普通のサラリーマンだった僕が10km以上走ったことないのに1週間分の自給自足の荷物を全て背負って灼熱のサハラ砂漠で250kmを走って横断することになった理由

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左足首が痛む。アキレス腱の丁度裏側に当たる部分が熱を帯び、赤く腫れ上がっている。友人の理学療法士に尋ねたら前脛骨筋(ぜんけいこつきん)というところを痛めているらしい。



___サハラマラソンゴールから1日後。


2015年4月12日。

南モロッコの都市、ワルザザート。人口56,000人。モロッコ中部、アトラス山脈の南側にあり、アトラス山脈から流れてきたドラア川が平原に出るところ。砂漠の雄大な光景が広がっているため、アラビアのロレンス、スターウォーズ、グラディエーターなどの名だたる映画が撮影されたこの街に今、僕はいる。


昨日、サハラマラソンというアドベンチャーレースを完走した。


サハラマラソンは世界一過酷と言われるマラソン大会だ。文字通り、この大会はサハラ砂漠で行われる。気温が日中40℃を越え、夜には10℃近くまで下がる温度差の激しい過酷な環境。そんな中、食料、衣服など、レース中の自給自足に必要な道具を全て背負い、一週間で250kmを駆け抜けるというなんともクレイジーなレースだ。


僕はそんな過酷なレースを完走するようなバリバリ体育会系の凄い男___では、決してない。全くない。


この大会を初めて知ったときの僕には、大会に参加するために必要な時間も、資金も、体力もなかった。どこにでもいるごくごく普通のサラリーマンだった。



___サハラマラソンスタートまで、あと771日。


2013年2月3日。


その日もなんてことのない1日だった。チェーンレストランの店長をしていた僕はいつも通りに仕事を終え、夜の9時を少し回った頃に店を出た。車のキーを鞄から取り出し、エンジンをかける。接客が好きでこの仕事を選んだ。やりたくないことももちろんあるが、渋滞、いわゆるラッシュアワーに巻き込まれないことは本当にありがたいと、車を運転しながらいつも思う。父に似たのか、渋滞とか、行列とか、じっと待たされることはどうにも耐えられない性分なのだ。


熊本市内から流れの良い道を20分程運転して駐車場に車をとめた。玄関を開け、誰もいない自宅に灯りをつける。灯りと言ってもほのかな光を漏らす程度の間接照明だ。ほんの一年前まではインテリアなど全く興味のなかった僕だが、今では休日は1日インテリアショップで過ごしてしまう程、インテリアに凝っている。ブラインド、ベッドなどはブラウン系で統一し、壁紙とデスクは白。そこにアクセントで丸い小さなカーペットで赤を添える。その上には腰くらいまでの高さの観葉植物。なんという名の植物だったかは忘れてしまったが、万歳をするように緑の葉を元気一杯広げている。部屋の隅にはオンラインショップで購入したお気に入りのペンダントライトが置いてあり、その光が漏れて部屋を優しく照らしている。


部屋にテレビはない。少し前に近藤麻理恵さんの「人生がときめく片づけの魔法」にハマった僕は徹底的に断捨離をしまくって、そのときにテレビも手放したのだ。元々は収集癖があり、テレビドラマのDVDや漫画本のコレクションを大量にずらりと揃えていた。趣味でバンドもしていたので、ピアノ、ギター、ベースなどの楽器や機材もてんこもり。それらも全て手放した。荷物の大ダイエットに成功した僕は部屋が大き過ぎることに気がついて、少し小さ目の今の部屋に引越までしてしまった程だ。


テレビを手放したのは大正解だった。テレビがある頃は家に帰ると最初にテレビのスイッチを入れていた。特別見たい番組がある訳でもないのに気がつくとビール片手に深夜までテレビに釘付けになり、寝る。そんな毎日だった。


テレビを手放して空いた時間はとても有意義な時間になっていた。ゆっくりと1日を振り返ったり、身体を休めたり、これからの自分について考えたり。物も時間も、抱えているモノを手放せば、空いたスペースに今の自分に本当に必要なモノが自然に入って来るのだと知った。


荷物を定位置に置いて部屋着に着替えると僕はパソコンのスイッチを入れた。一通のメールが来ていた。普段はあまり連絡を取らない父からだった。


「怪しいと感じるかも知れないが、黙って最後まで見て欲しい。」


そんな言葉と共にとあるURLが記載されていた。


記載されたURLを辿って見ると、なるほどなんとも怪しいサイトに辿り着いた。


●誰でも稼げる!

●サラリーマンをしながら副業で◯◯万円!


