愛されない

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中には精神的に崩れてしまう人もいたという。


そんな中母は、養子にし何くれとなく面倒を見てくれた恩ある人々のため勉強に励んだ。

他の道など考えることもなく頑張り続けた。

晴れて母は教師となり八戸に戻った。



初めの1年間中学校で教えた母は、自ら志願して2年目からは小学校の教師となった。

教師として頑張り続ける中、母は病気で入院する。

病室は2人部屋。自分の母親と同じくらいの年の人だった。

少し会話をしたりすることもあった。


後に母は、この人物が父の母親だったことを知ることになる。





◆ 父と母の記憶(結婚、子の誕生)



父は肺結核を完治して八戸に戻った。

国鉄の休職期間を過ぎていたため国鉄を退職し、一般の会社に勤めた。

母も退院し、再び教師として働いていた。


父は病気のため、母は仕事ため、お互い結婚適齢期という年齢を越えていた。

母には別のお見合いの話もあったそうだが、なぜか父と会うことを選んだのだという。

2人はお見合いをした。


父は自分に自信がないので、用意された話をただただ受ける気持ちだった。

母は自分ではあまり分からないけれど、結婚してもいいかなと思ったらしい。


お見合いは父の家で行われた。

母は父の家に行った時に仏壇の上の遺影に、入院していた時同室だった人の写真があるのを見た。

「あー、この人の母親だったのか・・・」

その人の息子の嫁になるのだということが、少し不思議な感じがした。

そう、祖母は父の退院を待たずに亡くなっていたのだ。


妹達がいるのには驚いた。

なぜなら妹達が同室だった女性のお見舞いに来たという記憶がなかったからだ。



母は父の一家には歓迎されていなかった。

父が祖父に軽んじられていたため、妹達も父には言いたい放題だった。

生まれた順番が一番目で性別が男だったというだけで父が実家を継ぐ。

その父のお嫁さんである母に実家を取られる、という思いも妹達にはあったのだろうか。

それとも元々の気質だったろうか。

母には祖父や妹達が、自分に対して攻撃的なことがものすごくショックだった。


実家から母親が娘の様子を見つつ挨拶しようと父の家に来た時には、

母は、祖父にこう言われたという。

「うちはあんたを嫁に貰ったけれど、あんたの母親は貰ってない。うちの敷居は跨がせない。」

母はショックとともに怒りを覚えた。


妹達も母に、容姿のことなどいろいろ言った。

祖父や妹たちに"ひどい対応をされた”と感じていた母は、父に愚痴ったり相談したりするものの、

自信のない父には祖父や妹たちに意見をすることが出来なかった。

おそらくとにかく争い事に巻き込まれるのが嫌だったのかもしれない。

父の心も傷つき過ぎるほど傷つき、もはや意見をしようとも思わず、

受け入れるか聞き流すだけにするのが自分を守る術になっていたのだ。


そんな環境の中で、たった一人で笑うこともなくこの家で暮らしていかなければならない・・・

母は次第に心を閉ざしていった。

自分の気持ちを理解しようと聞いてくれる人が誰もいないこの家で。



妹達はだんだんに結婚して実家を離れていったが、

祖父の母に対する冷たい態度はいつまで経っても変わること無く、辛く当たり続けた。



母は、父に失望した。

母には父の事情はわからなかったので、父が味方をしてくれないことに失望したのだ。

時間が経つごとに、自分より収入の低い父を見下し、自分が一番正しいという思考が固まっていく。


父もまた母に失望していた。

結婚して初めての朝、「おはよう」と声をかけた父。

母は、「なんで夫婦であいさつするんだ」と言ったという。


照れもあったのかもしれない。

でも挨拶することが家族の中では一番大事だと思っていた父には、ものすごくショックだった。

家族の中に自分を理解してくれる人はいなかった。

妻だけは・・と期待したが、妻もまた本当の自分をわかってはくれない。

誰も自分を分かってくれない。。




結婚1年後、兄が生まれた。

その2年後、姉が生まれた。

そしてさらに2年後、私が生まれた。


私は姉に会ったことがない。

なぜなら姉は生後8ヶ月で亡くなったから。

突然死だった。


母はただただ呆然とした。

その時母は姉の近くにはいなかったらしい。

人に頼んで見ていてもらったらしいけれど、目を離していた短い時間の出来事だったようだ。

静か過ぎるのを不思議に思い見てみたら、すでに息をしていなかったとのことだった。


葬儀の間も、母は何も考えられなかった。

準備もしなければならない、やらなければならないことはたくさんある。

身内が亡くなるというのはものすごいショックで、

生きている中で一番ストレスがかかることだと言われるけれど、

子を亡くすというのはどれほどのことだろうか。

この身が切り裂かれれば良かったのに。

代わりに私が死ねば良かったのに。


それでも直後には、そんなことすら考えられなほど呆然とするものだ。

いつものように朝になり、いつものように日が暮れる。

何事も無かったかのように世間は動いているのが不思議に思われる。

自分だけが時間の狭間に置き忘れられたような気がする。


四面楚歌の環境の中、母はしなければならないことのためにただ身体を動かしていた。

何も感じない。感じられない。悲しみも怒りも感じられない。

まるで機械人間になったかのようだった。


そんな母の耳に、

「涙一つ流さないなんて」

と母を非難する声が聞こえた。


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