親は子どもに育てられる。~反抗期、非行、中絶、ひきこもり、摂食障害、うつ、流産、育児ノイローゼを越えて、今~

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「科学流産」

 

初期の流産で、私の場合は子宮には何も残さずに、
何ごともなかったかのようなキレイな状態でいたために、
“妊娠していた”証拠は何ひとつありませんでした。

 

文字通り、浴室で自分の手の中を流れていってしまい、
守ることができなかった小さな命。

夫には「ダメだったみたい…。」としか言えませんでした。

 

調べてみたら、流産は妊娠全体のうちの15%。


こんな気持ちを多くの人が味わっているということを知り、
安心するような、でもそんな悲しみを知らずに過ごしていたことに
罪悪感を感じるような、複雑な気持ちでした。

 

でも、悲しみややるせなさも、なくなることはありませんでした。

 

それからしばらくは、心が落ち着かずに、仕事に集中したり、
ニューヨークに住む友だちのところに遊びに行ったりして、

流産のことは少しずつ忘れようとしていきました。

 

浴室でのことは、夫に言い出せないまま…。

 

そのあと、再び子どもを授かったのは、
流産から半年、中絶からは13年が経っていました。

 

それからは胎教をしたり子育てについて調べたり本を読んだりと、

やっと巡り会える我が子のためになりそうな事を学び、
ふさわしい母親になるべく日々を過ごしていました。

 

自分がまだ子どもの頃、人工中絶をして子どもの命の目を摘み、

大人になってからは流産で守れるはずの命を守れなかった私。

 

子どもに対する想いは特別なものがありました。

 

そんな私がやっとのことで出会えた子どもとの出会いは、
不思議なものでした。

 

見たことのない顔で「誰だろう?」と思ったのに、

なぜか知っているようで、「よく頑張ったね、ママだよ」と
声をかけたら目を開けて私を見つめる小さな赤ちゃん。

 

私は腕の中にいるこの小さな命を、

なんとしても守りたい、幸せにしたい、

と強く思ったのでした。

 

それでも、初めての出産と育児では精神的なストレスも多く、
たくさん自分を責めた日々を乗り越えての出会いだったのに、
子どもにイライラしてしまうようになりました。

 

うまくいかない事ばかりで、ストレスが溜まり育児ノイローゼに。

あやうく、手をあげてしまいそうになったときもありました。


 

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