ギャラリーと決別した眉太男が、ペットボトルで作ったスパイダーを背負って、ニューヨークでストリートショーを開催する話。02

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前話: 25歳の楽天的眉太男がワーホリでカナダに渡り、念願のブロンズ彫刻を学ぶ為に彫刻家の弟子となり、現地で師匠と2人展を開催。その後アーティストになった話。


アートはビジネス抜きには存在できないのか?

ギャラリーに頼らずに、社会に対して効果的に作品を発表する方法は?

現代アートとは何なのか?

その答えを探るべく、ペットボトルのスパイダーとストリートショーは生まれた。

 

2010年11月、秋晴れの青空の下、眉太男ことタケシはニューヨークでストリートショー『スパイダーと散歩 』を開催して、現代アート界に挑戦状を叩き付けた。

独自のペットボトルアートを制作して、作品にふさわしい時と場所でそれを背負い、世界各地の通りを歩いて作品を発表するストリートショーというアイディアは、どのようにして生まれたのだろうか。 まずは、彼がニューヨークに至る経緯から振り返ってみよう。


アートはビジネス抜きには存在できないのか?


2002年にカナダでの修行と2人展を終えて帰国してから、タケシを待ち受けていたのは、日本社会という現実だった。日本で彼の帰りを待っていてくれた彼女と入籍できたまでは良かったが、彫刻ではまったく食えない為、フルタイムの仕事に就くも何をしても長続きせず、結局、制作時間をある程度確保する為にはアルバイトをやるしかなかった。

当時日本でブロンズ作品を制作するコストは、カナダのおよそ3倍だった。作品を売る為には、レンタル・ギャラリー(貸し画廊)等で個展をする必要があるが、銀座で6日間画廊を借りたとして、広さや立地にもよるが、レンタル料は平均40万というところだった。しかも作品の売り上げから更に何割か取るのだから話にならない。結局アーティストは日本の画廊にとってお客さんでしかないと思った。

当時、新人は貸し画廊でグループ展を開催して少しずつ名を売り、ギャラリーでの企画展(レンタル料無し)を目指すのが一般的だったが、鴨がネギを背負ってゆくようで、何だかばかばかしく思えた。一方で、欧米では貸し画廊はほとんど無く、コマーシャル・ギャラリー(企画画廊)が主であった。そこで作品を展示する為には、プレゼンをして認められる必要があったが、レンタル料は不要だという事は知っていた。

制作費の限られた中で、次第に高価なブロンズ彫刻を制作する事に必然性を感じなくなった。しかし、新作のアイディアだけは湧いてきたので、それを何とか形にしたいと思い様々な素材で制作を試みる。

作らずにはいられなかったし、表現せずにはいられなかった。それしかできなかった。

 

15~16世紀のイタリアでは、ミケランジェロに代表されるアーティスト達が多くの優れた石の彫刻を制作した。なぜなら当時、そこには良質な石がたくさん有ったからだ。

ならば21世紀の日本で、自分の周りに有る素材を使って彫刻が作れないだろうかと考え、色々な素材で試してみた結果、ペットボトルにたどり着く。

新素材でほぼ無尽蔵に有り、軽くて一定の耐久性を持ち、しかも無料だ。調べてみたら、ペットボトルはアルミニウム等とは違い、リサイクルするよりも新しく作った方が安いらしい。せっかく費用をかけて回収しても燃やされたり、チップにされて他の製品になったり、外国に安く売られたりしている様だが、はっきり言ってリサイクルに適した素材とは言い難い。それならば、その素材をそのまま生かして、アートを作ってしまおうと考える。


2009年5月バンクーバー

エマニュエルという友人のギャラリーで『LIFE』展を開催する。ブロンズ作品、インスタレーション、そしてペットボトルアートと、2002年から2009年までに制作した作品の中で、LIFEというテーマに沿ったものを集めて展示したその個展は、この8年間の集大成とも呼べるものだった。

    

個展期間中に、4泊の予定でニューヨークに向かう。何のコネも無かったが、とにかく自分の目で現地を見ながら、できるだけ多くのギャラリーや美術館を回ってこようと思った。

 

到着初日、ニューヨークでもトップクラスのギャラリーが集まっている、チェルシーに向かった。一つ一つのギャラリーが、大きく開放的な雰囲気で、それが延々と軒を連ねている様は圧巻であった。タケシはとにかく一軒でも多くのギャラリーを見て回って、作品を売り込みプレゼンに漕ぎ着けたいと思い、片端からカードを渡していった。受付の人たちは感じ良く迎えてくれたが、ディレクターやキュレイターにはほとんど会えなかった。

翌日にウィリアムズバーグで出会った、ビクターは非常に面白い男だった。L.A出身で西部劇の様な恰好をしており、常にギターを持ち歩く。ミュージシャン、俳優、デザイナーなど様々な仕事をしているという。彼が道を歩けば多くの人が振り向いたし、誰にでも気さくに話しかけて、1分後にはメールアドレスを聞いていた。彼とはとても馬が合った。