サイトには動画もあり、塾長と名乗る男"M"がインタビュアーと共に映し出されている。インタビュアーの質問に対し"M"が熱弁を奮う。どこからどう見ても詐欺っぽい。


普段なら少しでも怪しい臭いを感じると完全シャットアウトする僕なのだが、このときは何故か受け入れてみようと思った。普段なら論理的思考でのみ判断するのに、このときは何故か直感で判断した。理由はわからない。父が紹介してくれたからというのが大きかったのかもしれない。いずれにせよ、"彼"の話に乗ってみようと思った。このときの判断が僕の人生を大きく狂わせることになる。



___サハラマラソン 1st ステージ 36.2km。


2015年4月5日。


僕は今、砂漠の真ん中で、サハラマラソンのスタートラインに立っている。


主催者のパトリックがジープの上に立ち、演説をしている。フランス語なので何を言っているのか全くわからない。英語の通訳の人もついていて追いかけて英語で話してくれているが、あまり耳には入って来ない。


スタート予定時刻はとうに過ぎている。だが話が終わる気配はない。


僕はなぜ今ここにいるのだろう。


僕はここで何をしようとしているのだろう。


答えが出ないまま、大音量でAC/DCというバンドの「highway to hell」という曲が流れ始めた。この大会の定番ソング。スタート60秒前の合図だ。


"必ず完走する"


そのためにはとにかく足を壊さないこと。どんなに周りが盛り上がろうと、走らず、一歩一歩着実に足を出す。そう決めていた。


大熱狂の中、スタートの火蓋が切って落とされた。


自分でも驚くほど冷静に、僕はサハラマラソンでの第一歩を静かに踏み出した。



___サハラマラソンスタートまで、あと551日。


2013年10月1日。


僕は東京にいた。10年間勤めた会社を辞めて熊本から上京したのだ。


半年前に父から紹介された"M"の塾に入り、色々な夢が叶っていた。


上空5,000mからのスカイダイビング、リッツカールトンホテルの宿泊、著名人Kさんと直接会ってお話をする。この3ヶ月後にはグランドキャニオンを訪れるという夢も叶うことになる。


"M"の塾はいわゆる自己啓発系と言われるものだった。今まで触れたことのなかったその世界で、僕はこの人生を目一杯生きる術を多く学んだ。そして瞳を輝かせて人生を変えて行く人を多く見た。僕は"M"と同じ立場になりたいと思った。僕も誰かの人生が変わるきっかけになる、そんな仕事がしたいと。


僕は"M"に何度も連絡をして一緒に仕事がしたいという想いを伝えた。だが、"M"からの反応は冷たいものばかりだった。無視されたり、今のお前じゃ話にならないと言われたり。それでもあきらめなかった。何度も何度も想いを伝え続けた。


7月に前の会社の上司に仕事を辞めて東京で新しい仕事をすると伝えたときには実は何も決まっていなかった。ただ東京に行こうとだけ決めていた。


不安と期待が入り混じる中、東京に発つ一ヶ月前になってようやく「三ヶ月間、試しに一緒に仕事をしてみるか?」と返事をもらえた。


そういう訳で僕は今東京にいる。


羽田空港の到着ロビーから京浜急行線で大森町駅を目指す。そこには【大森ハウス】というシェアハウスがあるらしい。"M"を含め、投資家、作家、社長など10人が共同で生活しているという。その誰とも会ったことはないが、僕はそこに飛び込んでみることにしたのだ。そこで仕事をし、そこに住むという選択をした。


大森町駅で降りて地図で見た方向を目指す。荷物は事前にほとんど送っておいたので、手荷物は鞄とお土産だけだ。東京チカラめし、という見慣れない看板を横目に目的地に向かってまっすぐに進む。


そこに辿り着いて最初に驚いたのは玄関が開けっ放しになっていたこと。そして三和土には大量の靴がおしくらまんじゅうをしているかのようにせめぎ合っている。


「失礼します」と声をかけ中に入る。「今田です。今日からお世話になります。」と声をかけるが、部屋にいる何人かからボソボソと返事はあるものの特に歓迎ムードという訳でもないようだ。皆淡々と仕事をしている。


と、奥の部屋から"M"が現れた。塾の動画で見続けた"M"、一度だけ電話で話しただけの"M"と、遂に対面を果たした。お世話になります、と熊本の空港で買った手土産を渡しながら伝えると無表情のまま「はい」とだけ返された。


ひとり笑顔で迎えてくれたのはマイちゃんという女の子だった。カンボジアで起業していたときに"彼"と知り合い、ここに住むことになったのだという。飲食店店長の経験もあるらしく気さくに話しかけてくれた。


マイちゃんがお昼を作ったので一緒に食べましょうと声をかけてくれた。少しほっとしながら食卓に向かうと、そこに並んでいたのは蕎麦だった。蕎麦アレルギーの僕は申し出を断り、さっき見た見慣れない看板のお店に入った。東京で初めて食べたランチは、本当にひどい味だった。



___サハラマラソン 2nd ステージ 31.1km。


2015年4月6日。


サハラマラソン2日目。初日は無事に完走することができた。


初心者がサハラマラソン250kmを完走するために最も重要なことは、とにかく身体を壊さないことだ。特に足の裏。"M"は足の裏が豆だらけになり、皮も剥け、血と体液が溢れ、爪も6枚剥がれた。足を踏み出す度に生皮をヤスリで削られているようだったという。


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