あこがれの関西トップ大学の入学式にいったのがエイプリルフールだった話。

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著者: 水野 直


しかし交代枠は0。


僕は馬鹿だったのだ。いまさらながらそれを気づいた。

ただ今できる事は応援する事だけ。

ラスト5分必死で仲間を信じ、声をだしてベンチから必死に応援した。


ただベンチは静まっていた。

交代したメンバーは疲れからかあきらめからか、互いに軽くしゃべりながらじっと試合を座って見つめている。


「もうあきらめるの??いや無理だろ??」

そう思いつつも、僕ができるのは選手を応援する事だけ。


ロスタイムに入り、相手チームのコーナーキック。

もう試合終了の笛が鳴ってもおかしくない。

それでも僕は信じ、交代して出場しているフォワードの仲間の選手に声をかける。


「あきらめるなよ!絶対このあとボールがくるから前でボールまっとけ!!」


そいつもうなずく。

そして相手がコーナキックを蹴り、ゴール前で選手達が競りあう。

はじかれたボールはそいつの元にとどきそうだったが、寸前で相手にとられる。


「ピッ、ピッ、、、ピーーー!・・・」

そこでその笛は鳴った。試合終了だ。


肩の力が抜けた。あぁ終わったんだなと。ただグラウンドを見つめていた。

緊張から解放され、むなしさが込みあげてくる。


選手達がお互い礼をし、いままで頑張ってきた選手がかえってくる。

僕は次の試合のチームがくるため、救急バックや水を飲むためのボトルを持ち、

なにも言わずにすぐベンチを空けようとした。


すぐ立ち去ろうとしたその時、僕が声をかけ励ましたあいつが、泣きながら声をかけてきた。

「ごめんなぁ、、お前の分も役に立てんかった、

ベンチからお前の声めっちゃ聞こえてた、ほんまごめん」


僕はそいつの顔をみれなかった。

それでもそいつは泣きながら謝ってくる。

「ほんまにごめん」


そして僕は泣いた。

「ええって、ほんまに、・・・ぅ、、うぁぁぁぁあああ」

その時人生で初めて僕は男泣きというものをした。


きっと自分より悔しい思いをしたチームメイトもいたと思うけど、その日一番の大声で泣いたと思う。

自分の性格的にあまり泣くというのが好きじゃないし、まさか自分が人前で声をあげて泣くとは思ってもいなかったのだ。


その時僕は思った。

「あぁ、おれってやっぱサッカー好きやったんやな・・・」


こうして10年以上のサッカー人生にこの日幕を下ろし、僕は将来について真剣に向き合わなければならないようになった。


長い前置きはここで一旦終わりであり、いよいよ受験というものに立ち向かうことになる。ここからが僕の本当の戦いの始まりであり、おそらく僕の人生のターニングポイントになっていると思う。




ただのバカでサッカーしかしてこなかった自分が、

本気で志望校に受かるためだけに勉強した話


こうして僕のサッカー人生は終わった。

そして世間は大学受験という季節になった


だが、僕は大学に行くという意味がわからなかった。

周りの友達というのは


「経済に興味があるから経済学部にしようと思う!」

「美容師になりたいから専門学校にいくんだ!」

「とりあえず国公立大学をめざす。」


そんなことをゆっていた。

正直、美容師とか看護師になりたいから専門学校に行くという人はめちゃくちゃすごいなと思った。

自分のやりたいことの為に勉強するというのがかっこよかった。

でも僕にはもはや、やりたい仕事なんてないし、自分のやりたいことなんてわからなかった。

今までサッカーだけやってきたのに、今からやりたい事を探せなんて無理な話だった。


それでもいろんなことを考えるも、考えれば考えるだけ勉強に手がつかず焦るだけだった。

そもそも、経済学部だとか商学部とか法学部とか、なにをするか調べてもよくわからないし、

それでも周りは大学にはとりあえず行っとけと言う。


レールにしかれた道を歩むのは嫌だけど、それ以外の道なんてなにもわからなかった。


そんなとき、高校2年生の最後の頃から通い始めていた塾の塾長に

「とりあえず、大学に入れ。入ったあとにいろんな事を経験して自分のやりたい事を見つけたらいい。」と言われた。


なるほど。完全に腑に落ちた訳ではないけれど僕は納得した。

これ以上考えてもなにもでてこないから、まず大学に受かる事を目標にして、自分のやりたいことを探すために今を頑張ろうと決めた。


そこでどこを第一志望にするか。

考えた結果、僕は関西ではトップの私立大学の一つであるR大学を第一志望に決めた。

(関西に住むひとならどこの大学か予想はつくと思います。。笑)


まず国公立大学は受験科目が多すぎて、いまから勉強するには遅すぎた。

私立大学は3科目でいいが、国公立大学は最低でも5科目から7科目もある。

なにより部活が終わって受験まであと約半年という期間だった。


さらに僕は高校では、理系クラスだったが、受験は文系にすることにした。

いわゆる文転だ。


なぜなら塾長に、理系では今の実力じゃ勉強が間に合わなく、文系なら受験者数も多く付け入る隙があり、受験できる回数も文系の方が多い。そして自分が英語が他の教科より得意で、理系よりは文系のほうが勝負するには有利という点だった。


ただ僕は古文が苦手だった。だから高校でも文系ではなく理系にしていたのだ。

しかもR大学は古文がめちゃくちゃ難しい。

ただ逆にR大学は難しすぎてだれも点数がとれないから差がつかないという事を聞いた。


以上をふまえて、僕は英語の配点が比較的高く、苦手な古文が難しすぎる、そして受験回数が多い難関大学の1つのR大学の文系学部を第一志望にした。


これは関西の難関校に受かるという事のためだけに決めた事だった。

行きたい学部とか、大学でこれを学びたいなんてことはない。

ただその目標に向かっていくなかで、やりたいことが見つかればいい。

そしてなにより、高校サッカーで失敗した自分だからこそ、決めた目標を達成し、部活のみんなを見返したい、そんなことも思っていた。

僕の大学では関西の私立難関大学に行くことはなかなかすごいことだったからだ。


それから僕は勉強をがんばった。

もともと頭が良くないので、はじめは全然成績もあがらない。

なんせ偏差値は40程度。合格するにはあと20も偏差値をあげなくてはならない。

それでもやるしかなかった。


いままでサッカーだけをやっていた自分にとってずっと座っていることは本当に窮屈だったけど、がんばった。


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