その後、彼に誘われてクイーンズのCギャラリーのオープニングに行った。運良くディレクターと話ができ、ギャラリーでプレゼンをする機会まで漕ぎ着けて、とりあえず契約を交わし、ブロンズ作品2点をバンクーバーから送る。また、近いうちに企画予定のグループ展に呼んでもらえることになる。

ギャラリーからの帰り道に、少し時間が有ったので、ブルックリン橋に向かう。マンハッタンの対岸にあるブルックリン地区では、若い無名のアーティスト達がたくさん活動しており、いつか橋を越えてマンハッタンでメジャーになる事を夢見ていると聞いていた。

「それがどうした。俺は橋どころか太平洋を越えてここに来ているのだ。」

こんな橋など今越えてやろうという気になる。時刻はちょうど20時前で夕日が沈む間際であり、空の色がとても美しかった。橋は2段になっていて、上部が自転車と歩行者用で、床面には木の板が敷いてあり、その板の隙間からはおよそ20メートル下の自動車道が見える。ブルックリン側から渡り始めて30~40分程度でマンハッタンに着いた。少し疲れたが気分爽快だったし、このジョークはアメリカ人には結構受けた。

 

2009年10月クイーンズ、ニューヨーク

幾多の困難に直面し、綱渡りを繰り返しながら、タケシはついに現代アートの中心地のひとつ、ニューヨークのギャラリーでのグループ展(4人展)までたどり着く。

Victor  ←自画像

 

オープニングも盛況に終わり、帰国する前夜、Cギャラリーにてディレクターと作品委託契約の話をする際に、彼らが作り直した契約を無条件で飲むという屈辱を味わう。その内容は極めてギャラリーに有利なものであり、作品が売れてもこちらにはスズメの涙ほどの取り分しかないというものであったが、交渉にもならず他の選択肢は残されていなかった。ニューヨークでさえ、ギャラリーとアーティストの力関係は、圧倒的にギャラリーが優位であり、アーティストは単なる駒に過ぎない。売れれば持ち上げるが、売れなければ用はない。ギャラリーにとって、アーティストの代わりはいくらでもいるのだという事が分かったこの瞬間、ニューヨークにかけていた希望は深い失望に変わった。

帰国後、Cギャラリーに対して様々な企画提案をしたが反応は薄く、約束していた2人展の話はまったく進まず、一年が過ぎる頃、タケシはギャラリーとの決別を決める。


ギャラリーに頼らずに、社会に対して効果的に作品を発表する方法は?

ギャラリー以外に、アーティストが社会に対して効果的に作品を発表する場は、極めて限られていると思われた。市民ギャラリーなどの公共スペースに見に来る客は限られているし、レンタル・ギャラリーに金を払ってお客さん扱いされるか、もしくはコマーシャル・ギャラリーでプレゼンの機会を掴み、売れる作品だと認めさせて企画展に呼んでもらうか。現代アートは、やはりギャラリー抜きには存在できないのだろうか?自分はギャラリストに認めてもらうために制作しているのか?

そんな事ばかり考えていたら、何だか腹が立ってきた。自分が本当に作りたい作品を作り、それを発表したい時に、その作品にふさわしい場所で、必要な期間だけ展示することはできないものか?

その答えがペットボトルアートを用いたストリートショーであった。

好きな作品を作り、好きな時に、好きな場所で、好きなだけ展示するというこの概念はある意味で、究極の自己満足ともいえるかもしれないが、誰の干渉も受けず、こまごまとした規則や制限も無い、100%純粋な新しい芸術表現の可能性を秘めている。

作品もアーティストもそこに有り、その観客は世界中の市民である。また、ショーを見たくても見られないかもしれないし、見たいと思っていなくても見てしまうかもしれないという、自然現象的なオーロラのような所が面白い。

作品のモチーフは、アトリエに住み着いていたハエトリグモにした。吊り下げて展示することができ、背負って運ぶこともできる位の大きさで作品を制作、タイトルはハンター。ハエトリグモは、その8つの眼によりほぼ360度の視界を持ち、危機に直面した時は糸を使って素早く逃げる。また、クモの巣を張って獲物が来るのを待つのではなく、自ら獲物を探して歩き回るというその習性が、自分にとってとても好ましいものに思われた。そのクモの生き様に共感したとも言える。

  

新作と新しい概念を発表するのに、ニューヨークほどふさわしい場所は無い。

また、ギャラリーや現代アート業界に対して、彼らに頼らなくても自らの主張を伝える為に、多くの人に向けて作品を発表する事は可能なのだと証明したかった。

こうして、ストリートショー『スパイダーと散歩』を、まずはニューヨークから始める事にする。

 

2010年11月マンハッタン、ニューヨーク

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