つり革にかかった傘

著者: Miyoshi Hirofumi

今日は午後9時前くらいの電車(正確には汽車)に乗った。 






夜の地方のローカル単線に、学生とスーツ姿がパラパラと乗り込む。


都会の顔を失ったような気配のない車内ではなく、どことなく人がいる気配がするのは不思議だ。

それほど親密ではないが、無防備なのだ。







つり革の手を持つところに傘が3本かかっている。

ひとつは黄色で、後は透明のビニール傘。

通路をはさんで向こうに座っている女子高生の持ち物らしい。

傘はひとつのつり革に仲良く並んでかけられている。






それを眺めながら、ぼんやりと思う。


傘はつり革にはかけないものだと誰が決めたのだろう。


かける理由もないが、かけない理由もない。

車内はガラガラで、誰の邪魔にもなっていない。


でも、これを見た大人の多くは、顔をしかめるのだろうな。

そして幾人かは女子高生に注意する。

傘はつり革にかけないものだと。

それさえ言わないかもしれない。






傘をつり革にかけないように、人々は社会を作っている。

実は社会の多くのことは、単に傘をつり革にかけないためだけに整備されているのではないかと思ってしまう。


女子高生はそれに遅かれ早かれ気づいて、自分からつり革の傘をとるのだろう。

そして、いつしか傘はつり革にかけないものだと覚える。

昔を青春だとか若かったとか呟いて、傘をつり革にかけていたことさえ忘れるだろう。






「僕は未だに傘をつり革にかけたらいけない本当の理由を、理解できたことがないんだ。」







女子高生は注意されずに、そのまま傘を持って最寄りの駅に降りていった。

僕も降りなければならない。

明日いつものようにするために。 

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