コミュ障のヲタクが厨二病をこじらして、海外で農業を始める話① 幼少期篇

 東京近郊のベッドタウンで、5人兄弟の末っ子として生まれた私は、取り合えずは何の不自由もなく育った。

 まぁ、家庭内にちょっとしたゴタゴタはあったが、その手のゴタゴタはどこの家庭でもあることで、取り立てて私の人生に影響を与えることではなかった。

 ただ、少し他の家庭とちょっと違ったところは、母親がちょっとヒステリックな左翼かぶれで、家庭内に良く分からん掟があったことくらいである。その掟というのは、

 1、スナック菓子を食べていけない

 2、外食してはいけない

 3、水を飲んではいけない

 4、テレビを見てはいけない

 5、テレビゲームをしてはいけない

というものだった。

 1のスナック菓子を食べてはいけない、というのはスナック菓子には食品添加物が大量に入っていて、それを食べると死んでしまうとの事。まぁ、当然そんなことは無く、毎日、駄菓子屋で買い食いしている同級生達は元気溌剌に遊び回っていたが。

 2、3も同様のような理由であった。マクドナルドの肉なんて何が使われているか分からない、水道水は汚染されているというのが母親の持論で、喉が渇いたら家に帰ってきて牛乳を飲め、水道水は絶対飲んではいけないと母親は子供たちに言いつけていた。

 4、5のテレビを見てはいけいない、テレビゲームをしてはいけないというのは、テレビを見ると人間は馬鹿で愚かになるからという理由からだった。まぁ、当然そんなことは無く、全くテレビもテレビゲームもしない私はクラスの落ちこぼれだったのだが。

 これらの掟を破ると母親はヒステリックに怒鳴り散らすのが常だった。 


 いずれにせよ、子供の頃に私が理解したことは、この世界は大人たちの理不尽で無意味で非科学的な掟で支配されているという事だった。

 ちなみに、私は基本的には左翼的な考え方をする方であるが、ヒステリック左翼のご婦人には反吐が出るほどの嫌悪感を感じことが多々ある。それは、私が幼少期に受けたトラウマのせいなのだと思う。

 

 こんな訳で、私はちょっと近所の子供らとはちょっと違う育てられ方をされていた。ついでに保育園も幼稚園も行っておらず、朝8時に家の目の前の公園に放り出されて、暗くなるまで公園で遊び呆けるという生活を送っていたものだから、


 私は小学校に入ったとき、かなり浮いた存在だった。


 私には学校というものが一体何なのか分からなかったし、集団行動というものが分からなかった。

 いわゆる保育園や幼稚園に行っていた子には分かる集団における暗黙の了解やルールというものが私には何ら分からなかったのである。

 小学校に入りたての頃は、机に座って勉強なんかできなかったし、行事の際の集団行動なんてできやしなかった。

 ついでに、小学校に入って足し算引き算、読み書きができないのは私ぐらいのものだったのである。  新興住宅地で教育熱心な親が多い地域ということもあり、小学校にあがる前に足し算引き算、読み書きができて当たり前くらいの雰囲気があった。

私は、完全なる落ちこぼれであった。

 その頃、私は私と同じように落ちこぼれた友人達と授業を放り出しては虫を取り行ったりしていた。

 そのうち教師は私達が授業を勝手に抜け出さないよう机を先生の机の横に並べさせて授業を受けさせるようになった。

 私は、黒板の真ん前という特等席で、先生にちょっかいを出しながら授業を受けるというのが気に入り、少しづつ授業を受けるようになった。

 ただ、他の落ちこぼれの友人達はその特等席を嫌がり、うち2人は特殊学級に放り込まれ、うち1人は札付きの不良になった。


余談ですが、ちなみに学校に馴染めない私が学校に通う動機の一つに給食があった。

 母親がフード左翼にかぶれたせいで、家庭で出される料理は、おいしさより栄養だけが重視される正に餌というべき食事ばかりで、玉ねぎが良いとなれば玉ねぎが山盛り出てくるようなそんな食事であった。(父親は、そんな食事に嫌気が差して、自分で食事を作るようになった。)

 学校の給食は、私にとって衝撃であり、私はすぐに学校給食の虜になった。

 給食の時間になると、私は学校の給食を猛烈な勢いで平らげ、いの一番に残食を漁り、それでも足りない時は、小食な女子の食べ残しをもらった。

 そんな私に友人はあるあだなをつけた。それは「動くバキュームカー」というものであった。


 その後、私は何とか勉強についていけるようになり、集団に馴染めるようになって行ったが、友人とのコミュニケーションにはもう一つの問題がった。

 それは、クラスのみんなが熱中しているテレビゲームやお笑い番組の事が丸で分からないということであった。

 友人とコミュニケーションをとる為には、どうすべきか。

 そこで私は、清々と母親の掟をすべて破って、放課後、友人宅に遊びに行っては、テレビゲームをしてお笑い番組を見た。学校帰りには友達と駄菓子屋に寄ったし、皆と同じように学校の水道水はガブガブ飲んだ。

 この涙ぐましい努力のお陰で、私は小学校高学年の頃には学校という環境に適応して、普通の子供と変わらない子供になっていた。

私は、思いっ切り背伸びをして児童会に立候補してみたり、クラスの代表委員になってみたりした。

 この間、私が親からの呪縛を解いて、社会に適応していく際に学んだことは


 自分自身が社会性を獲得して、社会の中で生き残っていくには、親が押し付けてくる価値観や思想に反抗することも必要であるということである。


 親のくだらない思想、こだわり、価値観が子供の自立、成長、成功を著しく疎外している例が非常に多いと思う。いかれた親の価値観に従順な「良い子」達の末路は推して知るべしである。

 ただ最終的に自分自身の人生を切り開いていく礎になるのは、自分自身の価値観に基づいた意思だ。

 ただ、そのことに私が気が付くのはもっと先のことである。この頃の私は、自分自身の価値観うんぬんより、ただ親や大人達や社会にいかに反抗をするかを考えていた。

 この辺りから私はある病におかされ始める。


それは、俗に言う厨二病という病である。


つづく

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