん考えさせて下さい」


いくら時間が経っているとはいえ、当時あれだけ世間に叩かれたライブドア事件をメインテーマに置いた本だ。STORYS.JPでこそこそ書いていたのとはワケが違う。それでなくても、ネット上では日々、炎上案件のオンパレードで、時には命に関わる事件だって起きている・・・。


自分も妻子ある平凡な1人のサラリーマン。そんなリスクをとってまで、ここは踏み込むべきなのか?もしかして出版社に利用されてるのでは?

しかし・・・、何かを得るためには何かを捨てるしかない。


もう自分も40歳。これから何か成し遂げるビッグチャンスはもう多くは回ってこないかもしれない・・・。


でも、仮に自分は良くても、これは自分一人だけのストーリーではなく、堀江さんはもちろん、当時の社員、株主、もろもろの人たち全てによって紡がれたストーリーだ。

もしビリギャルであれば、「坪田先生」「さやかちゃん」「さやかちゃんママ」くらいなところが、それとこれとでは影響範囲が、桁違いに予測不能だ。。


最悪、取り上げられかたによっては自分の勤めている会社にも迷惑がかかるかもしれない・・・。


書くか、やめるか。書くか、やめるか・・・。逡巡する毎日。

誰に相談するでもなく、自分ひとりで決断するしかない・・・。


そんな折、ふと、子供時代のとある1件を思い出した。



見えない型にはめ込まれるのが嫌だった子供時代

学校の先生に言われたとおりに教科書に書いてあることを覚えて、それをテスト用紙に確実にぶつければ良い点数が取れる。そして親は安心するという予定調和な毎日。

ゲーム好きだったこともあり、算数は得意でゲーム感覚そのままに得点を競うことが、成績につながっていた。


しかし、国語の「この部分の作者の考えていることを20文字で書け」というものは子供ながら解せなかった。そこはゼロとイチのデジタルな世界じゃないだろう!と。作者が本当に考えていることなんかに紋切り型の答えなんてあるのか?と。ひねくれた子供である。


そしてその最たるものが夏休みの宿題「読書感想文」だった。



これで高い評価を得るためには先生達に好まれるそれらしいことを書く必要があるのだが、なんだか目に見えないルールに従うことを強制されるような息苦しさを覚えている。

だから、休み明けにみんなの前で発表される”優秀な感想文”にいつも違和感を感じていた。


そんな小学校時代のある日、自由に小説を書いていい、という時間があった。

つまりはオリジナルストーリーを書いていいというので、当時、3度の飯よりもゲームが好きだったのでナムコの「ゼビウス」というゲームを題材にした作文を書いた。


今思えば相当にチープなSF小説だったのだが、「自分で文字を書きおこして表現する面白さ」をこの時初めて実感した。


ネット上で発信する面白さに目覚めた大学時代

小学校時代の作文でちょっと気を良くしたくらいで直木賞や芥川賞を夢見て作家を目指すような単純な話ではなかった。

なにせ得意科目は理数系。小、中、高、大学と、それはもうコンピュータとゲーム漬けの毎日だった。


パソコン通信を始めたのが1992年。自分のホームページを大学の研究室においてあったワークステーションに初めてアップロードしたのが1995年。


そういえばホームページをアップロードするフォルダ名は「public_html


自分が作ったウェブページを世界中に対して公開するという意味だった。

インターネットさえあれば自分のようなイチ庶民にも世界中に自由に思いを発言することが許される。。。


スゴイ時代が来ている! しかし、そう思っている人はそこまで周りにはまだ多くなかった。


日記、ブログ、SNS、そして・・・

1998年春。社会人になりクレジットカードを手に入れ、プロバイダ(ASAHIネット)に契約。

アナログモデムで自分のいわゆる文字通りの「ホームページ」を作り始めた。


「対応ブラウザはネットスケープ3.0以上」とか「あなたは○番目の訪問者です」とか「リンク集」とかWeb1.0の香りがプンプンする。


誰が読むわけでもないのに、ブログもSNSも当然まだ無かったのでせっせと日記と掲示板を更新していた。


そして2004年、livedoorブログを開始。他にもはてなダイアリー、アメブロなど片っ端から手を出した。もちろんSNSにも参加。mixiのIDは16360、グリーのIDは1299。くだらない話ばかりだったが、それはそれは色々なことをフレンドに向けて発信した。


2007年4月にtwitter、2008年3月にFacebookに登録。その後はご存知の通り「共感」と「拡散」というソーシャルマジックに深くハマっていったのであった。


もうどれだけのテキストをネット上に書き散らかしたか。わからないほど、キーボードを叩いていた。



そして2013年。STORYS.JPと出会った


これまでにもまとまった記事はMarkezineなどで書いていたが、ここまで赤裸々に「自分自身」のことをネット上にさらしたのは初めてだった。それがふとしたきっかけでtwitterとFacebookeにシェアすることで自分のソーシャルグラフを伝わって拡散し、一定量の評価となり、出版にもつながったのだろうか。

これまでやってきた無駄とも思える積み重ねが一気にリンクしたような感覚を覚えた。

人生、いつ何があるかわからない。


自分が思うことを自信をもって発信してもいいかも

堀江さんの「ゼロ」の中で好きな一言に「自分を信じる、と書いて自信と読む」というのがある。


出版に対して抱いている不安を「」にすることはできないだろう。

でも、絶対成功するとわかっていることだったら誰でもやるだろうし、だったら失敗するかもしれないことをやるか、やらないか。


それがその人らしさなのではないだろうか。


事件当時のメンバーで、特にいま、LINE社でがんばってる人は、きっと、この本のことを快く思わない人もいることは、自分がライブドアにいたからこそ、わかる。

でも、あくまで「小林」という個人の本ではあるが「小林」の勝手な想いを書くというよりは、ライブドアというムーブメントを自分なりに分析するというジャーナリズムによる本という視点で捉えることで、読んでさえくれれば、きっとわかってもらえる、許してもらえると信じてる。



とはいえしがないサラリーマン。今の会社で一番恩のある上司には確認はしたが、もしこの本が原因で今の会社をクビになっても、その覚悟の上で出版することに決めた。

妻にも話して、「もし、これで世間中を敵に回してもその覚悟の上でやるのであれば、応援する」と言ってくれた。

編集担当に清水の舞台から飛び降りる気持ちで「やります」と伝えたその後、再び連絡。

編集担当「企画営業会議、通りました!しかも、今年の販売重点企画になりました!」

ええ!さらに注目の一作に?まさに後戻りできない。。。。ここまできたらやれるところまでやるしかない。


全然、本1冊にするだけのボリュームじゃなかった

最初に書いたものは、写真(図版)も多かったため、原稿量として見ると、このままではとても本1冊にするにはボリュームが足りない・・・。

この頃、ビリギャルに続き第2弾として

うつ病で半年間寝たきりだった僕が、PC1台で世界を自由に飛び回るようになった話


が発売。結構なページ数があり焦る。続く第3弾がペラペラじゃね。。


そこで、ライブドアにおける働き方をテーマにした追加ストーリーを書き始めた。


ピンチ!日本企業。10年前のライブドアから学ぶ、今の我々に足りない働き方とは(1)


社会人になってからずっと抱いていた疑問。「働きがいとは?」「企業のDNAとは?」「お金を稼ぐとは?」などについて考える毎日をベースに主にライブドア事件前を振り返った。



そして、せっかく今回、またとないアピールができるチャンスだから「ライブドア事件はこういうことでした。ちゃんちゃん」だけでなく、自分の半生を振り返りつつ、見えたこと世間に投げかけてみることにした。

これを手にとってくださった方々に、人生において恐らく一番の時間を費やす「働く」ということを立ち止まって考えてもらえたら、と。ひいては日本企業の活力につながってもらえたらと。

そんな想いも込めてみた。


夢を追う、週末作家という二足のわらじ

普通に仕事をしながら、平日の夜と休日に少しずつ書き進めた。振り返ると、校了前の1ヶ月間が一番きつかったが、なんとか間に合わせることができた。


最初はもっと図版が多かったのだが、がんばって文字を書いたため(?)図は削ることになったが、自分のルーツとなったパソコンのくだりは無理やりいれてもらった。

全然ターゲットを無視した図版だが、最初で最後ということで趣味全開の章を追加させてもらった。

ぜひ、X68000オーナーだった人には立ち読みしていただきたい(笑)


表紙も無事に決まり、プロフィールにもまたもや趣味の「人生の夢はランボルギーニ・カウンタックに乗ること」と入れさせてもらった。ランボルギーニ社からいつか連絡がくると信じてやまない。


フェラーリやポルシェと比べるとマイナーなスーパーカーメーカーかもしれないが、自分の中の夢を語ることで、読者も持っていたはずの夢を思い出してもらいたかった。


決戦の火蓋は切って落とされた

入稿が終わりいったん、肩の荷は降りたのだが、これで蓋を開けてみたらサッパリという恐怖感に怯え、発売日をガクブルで待ち続けた。


発売10日前くらいからAmazonで予約がはじまり、この時初めて「ああ、自分の本が出るんだな・・・」と実感した。


自分の子供が初めて「パパー」って呼んでくれたときのような、その感覚に近い。


そしてついに発売前日(つまり今日)

会社の帰りに最寄りの本屋を見るともう並んでいた。これが明日、全国の書店に並ぶと思うと武者震いするというものだ。


実家の母からも「明日、本屋に開店と同時に買いに行くからね」とメールがきた。


最後に、この本を通じて自分が伝えたかったことが一人でも多くの人に伝わりますように。


そして、あなたの中にもきっとあるはずの1つだけのSTORYを、この「STORYS.JP」で書いてみませんか。

そこから夢につながるストーリーが始まるかもしれません。



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